注意
本記事には、東方Projectに登場するとある人物についての
ネタバレが含まれます。
ネタバレを望まれない場合は本記事から移動してください。
本記事のネタバレの作品範囲の中心は、2019年11月時点では、
書籍作品の『東方茨歌仙』です。
概要
ただし本二つ名を通して示される華扇はこれまで語られてきた華扇ではなく、特殊な状態の華扇である。『茨歌仙』作中における平素の状態の華扇の二つ名は「片腕有角の仙人」で、これは『茨歌仙』第一話(同作最終話)のタイトルともなっている。
「有角片腕の仙人」となる場合は『茨歌仙』最終話のタイトルとなる。
本記事中では文脈に応じて「片腕有角の仙人」の華扇を「華扇」、「奸佞邪智の鬼」の華扇を「鬼華扇」とも呼称する。「 鬼華扇 」の呼称は『茨歌仙』第十巻中掲載の設定資料で表記された呼称に基づく。
また、鬼華扇とも関連した存在である「茨木童子の腕」については単に「腕」、またはその仮の姿を成してからの状態については「影華扇」と呼称する。「 影華扇 」の呼称もまた同設定資料の表記に基づく。
作中では、華扇本人は「腕」(影華扇)からは「 本体 」などと呼ばれている。
鬼華扇の一人称は基本的には華扇同様に「 私 」。
なお、ファンの間では「茨木童子の腕」については「腕」の他に「腕ちゃん」などとも呼ばれている。
「奸佞邪智」
「奸佞邪智」とは、性格がひねくれ、悪知恵がはたらく様子を示す四字熟語。
「奸佞」と「邪智」の要素として見るときには、それぞれ「奸佞」は心がひねくれ悪賢い様子を示し、「邪智」は悪事に知恵が良く働く様子を指す語であり、ひねくれた人間性をもち悪事には機敏に知恵が回るという、いずれも人間評としてはポジティブとは言いがたい要素を示す際の表現である。「奸佞」と「邪智」の配置が入れ替わって「邪智奸佞」とも。
有名な文学作品では『走れメロス』作中冒頭にも登場しており、主人公のメロスが王(ディオニス)を評する際に「奸佞邪智」の語を用いている。同作中ではメロスは王について「邪知暴虐」との語も用いてその人格の卑劣や非道さを表現しており、「邪知暴虐」もまた「奸佞邪智」と同様に「悪知恵が働く」との意味も持つ。「奸佞邪智」とのおおまかなニュアンスの違いは「邪知暴虐」には暴力的な行動で他者を苦しめるという意味合いが含まれている点。
「奸佞邪智の鬼」という場合、その語だけで見た場合は心がねじくれしかし悪知恵には長けた鬼といったニュアンスとなるだろうか。これは「 天道 」を往くことを自らの道の旨とし、その知恵は他者、特に人間のために用いるのだとする仙人としての華扇の姿勢や作中での歩みとは対極ともいえるような心性である。
ただし、これまでも華扇はごく個人的な場面となるとその知恵や能力を用いて自らの利となるよう計略を巡らせることもある。例えば「 人隠し 」騒動の際には八雲紫との接触を霊夢に知られないよう逃亡したり狸たちとの酒盛り合戦の際にはこっそりと狸対策を施したりといった場面もみられており、知恵の使い方の機敏さや周到さという一面ものぞかせている。
地獄から怨霊が湧き出した際に両世界の断絶を進言した時などは他者のためとしつつその実で自らの利を目指している様子をつぶやくなどの姿も見られている(いずれも『茨歌仙』)。
華扇の三様
『茨歌仙』において華扇には大きく異なる三つの姿が描かれた。
先述の通り、一つは仙人である「茨華仙」としての華扇、もう一つは「茨木童子の腕」が華扇の姿を模した「影華扇」、そして「奸佞邪智の鬼」たる「鬼華扇」である。
鬼華扇は華扇が失った右腕である「茨木童子の腕」が華扇の体に再び結ばれた姿で、右腕を取り戻した、いわば茨木華扇の本来の姿である。
華扇は「 はるか昔 」に右腕を失い、この切断された腕に元々持っていた「 邪気 」が籠められていたため華扇本人は「 邪気 」を失った。この「 邪気 」の喪失が華扇のメンタリティも変化させ、以後華扇は仙人の道を目指すこととなる。
華扇本人は当時の自らの歩みについて「 地獄のような現実に興味を失い 別天地を目指すべく仙人になった 」と回想している(『茨歌仙』)。
一方の「腕」は切断されて以後も「 邪気 」とともに存続しており、華扇以外の何者かに回収されて封印を施された(伝承の「茨木童子」であれば人間の討伐隊の回収によるか)ものの、以後も封印が弱まりと復活の機会をうかがい続けていた。
華扇は腕を求め、「腕」もまた華扇への回帰を望んでおり、邂逅の望みを互いに同じくしつつ華扇は方々を探し求め「腕」は機を待った。両者の願いは様々な経緯を経て、果たして幻想郷で叶うこととなるのである。
なお、『茨歌仙』作中最後半では上記のような通常の華扇(茨華仙)、影華扇、鬼華扇の他にもう二つの華扇の姿があり、『茨歌仙』終盤では上記の三姿を含めた少なくとも五様の華扇が描かれているのであるが、他二種についてはそれぞれ後述する。
探求の結実
『茨歌仙』において鬼華扇が登場するに至る経緯は、華扇の視点では少なくとも華扇の初登場である『茨歌仙』当初から特殊な状態の右腕の様と何かの腕を求める様子からも見られているが、両者の邂逅に向けた動きが加速するのは『東方深秘録』において華扇が外の世界へ赴いて以降である。
『深秘録』以前も華扇は何かの「腕」を幻想郷内部で探す様子が見られており、例えば伊吹萃香がその様子を知っているが、華扇は幻想郷内部でそれを見つけることは叶わなかった。
しかし『深秘録』において外の世界の人間である宇佐見菫子が「 深秘異変 」を幻想郷にもたらし、この二つの世界をまたいだ混乱に乗じて華扇は外の世界との回廊を形成することに成功した。
『深秘録』時点では、華扇が二ッ岩マミゾウに語ったところによればその探求は思うような成果を挙げなかった様子である(その発言がマミゾウに対するブラフでなければ)が、その後も華扇は外の世界で調査を継続した様子であり、ついに古寺で見世物として放置されていた、封印を施された「 鬼の腕 」を発見するに至る(『茨歌仙』)。
後に鬼華扇が語るところによれば、封印されていた年月は「 千年以上 」。
華扇は発見した「腕」を幻想郷に持ち帰り、封印の施された「箱」ごと博麗霊夢を通して博麗神社に預けることとする。
先述の通り「腕」にはかつての「 邪気 」が今なお健在であり、封印が解けかけていたこともあって、発見した華扇によれば既に複数の人間が「腕」の被害にあっていた様子である。
振り返れば、先述の通り華扇の何らかの「腕」求める姿は『茨歌仙』第一話より描かれ続けており、ついに腕発見かとなっても河童の腕(と銘のある箱に入ったマジックハンド)であったり、また別の機会ではとある人物からお前が求めるのはこれだろうと提示されていざ箱を開けてみれば明らかに目的のものではなくからかわれていただけだったりと空振りばかりで、時には都市伝説異変の際には「猿の腕」の都市伝説の力を発現して「腕」に縁する別の要素と関連することとなったり(『深秘録』、『東方憑依華』)と暗中模索や遠回りが続いてきたが、『茨歌仙』最終話に至るエピソードにおいてとうとう願いのものを掴むに至ったのである。
「断善修悪の怪腕」
復活を望む「腕」は預けられた博麗神社において早速活動を開始し、霊夢の精神を無間地獄(「 精神を閉じ込める罠 」)に堕してその力を自らのものとしようとする。
霊夢の精神は何もない空間をたいまつ一本を手にさまようこととなるが、その手元には「 鬼の腕 」と書かれた表紙を持つ封印の施された何かの箱も携えられていた。この箱は捨てようとしてもその放物の軌道を翻って霊夢の手元にまた戻ってくるという呪われた品であった。
霊夢は「箱」を見つけたことを後悔しつつとぼとぼと「 退屈 」な闇中の世界を歩く。
行けども行けども闇の中で、繰り返されるのは皮肉な歓迎の言葉を一方的に投げかける録音音声ばかりという状況にあって、しだいにお腹も空き、ついに大の字に倒れ込むこととなる。
しかし、この「空腹」という現象は無間地獄では起こり得ない変化であったことから、その異質を見た「腕」は霊夢と接触を図る。その声と影こそはこの怪異の主だろうとして袖中に携えていたお祓い棒によって迫る霊夢の攻撃を受けとめつつ、どうやったか精神だけの世界のはずの無間地獄に「肉体」を持ち込んだ様子であることを理解すると、博麗の巫女に賛辞を送りつつ、「腕」はその姿を現した。
霊夢の前に姿を見せた「腕」の姿は「 本体 」である華扇の姿を模したものであったが、両足に結ばれた鉄球のついた鎖などをはじめ、何より包帯でない生身の「腕」を持つことや、両側頭部に鬼の角を持つことなどに華扇との大きな違いがある。
この時の姿が、先述の通り設定資料において「影華扇」として示されている姿である。
影華扇は自ら「 鬼 」であることを語り、さらに霊夢に襲い掛かっていく。
影華扇と霊夢との対決や影華扇の容姿などについては「茨木童子の腕」記事も参照。
「奸佞邪智の鬼」
影華扇に圧倒されその力で地獄の地中から呼び出された無数の骸骨の群れの中に閉じ込められた霊夢であったが、ふいに骸骨の包囲から解き放たれる。崩れ落ちる骸骨の向こうの中空、霊夢の眼前には影華扇を羽交い絞めにする華扇があった。
「 あっはっは! なんてこった 本体じゃねーか 」(影華扇 / 茨木童子の腕、『茨歌仙』)
霊夢は「 いつもの良い方の茨華仙 」(※1)が現れたとして助かったと安堵するが、華扇は影華扇を「 我が相棒 」と称し、霊夢に背を向ける。そして影華扇に包帯の右手を差し出し、その手に影華扇が触れると包帯が勢いよく解き放たれ、その奔流の中で影華扇は右腕だけを残して消え、その右腕は包帯も介しながら華扇の右腕へと結ばれていく。
唖然とする霊夢の前で影華扇の残した影と華扇の包帯の下の右腕の靄が混ざり合い、勢いをつけて腕が華扇の体と合わさると、華扇の両側頭部のシニョンキャップを巨大な角が割り裂き、ここに、鬼としての茨木華扇が復活するのである。
「 我こそは四天王の一人 茨木華扇! 」(華扇 / 鬼華扇、『茨歌仙』)
腕を取り戻した華扇は腕や角をはじめ服装などの姿も変化している(後述)。
霊夢は元々の華扇も「 悪い方 」だったのかと驚くが、ここで華扇は意外な行動をとる。空腹にあえいでいた霊夢に笹の葉に包まれたおにぎりを放るのである。
曰く、空腹で万全でない霊夢を下したところで面白味はなく、ならば全力を賭せる状態になるよう腹を満たせとのことであった。霊夢は動揺と不穏を感じながらも、そのおにぎりを口にする。
「 お腹が空いているお前を喰らっても ひもじいだけだろ? 」(華扇 / 鬼華扇、『茨歌仙』)
なお、このおにぎりがヨモツヘグイの類となるかどうかであるが、ヨモツヘグイは黄泉などの別世界の食物等を口にすることによってその世界に固着させられるというまじないであり、このおにぎりが華扇が外から持参してきたものであるとみる場合は他世界の食物を口にするわけではないためヨモツヘグイにはあたらないと考えてよいだろう。
影華扇はともかくとして、それは華扇の望むところでもない。
お祓い棒やお札を駆使する霊夢と自らの肉体とその力で霊夢を圧倒する華扇(鬼華扇)との戦いは続き、ついに放たれた霊夢の渾身の<「夢想封印」>までをも鬼華扇は退ける(全て受け止める)。霊夢の光弾を「 痒い 」だけの「 花火 」にすぎないとし、この程度で「 封印 」などとは何たる笑止かとその力の差を見せつける。
この力量の余りの差に霊夢も膝をつきかけるも、ここに無間地獄に闖入するものがあった。
※1:「 良い 」には「 いい 」のルビのほかに黒丸による強調のルビ。
もうひとつの「天道」
霊夢が無間地獄に囚われて以後、その肉体は床に臥せて眠りから目覚めなくなっていた。
霧雨魔理沙や東風谷早苗をはじめ十六夜咲夜などが霊夢を心配して博麗神社へとやってきていた。魔理沙は永遠亭の八意永琳のところへと走り、早苗は霊夢を守る結界を施し、咲夜は料理を手に霊夢を訪ねていた。
また、霊夢については「霊夢のような霊魂がさまよっている」という別の形で冥界の霊魂の間でも噂されるものとなっており、魂魄妖夢がその噂に触れて霊夢のもとへと駆けつけている。
妖夢の談を受けてその場に居合わせた比那名居天子は、霊夢の状態について霊魂の抜けた状態であるとし、その霊魂の痕跡に独特の「 穢れ 」を察知する。そして霊夢の霊魂の行き先が「 地獄 」であると推理し、おそらくは地獄に落ちたのではなく何らかの「 攻撃 」によって地獄に引き込まれているのだろうとした。
天子は誰かからの攻撃ならば霊夢が勝てば帰ってくるだろうし、負ければそのまま地獄で閻魔の裁きの場まで行くこととなる(通常の行程にある三途の川をショートカットする)だけであろうからやきもきするようなことではないだろうとはしつつも、どうせ暇なのだから地獄関係者の縁のつてをたどって調べてやろうと腰を上げる。
ただし自信満々に解決してやろうと宣言したはものの、実態は「 ノープラン 」であり、笑顔の向こうでは実はどうしたものかと冷や汗をかいているのもまた天子らしさといえるだろう。
このときの天子は『東方憑依華』でも語られている通り未だ地上での謹慎中の状態のままである模様で、その状況下にあることは『茨歌仙』でも語られている。
天子は『東方緋想天』で語られたエピソードの頃に出会い、『茨歌仙』での今回の霊夢の一件が起こる前に華扇の屋敷で再会を果たした小野塚小町を訪ね、小町は天子の話に確かに奇妙な点があると感じると、「 閻魔様 」(※2)に聞いてみるとした。
その後天子は華扇を訪ねてこのエピソード以前に訪れていた華扇の屋敷(茨華仙の屋敷)を訪ねるが、屋敷全体に強力な封印がかかっている様子を訝しみ、これの突破を試みる。合流した小町の力も借りうけながら屋敷に入り、ある部屋で床に描かれた「鬼門だけが開放された陣」を見つけるとこれが「 地獄への通路 」であるとし、これを通して華扇が地獄と通じていることと今の霊夢の状態に華扇が関係していることを確信するのである。
天子はその「 奇門遁甲の知識 」を元に魔法陣を突破し、地獄への扉を開く。
天子はまさに「天」の存在である「天人」であり、「天人」は華扇などの「仙人」の目指すべき境地である。天子はその性格から華扇からも「 天人くずれ 」と評されるところであるがその実力は本物であり、性格こそ天人らしからぬところであるが人々の心に無頓着な天人とは異なり人々の機微を解し自らの心にも多面的な豊かさを持つのが天子である。
天人としての格と大地を操る力に加えて誰かに頼りにされて嬉しさを感じたりと人と人とのつながりの中に喜びを見る姿は、天子らしい天地人の三才の在り方と言えるだろう。
地獄という「天」とは対極にある場所で、華扇と天子の二つの天道が再び交わるのである。
※2「閻魔様」には「ボス」のルビ。作中ではこのとき四季映姫・ヤマザナドゥの姿が描かれている。
鬼の姦計と華扇の想い
先述のように、「腕」はかつての「 邪気 」もそのままに本体への再統合をもって鬼としての復活を望んでおり、腕の再統合を受け入れた華扇もまたその意思に同調しているかのように見えた。霊夢などは華扇が「腕」と再統合した様子を見て、「 あんたも悪い方の華仙だったの 」と問いかけている。
しかしその実、華扇の意思や想いは「腕」とは異なるところにあり、これは当初から変わらないものであった。「腕」との再統合を果たした後にも時折のぞく(切り替わる)普段の華扇の優しいまなざしとともに語られる言葉に、その真意がある。
鬼としての復活を果たし霊夢と対峙し、言葉と態度では霊夢を喰らおうと桁外れの力で攻め立てる一方で、華扇本人は霊夢にある期待を寄せていた。先に霊夢に与えたおにぎりにも別の意図があり、その包みに隠されていたとあるアイテムと、地獄にたどり着いてそれを見出した天子の助言と助力によって、果たして華扇の本意がどににあるのかが霊夢にも理解されるところとなった。
華扇は「腕」の望むような鬼としての復活を望んでおらず、外の世界での「腕」の回収の後にも幻想郷で再封印を施そうとしていた。華扇と「腕」が互いを求めあう邂逅の想いこそ同一であったが、両者の意思は全く異なるところにあった。
しかし封印そのものは「腕」単体ではなく「 邪気 」の本来の出処である華扇本人に施されており、「 腕単体では再封印も消滅も出来ない 」状態にあった。「腕」に籠められた「 邪気 」を封印するには、華扇本人を「 倒す 」必要があったのである。「腕」だけの封印がかなわないならばと、華扇は誰かに自らを打倒させることを決意する。そしてその適役として霊夢を見出した。
華扇は無意識のうちにも霊夢に自らを倒させる算段にむかっていたようで、先の通り幻想郷に持ち帰った「腕」はその後「 安全のため 」として博麗神社に預けていたが、「腕」が霊夢を取り込もうとするであろうことは華扇自身も予め想定していた範囲だったはずだとし、華扇は「腕」が霊夢と自らの意思で対峙し、そこに自らが合流して霊夢に立ちはだかるこの状況を期待していたのではと自問している。
また華扇はこの状況に至るために他の下準備も行っていた様子で、先述の通り、「腕」の予想では精神だけが存在する場所であるはずの無間地獄に肉体があるのは霊夢の何らかの力によるものであったが、霊夢の肉体を持ち込んだのは実際には華扇であり、目覚めない霊夢の肉体を見守っていた魔理沙や早苗が一時霊夢の枕元を離れて博麗神社の本堂を調べに向かった合間に霊夢の肉体を連れてきた様子である。
博麗神社本堂の柱や床面には爪で引掻いたような深い傷跡が多数残されており、また霊夢が普段使いする大入り札が破損した状態でいくつも残されていたために魔理沙や早苗もこれは何事かと霊夢のもとを離れて念を入れてここを調べることとなった。しかし二人が目を離したこの合間に霊夢の肉体は消失することとなった。
早苗は霊夢の肉体が消失した後になってから、本堂での生々しい戦跡は実は霊夢の周囲を守っている他者の注意をこの場所に集めることで霊夢の肉体から人目を引き離し、奪取するための何者かの策略だったのではと想像するが、無間地獄での霊夢の様子や華扇の行動の結果などを合わせると、実際のところ早苗の予想の通り「腕」が無間地獄に引き込む際に霊夢と争ったのではなく、霊夢の肉体を他者の目のないところで誰か(華扇)が取得する目的で、注意を他の場所に向けさせるために華扇が仕掛けたフェイクの可能性がある。
果たして魔理沙と早苗は、早苗の張った守護の結界があったとはいえ霊夢のもとを離れ、この調査の間だけ、現世の霊夢の肉体は誰の目にも触れない状態となった。そして他者の目がなくなった間に霊夢の肉体は現世から消え、無間地獄に閉じ込められたその精神と、霊夢本人も気づかぬうちに合流するのである。
「腕」の姦計は華扇の想定するところであり、華扇は「腕」に自らの意思を気取られないよう立ち回りつつ霊夢を支援し、かつ「腕」との再統合も果たし、その胸の内の本懐のために臨もうとしていた。
楽園の巫女の鬼退治
「 腕を再封印するのには 誰かが私を倒す必要がある
これはもう 霊夢にやらせるしか無いだろう 」(華扇、『茨歌仙』)
渾身の<「夢想封印」>も防がれて心も折れかけた霊夢であったが、華扇の屋敷から地獄へとやってきた天子の助言によって華扇がおにぎりの包みに仕込んだあるものに気づく。
天子はこれ以前にも地獄の気配を察知するなど鋭敏な感性を作中で披露しているが、この地獄にあっても、「 笹包み 」の中に潜まされた「 素晴らしい輝き 」を見出した。
この「 輝き 」こそ、かつて鬼としての茨木華扇の腕を切り落とした「 妖刀 鬼切丸 」のかけらであった。
稗田阿求によれば、種族としての強大な力を持つ「鬼」は単に力で圧倒しても打倒することは叶わない。鬼を退治するためには「 特別な道具で、特別な方法を使って行わなければいけない 」(「幻想郷縁起」、『東方求聞史紀』)。
この特殊な性質にあって、華扇もまた自らを退治させるために、自らに最も因縁深く、鬼を切ったという格と謂れをもつ「鬼切丸のかけら」を準備したのである。
「鬼切丸のかけら」を目にした天子もまた華扇の意思を見抜く。
「 自分の腕を再び切り落とさせる為に 霊夢に不意打ちさせるつもりだったのか 」
(天子、華扇の本意について。『茨歌仙』)
霊夢によって笹の中から取り出されたかけらを目にすると鬼華扇(の「腕」に由来する心性)はひどく動揺するも、「 本体 」が実は自身と志を同じくするのではなく自らを再封印することが目的があったことを悟り、霊夢と天子、そして自分自身の華扇に、ならばこれからは自らが「茨木華扇」のすべてを支配すると宣言する。
「 まさか自分自身に裏切られるとは 哀しいことだ 」
(鬼華扇 / 茨木童子の腕 『茨歌仙』)
他方の霊夢は華扇の真意を理解したことで心が整い、天子の支えのもとで再び立ち上がる。
「 華扇が二人いて それぞれ味方と敵だと言うことが判ったから それで良い
これならば 迷うことはない! 」(霊夢、『茨歌仙』)
天子の助力を文字通り地獄に天の救いとし、霊夢は華扇の期待の籠められたかけらを掲げて再び鬼の華扇に向かっていく。
「 私は異変解決の専門家 博麗霊夢! 不意打ちなど必要ない
もう何度目かの鬼退治 今回も必ず成功させてみせる! 」(霊夢、『茨歌仙』)
かつて鬼は人間たちが自分たちの討伐に際して卑劣な手段をとるようになったことで両者の種族の溝を感じいずこかへと去って行ったが、図らずも鬼自身が仕込んだ「 不意打ち 」のための下準備に気づかなかったために結果としても不意打ちを行うことなく、しかしそれに気づいてなお「 不意打ちなど必要ない 」とする霊夢の堂々たる姿勢は、在りし日の鬼と人間との真正面からの対決、まさに古来の鬼退治を彷彿とさせるものともなった。
容姿
本項では「奸佞邪智の鬼」としての鬼華扇の容姿について主に記述する。
また、鬼華扇の経緯に連動した、先述の他二種の華扇の内一種の姿についても記述する。
通常の華扇の姿については「茨木華扇」記事を、影華扇の姿については「茨木童子の腕」記事を参照。
- 鬼華扇
鬼華扇についてはあずまあやによる設定資料による詳細(正面姿)をはじめカラーや後姿なども描かれており、作中での情報量は豊富である。
また本編中で華扇と影華扇とが合一した直後の見開きページでは花びらの舞う中で統合した右腕を伸ばし目を見開いた華扇が描かれており、終盤における巨大なインパクトとなっている。
「奸佞邪智の鬼」の二つ名もこの見開きページではじめて登場している。
鬼華扇には、華扇からの身体的変化と服装的・装飾的変化の大きく二種類がある。
身体的変化では、華扇との大きな違いは右腕が存在することや両側頭部の一対の大きな角などであるが、ロングヘアとなっている点も違いである。髪が長くなっているのは設定資料によればあずまあやからの提案による。頭頂部の髪のハネ(アホ毛)はなくなっている。
角についてはあずまあやによれば「 影華扇のストレートなツノをもう一段階ぐぐっと伸ばし 木の枝のように節ができている 」というデザインのコンセプトがある。
また影華扇では長かった右手の爪は左手と同様の長さまで短くなっている。
作中ではそのまなざしは強さをたたえ厳しいものとなる事が多い。影華扇のような悪意のある嘲笑のような見下しの眼差しではなく堂々とした純粋な強さがにじみ出ている。
ただし華扇本人がその心理の主導をとることがしばしばあり、その時には普段の華扇のようなまなざしになる。作中では鬼華扇と普段の華扇、または「腕」主導の心理の切り替えの開始点が表情の変化だけでなく「瞳」の変化を通しても描かれている。
服装的・装飾的変化としては、スカートの丈が長くなっていることやスカート丈の延長とともに前掛け部分も長くなっていること、影華扇が足に括りつけていた球(「 鉄球 」)のついた鎖と足枷が腕に移動している点などが見られている。
「 もどったうでを強調する 」意味合いからノースリーブとなっており、これまでの華扇の服装では見ることの出来なかった両肩があらわになったデザインとなっている。
スカートの配色も薄い緑色から白に変化しており、あずまあやはこのデザインについて「 カッコ良く、キレイ系になるように心がけて… 」としている。ロングスカートの下では足首の枷からのびる鎖が足をさかのぼるように膝方面に向かって絡みついており、描かれている範囲ではひざ裏ほどまで巻きついている。
華扇同様に、または影華扇とは異なり、足には装飾品や靴以外にはなにも着用していない(影華扇は「 タイツ 」を着用)。
また色の変化という点では前掛けの色も普段の華扇の赤系統から黒系統へと変化している。
黒系統の色の前掛けは影華扇と同様であり、影華扇の要素を受けたものか。
ただし『茨歌仙』第十巻総扉絵にもみられるように地獄に赴いた華扇がこのときはそもそも黒系統の前掛けを着用していたという可能性もあるため、カラーの変化が起きていたのか、あるいは三者とも元々黒のカラーであったのかは議論の余地のあるところである。
華扇はこれまでにも黒系統のカラーの前掛けを着用していることもあり、冬服でも上着などで濃い色の服を着用することがある。
その威容と気配について、天子からは「 邪鬼 」とも。
この姿は回想として描かれている千年以上前の、腕を切り落とされる前の過去の華扇とほぼ同一で、鬼華扇の姿はまさにかつての鬼としての華扇の姿であったことを見ることができる。
しかし本編に至るように華扇の腕は切り落とされることとなるのであるが、この後、「 邪気 」を失った華扇はまた異なる姿になる。
- 腕を失った後の過去の華扇
腕を切り落とされ「 邪気 」を失い新しい道を求めようとした際の華扇の姿はまた異なる。
鬼華扇のようにノースリーブであるがスカートのカラーが変化しており、まだ華扇のように包帯で右腕を形成するようなこともしていない。髪は短くなり角も大きく縮んでいる。
これまでははっきりとしていなかった右腕の欠損の度合いも見ることができる。
この姿は華扇自身の過去の回想の中に登場する。
雨に打たれ厭世の想いを抱きながらも、新天地を目指そうという志を湛え正面を正視した力強い華扇の眼差しが描かれている。
その他の場面では
本編中での登場の他、イラストカットなどで鬼華扇や影華扇が描かれることもある。
例えば『茨歌仙』最終話見開き扉絵では目を閉じた華扇の横顔とともに鬼華扇、影華扇が描かれており、さらにシニョンキャップを着用していない華扇の後ろ姿が描かれている。
また『茨歌仙』単行本第十巻(通常版)あとがきでも道の上に立つ華扇を手前にし、その奥に鬼華扇と影華扇の姿が見られるなどいずれもそれぞれのカットならではの形で至る華扇の歩みを象徴的に見ることができるものとなっている。
特に後者のものは最終話中の、華扇のこれからの決意や想いが語られるシーンにおいてやはり描かれている自身の二つの姿から伸びるこれからの未来を想うカットを彷彿とさせるものでもある。
『茨歌仙』単行本第十巻(通常版・特装版ともに)カバー下には、優しいまなざしの鬼華扇と、満面の笑顔の影華扇の二人が描かれている。本編中の緊張状態の中では見ることの叶わない、穏やかで朗らかな様子の二人である。
関連イラスト
- 山の四天王の三鬼
関連タグ
『茨歌仙』にみる華扇の様々な服装
外部リンク
その後
華扇の目論見は霊夢と天子によって成功し、再び腕は切り落とされ華扇はその願いの通りに倒された。霊夢の精神も無間地獄から解放され肉体もまた現世に戻ることに成功する。
同じく地獄から帰還した天子は、霊夢を心配して博麗神社に集まっていた面々に事の経緯を語る。しかしとある考えから今回の件を起こしたのが誰であったのかや華扇の正体などについては語らなかった。
一方の霊夢は戦いの後も残った「腕」の処遇に苦心していた。「鬼切丸」のかけらと思しきもので刺しても「腕」は倒せず、切断された状態でも未だに指先が動くなど活動を続けていた。
そんな困り果てる霊夢の前に、倒れたと思われていた華扇が現れ、倒し切ることのできない「腕」をどのようにすれば良いか霊夢に助言する。
華扇の指導の下で「腕」は再び木箱に封印されることとなった。
封印は新たに成ったものの、さて、ではこの「腕」はこれからどのようにしていけばよいのだろうかと今後の取り扱いについて新たに悩む霊夢に、華扇はある提案をするのである。
その後、「腕」の入った箱は華扇の手元に戻る。
満月の夜、自らの屋敷で華扇は求め続けた「腕」を手中にし自らの想いがどこにあるのか再び心を巡らせる。そして自らの歩むべき「道」をもう一度心に留めると、丸窓を通した夜景を前に、立てかけた箱に杯を供えてやわらかな笑顔で乾杯するのである。
「 お帰り 我が相棒よ 」(華扇、『茨歌仙』)
華扇の実際を知る人物たち
『茨歌仙』最終話時点では華扇の正体と直接対面した様子が明示されたのは霊夢と天子のみとなり、また両者ともそれぞれの理由から華扇の正体を誰かに語るようなことは特別な事情がなければ今後もないであろうことが語られている。
今回の件の全体像は霊夢や天子、そして華扇の胸の内にのみ収められることとなった。
今回の件の霊夢や天子の他には、本編中では小町をはじめ萃香や紫などが華扇の正体を知っている、あるいは気づいているような描写が見られている。
霊夢戦後の華扇の容姿
先述の、過去の腕を切り落とされた後の華扇に最も近い姿・服装の状態が、現代時点での、霊夢戦の後に霊夢の前に現れた華扇の姿である。
元の華扇の服装と同様に袖のある服装、肩ほどまでの髪の長さ、華扇が着用していたものと同程度の長さのスカートと、ほぼ茨華仙を名乗るいつもの華扇と同じ服装に戻っている。
違いは、右腕が肩周辺まで欠損状態にある点と、角が隠されていない点である。
また角は鬼華扇時よりもはるかに縮み、腕を失った頃の過去の華扇と同程度の大きさ、シニョンで十分に隠れるほどの大きさへと縮小している。
鬼としての「 邪気 」のない、これまでと同じ、霊夢の言葉を借りるならば「良い華扇」に通じる姿である。
霊夢の前に現れたその後、『茨歌仙』最後のシーンでは包帯による右腕を再生させ、シニョンキャップをつけたこれまで通りの華扇の姿をとった。
この姿は「仙道」を往く「茨華仙」としての華扇の姿でもあり、求めてきた「腕」を手に入れてからの華扇がこれから幻想郷でどのように歩んでいくかを象徴的に示すものともなっている。
『茨歌仙』終盤で描かれた華扇の五つの姿を総合すると、作中登場順に次のようになる。
人物など | 時代 | 概要 | 二つ名 |
---|---|---|---|
茨木華扇 | 現代 | 「茨華仙」。「腕」の称するところの「 本体 」 | 「片腕有角の仙人」 |
茨木童子の腕 | 現代 | かつての討伐時に切り落とされた華扇の右腕。霊夢の前に顕現した際は影華扇 | 「断善修悪の怪腕」 |
「鬼華扇」 | 過去または現代 | 鬼としての過去の華扇または右腕と再統合を果たした現代の華扇 | 「奸佞邪智の鬼」 |
過去の華扇(回想) | 過去 | 腕を失い、「 邪気 」も失ったことで心の在り方が変化した際の華扇 | (この時期についての個別の二つ名はなし) |
霊夢戦後の華扇 | 現代 | 霊夢との決戦後に現れた、角を隠さず片腕を修復してない状態の華扇 | (この姿についての個別の二つ名はなし) |
華扇と霊夢
『茨歌仙』での二つ名の通り、「片腕」にして「有角」の姿を、「仙人」として道を往くという志の元で再び体現したのが霊夢戦後の華扇の姿であり、包み隠すことのない「鬼」としての自らの姿と、しかしその志す生き方は天道に悖るものではないという想いとを霊夢に確かに示したのがこの時の華扇である。
最終エピソードで華扇は「腕」を通して自らの過去と向き合い未来を見出すが、この境地に至った華扇の姿が象徴的に描かれているものとして『茨歌仙』単行本第十巻特装版の表紙デザインがある。同デザインでは再封印された箱(封印の仕方・札の位置が霊夢による封印よるものと一致する)を胸元に抱き、穏やかに瞳を閉じる華扇が描かれており、「腕」の発見という長きにわたる大願を成して失われた自分自身を取り戻し、そして霊夢たちの力によって封印も成すことができたという自身の願いを最も良い形でかなえることができた華扇の姿を見ることができる。
特装版表紙デザインは多数のキャラクターが描かれた通常版表紙デザイン(あずまあや画集の『はなおうぎ』によれば24名)とは異なり、華扇と霊夢の二人だけが描かれている。
鬼としての華扇、そして大きく縮んだものの「有角」の鬼にしてその歴史から「片腕」を失ったありのままの華扇の姿の両方と出会ったのは『茨歌仙』作中では霊夢一人(前者の鬼としての華扇と天子は、後者の華扇と交流している様子は描かれていない)である。
華扇は霊夢に期待し、対決の果てに華扇の望む通りの結果をもたらしたが、『茨歌仙』作中では華扇は霊夢に修行をつけたり一緒に出掛けたり、ともに怪異に挑んだり宴会や食事を楽しんだりと交流を深めてきた、これに至るこれまでの歩みもまたあり、『茨歌仙』の終盤はまさに華扇と霊夢とのこれまでの歴史の為せるものともなった。