概要
ワシントン(BB-47)は1922年に建造中止となり、1924年に実艦的として海没処分された。
日本の長門型に対抗し、テネシー級の砲装を強化したものであり、16インチ級戦艦「ビッグ7」に数えられる。アメリカ海軍においては、従来の戦艦より際立って強力な艦であるとして、前級のテネシー級とあわせて「ビッグファイブ」とも呼ばれた。
長門型に比して速力は劣るが、攻防力は同等以上であった。
武装
主砲
前級が14インチ三連装砲装備であったところを16インチ連装砲に換装した。門数は減少したが、弾重量増大のため投射火力に遜色はなく、むしろ散布界に優れる本砲は海軍休日時代における米戦艦最有力の砲装であった。
就役時には弾重量960kgで初速792mps、最大射程30kmという性能であったが、新型砲への換装により弾重量1016kgで初速768mps、最大射程32kmとなった。
設計段階では前級と同じ14インチ三連装砲塔四基装備で計画されていたため、テネシー級に比べてあまり艦体の大型化はしていない。
副武装
就役時の副武装はテネシー級と同等のものが装備され、51口径5インチ副砲と50口径3インチ高角砲、水中魚雷発射管を装備した。
海軍休日時代には25口径5インチ高角砲が装備され、魚雷発射管を撤去、12.7mm機銃を搭載した。
真珠湾攻撃で着底したウェストバージニアには徹底した近代化改装が実施され、38口径5インチ両用砲やボフォース40mm機関砲、エリコン20mm機関砲を装備した。
損害が軽微だったメリーランド、本土に回航中で被害を免れたコロラドは、高角砲のシールド化と対空機銃の増設など小規模な改装を受けるにとどまった。
1945年、メリーランドに5インチ両用砲が装備されたが、コロラドは最後まで5インチ高角砲を装備し続けていた。
観測装備
就役時には主砲塔と艦橋に測距儀を装備し、前後マスト上に密閉式の見張り所と射撃方位盤を設置した。上部構造物はテネシー級と同等のものである。
真珠湾攻撃後、ウェストバージニアにはテネシー級を参考にした改装が実施され、塔型のマストとなったが、コロラド、メリーランドのマストは籠マスト構造を一部残したまま改修された。
コロラド、メリーランドは対空捜索レーダーにSK、対水上捜索レーダーにSGが採用され、Mk.3射撃管制レーダーがマスト上の主砲用射撃方位盤、Mk.4射撃管制レーダーがMk.37射撃管制装置に設置された。
1944年に復帰したウェストバージニアはMk.8射撃管制レーダー搭載のMk.34射撃管制装置、対空捜索レーダーにはSK-2を装備していた。
1944年の改装時にコロラド、メリーランドにもMk.34射撃管制装置が搭載された他、メリーランドは1945年の改装で前部マスト上のMk.3レーダーが改良型のMk.27射撃管制レーダーに換装され、また高度測定レーダーとしてSMが搭載された。
艦歴
就役~海軍休日
1921年~1923年にかけて3隻が就役し、以後戦闘艦隊に所属した。
就役後まもなく海軍休日となったが、米戦艦唯一の16インチ砲艦である本級は日本に対する抑止力として有力な存在であったため、長い工期を要する大改装は実施されなかった。
1940年の艦隊再編では対日情勢の悪化に伴い、太平洋艦隊配属となり、1941年にはハワイの真珠湾を母港に活動していた。
太平洋戦争
1941年12月8日、日本海軍の真珠湾攻撃の際、真珠湾に停泊中だったウェストバージニアは大破着底、メリーランドも損傷したが、オーバーホールのために米本土に回航されていたコロラドは被害を免れた。
メリーランドは修理と併せて近代化改装を受けて戦列復帰し、1942年にはオーバーホールを終えたコロラドが太平洋に配備され、日本艦隊の動向に備えた。
コロラド、メリーランドはフィジー攻撃やタラワ進攻に参加し、1944年にはマーシャル諸島攻略に参加した。同年9月にはウェストバージニアも戦列復帰した。10月のレイテ沖海戦に際しては、メリーランドとウェストバージニアがスリガオ海峡海戦に参加して西村艦隊を迎撃し、ウェストバージニアは戦艦山城に対して命中弾を与えたとされる。
1945年には沖縄戦や日本本土攻撃に従事した。
戦後
1945年8月15日に日本が降伏した後は占領軍の支援任務に就き、復員作業に従事した後、同年末にアメリカ本土に帰還した。
1946年以降は不活性化され、1947年には全艦が退役。
以後10年近く予備役として保存されていたが、1959年に除籍となった。
余談
架空戦記小説「紺碧の艦隊」(荒巻義雄)では「メリーランド」「ウェストバージニア」が開戦早々日本海軍に鹵獲され、航空爆撃戦艦「米利蘭土」「西処女阿」に魔改造されている。