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末堂アケミ

すえどうあけみ

末堂アケミとはゲーム「デジモンストーリーサイバースルゥース」の登場人物である。
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概要編集

CV:家中宏


仮想現実〈EDEN〉の開発に貢献した企業『カミシロ・エンタープライズ』に所属する科学者。

基本的に紳士的な言葉使いで話すが、それ以上にエキセントリックな性格、突飛な学説を展開するなどにより、学会ではニコラ・テスラとも例えられる。

科学者としての能力も超一流だが自分を科学者として絶対視しておらず、他者の意見を積極的に取り入れる柔軟性を持つ。


尚、過去に彼と出会った又吉刑事からは、存在を忘れ掛けてしまう程に人前に出なかったため、彼からは『人嫌い』の人物と認識されていたが、劇中では諧謔の嗜みを持つ面を見せている(岸部リエとの密談の場では、わざと悪役らしい高笑いを上げた後に「こんな感じで良いですかね?」と確認する姿などを披露した)他、自身が得た情報や知識を他人に教授・披露する等々、実際はサービス精神の塊そのものな人物である。

それもあり『人嫌い』よりは『自分が興味を持った事象or自分に興味を持った存在以外に無関心』なのが正しいのかも知れない。

現在は上記の企業に所属し、東京で出現する怪奇現象の『デジタルシフト』や、謎の怪物・イーターの解析・研究を行っている。


不気味な容姿やテーマ曲で誤解されがちだが、一般人と価値観が若干違う点を除けば「この世から悲しみをなくしたい」と真剣に考えている、割と善人寄りな人。


またこの手のマッドサインティストとしては珍しく、デジモンを『データの塊』ではなく『人間と同じように個の感情を持つ知的生命体』と見なしている。


関連タグ編集

デジモンストーリーサイバースルゥース


中島朱実:同じファーストネームを持ち、異世界に関わる事態となった天才繋がりで、モチーフの1つではないかと推測される。ちなみに彼が登場した女神転生はナムコから発売している。


















ネタバレ注意!!編集



















実質的にこの作品群におけるトリックスターにして、殆どの事象の元凶(しかし、黒幕諸悪の権化ではない)。

前述の通り『この世から悲しみをなくしたい』と願う善人であるのは事実だが、それを行うために普遍的な摂理そのものの改変=新世界の創造に至り、それを実行する為に着目したのがイーター(=情報の収集・共有・統合・伝播能力)デジタルワールド(=イグドラシルの演算処理能力)であった。

イーターのデータを得るべく、時に岸部リエ(と同化した存在)と結託し未曾有の人的被害を出しながらも、リアルワールドの崩壊を防がんと達と協力し、タカ派ロイヤルナイツの目論見の打破に協力する等々、自分の目的のためならば一貫性のない行動を容易く採る柔軟性を見せた。


又、その過程で過去の悲劇を思い出し、トラウマに苦しむ少年が持つ「(誰か救う為の)力の渇望」を、自身が望む「普遍的な摂理そのものの改変=『進化の意思』」と見なし、それを実行する術(=イーターを取り込み、その力を自分のものにする)と処置(=イーターと同化した際の主導権を少年が堅持する)を施す行為もした。


最終では今まで得たイーターのデータから、末堂は『特別な権限でイーター独自のネットワークにアクセスする』形でイーターの一部と化し、イーターの本体であるマザー・イーターの許へ主人公達と共に向かい、主人公達がマザー・イーターのコアとなってしまった悠子の実兄を救出する。

だが、イーターを抑制していた少年が解放されて、逆にイーターの暴走が始まりそうになった寸前、末堂は「どんな小さな世界も、滅ぶことなど許しません どんな小さな悲しみも、生まれることを許さない…!」「そんな新しい世界の秩序そのものに― 私はなりたい」と声高に宣言するや、彼に代わって自身がマザー・イーターのコアとなるべく、率先してそれに取り込まれていった。

マザー・イーターと完全に一体化した末堂は「これで…これでようやく、世界を再構成できる… 歪んだものや醜いもの、悲しいものを消し去ることができる!」と、確信に満ちた歓声を発し遂に自らの悲願・この世から悲しみをなくす=新世界の創造の実行を開始した……が、彼の行為に疑問を覚えた主人公達により、マザー・イーターを倒され悲願達成が不可能になってしまった。

倒されたマザー・イーターの処置を仲間達が論議する中、主人公は「もう、誰も置き去りにしたくない」思いから、自らマザー・イーター内部にコネクトジャンプした。

自身を救出しに現れた主人公に対し、末堂は絶望からそれを頑なに拒否していたが、問答を繰り返す内に主人公の口から出たエゴの言葉をきっかけに、不意に「神は賽を投げない」と叫ぶや否や、『賽を投げる神の投げる賽をつくる神の存在を導く理論』(ややこしいが、要するに「賽を投げる神」とは別に「その賽を作る神がいるのではないか?」「そして神が賽を投げるのではなく賽に転がるのを命じるだけで、人間の中でも事件に関わる位置にあり、特異点と呼べる能力を持つ存在が賽として動いただけなのでないか?」「人間や世界が悪いのではなく、事件自体は起きるべくして起きて、人間はその事件の構成物なだけなのでは?」とする考え)を着想、その説が事実であるかを検証すべく「賽である主人公はリアルワールドに戻り、観測者たる自分とイーターはリアルワールドに干渉しない為に消滅する=イーターが本来存在する次元に帰還する」と決定、イーターが存在する次元に留まるのを選択した(尚、その選択に主人公が異を唱えようとしたが、それを封殺するように末堂は「これは私のエゴですから」と意趣返しをした)。


最終的に末堂は和解こそしたものの、主人公と共に帰還しなかったと、もの悲しい最後を迎えた。


評価編集

彼の行動理念そのものには一切のブレがなく、本質は確かに善人だった。

実際に最終盤で見せたマザー・イーターのコアになる行為は、末堂アケミ個人が幸せになる権利の放棄であり、そこだけを見れば正に滅私奉公の体現者とも評価できるだろう(もっとも『悲しみのない世界の実現』こそが末堂個人の幸せなので、権利の放棄とは一概にできないが……)。

しかし、目的に至る過程に発生する犠牲にはとんと無関心で、時に「進化に対応出来なかった」「思考を停止した哀れな存在」と酷評・無慈悲に切り捨てる場面さえあった(無論、これは自分の悲願が成就すれば、全ての犠牲者が復活する前提があるからだが)。

それ故か悲劇に繋がらないのであれば、万人のあらゆる欲望を肯定し、その望みを叶える為への助力を惜しまないと、異常とも異様とも例える博愛精神と懐の広さを併せ持ち、末堂の言動が琴線に触れた人物には、ある種のカリスマ性となって見える。その善良さは主人公の仲間が「あの人に委ねるという選択肢もある」と、一定の信頼を抱ける程である。


だが、末堂の悲願である『この世から悲しみをなくしたい』と願った経緯が、劇中ではほぼ記されていない為、最後までその最奥を知るのは不可能である(断片的に分かるのはを原因とした人と人の離別の否定』『生きる上で常に付き纏う苦悩からの解放』のように思われる)。

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