別名
正一輔漢天将、雷火一炁真人、桓侯大帝忠勇義烈天尊(『桓侯雷闕忠勇尊経』)
正一雷闕至尊桓侯大帝、輔漢天将桓侯大帝、正一雷闕至尊桓侯忠勇大帝(『正一雷闕桓侯大帝明倫忠勇宝懺』)
概要
「張桓侯大帝」とも。関羽(関聖帝君)と同様に、張飛もまた死後に神格化された。劉備もまた神格化されており、桃園の誓いをしたこの義兄弟三人をまつった道教寺院(三義廟)も存在する。
関聖帝君ほどではないが、張飛やその家族を祀った廟は存在している。
道教においては「雷部」に属する神(道教神祇)とされている。『貫斗忠孝五雷武侯秘法』においては諸葛亮も雷部の神とされ、その主将とされているが、張飛をはじめとする五虎大将軍は陰雷副将として補佐役とされている。張飛はそのうちの「右将軍」だという。
このほか神としての張飛について記載した文献として『洞冥宝記』(巻五・第二十一、第二十二回所収「張桓侯大帝降壇詞」)などがある。
家を守る魔除けの神「門神」の一人であり、春節に貼り出される赤い門神の札では関帝と対をなすように彼の絵が描かれることも多い。
破魔の神としての関羽は「三界伏魔大帝」と呼ばれるが、張飛はその補佐役として「伏魔副将」と称される。
張飛は神としての関羽が赤い肌や顔で描写されるのに対し、張飛はしばしば黒い肌や顔で描写される。
このほか、茶褐色、浅黒い肌で描写される例も多い。『桓侯雷闕忠勇尊経』では龍鎧をまとい、蛇矛を武器とすると描写されている。
六度の下生
『桓侯雷闕忠勇尊経』では地上に六度生まれ変わった事があるとされ、文人と武人が3名ずつとされる。
- 一度目:龍逢(関龍逢)「夏以龍逢一世,能將直言諫君。」
夏王朝最期の帝・桀王に仕えた大臣。酒に溺れ、妃となった美女・末喜の求めに応じて宴と浪費に国費を費やした主君を諫めたが、処刑された。
- 二度目:比干「商以比干二世,忠言不入挖心。」
商王朝(殷)最期の帝・紂王に仕えた大臣。妲己に唆され酒池肉林等の放蕩行為に心を奪われた主君を諫めたが、心臓を抉り取られて死亡する。龍逢と並び諫言を実践する忠臣として名高い。「文財神」として信仰を集める。
- 三度目:蘇信「周以蘇信三世,為國治民忠心。」
周朝時代の人とされるが、史実の人物の誰に対応するのかはっきりしない。
- 四度目:張飛「漢以翼德四世,扶持炎漢乾坤。」
『三国志(正史)』の「益徳」ではなく『三国志平話』『三国志演義』準拠の「翼徳」が用いられている。前述の「蛇矛」も『演義』での得物である。
- 五度目:張巡「唐以張巡五世,拒賊不屈身亡。」
唐代の武将。唐玄宗の時代に起こった「安禄山の乱」の鎮圧にあたる。
- 六度目:岳飛「宋以岳公六世,精忠上報朝廷。」
南宋の将軍。女真族系の金勢力との戦いで大功をあげたが、宋において金との和議路線が強まると、民衆からの支持もある彼の存在は政敵の邪魔となり謀反の罪を被せられ処刑されてしまう。
死後、神格化され明代には「三界靖魔大帝忠孝妙法天尊岳聖帝君」に封ぜられた。
以上の六度の転生にわたる「精忠無愧」の実践によって彼は上帝に認められ、天廷(天帝の宮廷)に迎えられ、雷部と火部の職務を担う神将となったとされる。
主な張飛廟
- 張桓廟
重慶市(「市」という名だが、「省」並みの規模を持つ行政区分)の雲陽県にそびえる飛鳳山の麓に建てられた墓廟。伝承によると、部下に殺害された張飛の首が葬られた場所である。范彊と張達は張飛を殺害し、その首をもって対立していた呉に渡ろうとしたが、その最中に蜀と呉の間に和睦が成立したのを知り、長江に捨てたという。首が川岸に流れ着いたところを現地の老人に拾われ、葬られたという。2002年、同地に三峡ダムが建設される折に、32km離れた盤石鎮の龍安村に移転されている。
- 漢桓候祠
四川省南充市にある墓所で「閬(ロウ)中古城」の敷地内にある。ここには胴体が葬られている。唐の時代には「張侯祠」、明の時代には「雄威廟」、清の時代には「桓侯祠」とも呼ばれた。閬中古城は蜀の武将としての張飛が拠点とした場所であり、ここで殺された。閬中古城には、墓亭、墓地のほか、山門、敵万楼、納屋、大殿、後殿などを備える。現在見られる偉容は明と清の時代における再建事業によるもの。