人物
地球連邦軍のオーガスタ研究所で調整を受けた強化人間でティターンズのモビルスーツパイロット。年齢は17歳、階級は中尉。愛称はロザミィ。
精神調整と共に肉体も強化されている。
一年戦争時のコロニー落としが精神に大きな傷を残しており、ティターンズはそこを利用しエゥーゴを敵と思わせるようローレン・ナカモトに精神操作させた。
エゥーゴとの緒戦ではギャプランを駆り、連邦軍のブラン・ブルタークとともにカミーユらを手こずらせるものの、慣れぬまま機体は大破、脱出している。
かなり能力の高い強化人間ではあったが精神崩壊は進んでいて、精神の均衡を保つ為に家族に関する虚偽の記憶を植えつけるなどの処置が取られていた。
またこれを逆に利用し、カミーユ・ビダンを兄と思い込ませる様暗示を掛け、アーガマへの潜入任務をさせられたこともあり、己を「ロザミィ」と呼ばせて偽りの兄カミーユに甘えた。
この際、カミーユと共にいたファ・ユイリィに対しても「お兄ちゃんの恋人には貴女のような人が良いと思っていた」と機嫌を取っている。
シンタとクムより子供っぽい振る舞いをしており、二人にとっては良い遊び相手だった。
ティターンズによるサイド2・21バンチへの毒ガス作戦をめぐる戦闘中に、無断でネモに搭乗してアーガマを離れる。
その後、アクシズ宙域で再びカミーユたちの前に現れたときには、既に昔の彼女では無くなっていた。
ゲーツ・キャパに精神を操られ、ロザミアはサイコガンダムMk-Ⅱでアーガマを攻撃する。
この際、アクシズ内を探索するファが商業地区のショールーム内にロザミアが持ち歩いていた家族写真がフォトスタンドのサンプルとして飾られているのを発見している。
無念の思いを込めたカミーユにコクピットをビームライフルで直撃され、ロザミアは実在しない兄の名を呼びながら宇宙に散った。
最終回では、カミーユとパプテマス・シロッコの最終決戦時に霊体となってカミーユに協力、立ちはだかるサラ・ザビアロフを叱った。
劇場版では、ギャプランから脱出後のエピソードは全てカットされ死亡したかどうかも不明だが、最終決戦時にはTV版と同様に登場している。
精神操作を受けてのエゥーゴ潜入などのエピソードもないためTV版に比べて精神的に落ち着いているが、カミーユにとってはただ一度交戦した敵にすぎなくなっている。
そのため、浅川ボイスで「お兄ちゃん」というセリフを聞きたかったファンを落胆させた。しかし、劇場版公開以降のスーパーロボット大戦、及び「機動戦士ガンダム エクストリームバーサスでは浅川悠が演じるロザミィが登場、キュートなボイスで落胆したファンを喜ばせた。
主な搭乗機
NRX-055 バウンド・ドック(TV版のみ)
MRX-010 サイコガンダムMk-Ⅱ(TV版のみ)
余談
SDガンダムシリーズでは味方として登場する事が多く基本的にサイコガンダムMk-Ⅱが味方として登場する時の人格はロザミィを参考にしている事が多い。
特にG-ARMSやSDガンダムフルカラー劇場ではその傾向が強い。
TV版で演じた藤井佳代子はファ・ユイリィの母親も演じていたため、主人公の妹(自称だが)とメインヒロインの母親役を演じたことになる。
関連イラスト
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ステラ・ルーシェ:ロザミアとフォウ・ムラサメがインスパイアされたキャラで精神操作によって精神の退行、弩級のモビルスーツに搭乗と共通点がある。
※この先にネタバレがあります!
「ご免・・・あたしだってお母さんを探しているの・・・知らない・・・?」
富野監督が著した小説版Ζガンダムでは人物背景や内面が深く掘り下げられており、真のヒロインとも言える存在感を放っている。
その本質は「もう一人のカミーユ」と言うべきもの。
実は彼女の精神が不安定な最大の原因はコロニー落としの目撃ではない。
確かにコロニー落としの目撃とそれに伴う惨禍の記憶は大きな心の傷になっているが、それ以上に「絶体絶命の危地に大好きだった母親が助けに来てくれなかった」怒りと焦燥の記憶をオーガスタ研が従順なモルモットを作り出す為に「両親は優しく温かい」と言う記憶で強引に上書き洗脳した事が精神不安定の主因となっている。
コロニー落としによる故郷の壊滅と父親の浮気騒動と規模こそ違うが、「子供の側に落ち度も対処能力も無い危地に母親が助けてくれなかった」憤りが深刻な心の傷となっているのはカミーユも同様。
両者共に「せめて兄弟姉妹が居れば母親に助けて貰えなかった苦しみを共に耐えられるのに」と言う強烈な欲求を秘めていたからこそ、偽りの筈の兄妹関係が上手く馴染んでしまったのである。
ファ・ユイリィに対する『理想の恋人』発言も、『男に対する独占欲』『庇護対象の危機に躊躇なく身体を張る度胸』とカミーユとロザミアが母親に求める要素をファが備えている事を考えると、結果的に核心を突いている言葉になっている。
カミーユの場合、ファ・ユイリィやクワトロ・バジーナ、エマ・シーンと言う将来を真摯に心配してくれる人間の居る環境に拾われたが、庇護者に恵まれなかったロザミアは潜在的なNT能力や身体能力の高さもあり都合の良い道具として利用され続けてしまったのである。
物語の最終盤、半狂乱のカミーユの強烈な「母親に対する憤り」の感情に直面したロザミアは前述の台詞と共に自身の真実の過去を思い出し、完全に正気を取り戻す。
そしてカミーユを『お兄ちゃん』では無く『かつての自分と同じ苦しみに悶える一人の人間』として受け入れ、相互理解に至るのだが・・・。
結果としてTV版や映画版を上回る悲惨な結末に突き進むことになる。