泉健太
いずみけんた
旧民主党時代に当選し、民進党、希望の党、国民民主党を経て2020年に立憲民主党へ入党。2度目の代表選挙で、枝野幸男から代表の座を引き継いだ。
プロフィール
生い立ち・少年時代
4人兄弟の末っ子。兄の影響もあり、幼い頃は根っからの野球少年だった。将来の夢を「プロ野球選手」と語り、本気で甲子園を目指したほどのレベルである。
また、少年時代から政治や歴史に興味を持っていた。小学生の時に足が不自由なシニアの女性が泉の家の隣に住んでおり、泉がその女性の家の雪かきを手伝った。すると、女性が泉にヨーグルトをくれた。この体験が政治家になりたいと思った最初のきっかけであり、本人も「誰かが喜んでくれることの喜びが(政治家を目指す)原体験になっている気がする。」と後に語っている。
大学時代からの経歴・人物
立命館大学では弁論部に所属した。この弁論部に所属していた大学1年時代に、全日本学生弁論討論交流会初代会長で後に立憲民主党衆議院議員となる森山浩行(当時大学3年)や、同会初代事務総長で、後に憲政史家・救国シンクタンク理事長となる倉山満(当時大学2年)ら等と知り合う。また並行して災害・環境・街づくりボランティアや政治啓発運動にも取り組み、大学法学部長賞を受賞した。
卒業後は福山哲郎の秘書に就任。そして2000年に民主党からオファーを受け、衆議院議員選挙に京都3区から立候補したが次点で落選。リベンジを誓った2003年の衆議院議員選挙で同区から初当選し、以来8期(2021年現在)連続当選!
立憲民主党代表に就任した2021年までは、枝野・玉木雄一郎・蓮舫といった立憲民主党や国民民主党に所属した他の主要議員に比べて比較的影が薄い存在と世間から思われていたが、1期目に立てた「10回質問する」という目標を達成しそれ以降も延べ250回以上の質問をしたことに加え、24本の法律を作るなど、とてつもない努力家である。
いわゆる右翼でも左翼でもない中道の思想を持っている。そのため、比較的左派の議員が多い立憲民主党の中でも中道系議員の代表となっている。
代表に就任した後は、「怒ったような口調でスキャンダルばかり追及する、すなわち批判ばかり」という党のイメージを変えることと党の支持率(特に10代から30代といった若者からの支持率)を上げることの2つに苦しんでいる。本人は以前所属していた国民民主党の様な「批判ありきではない、政策提案型の野党第1党」を目指しているが、一部の議員から「批判をもっと多めで良いのでは?」という指摘が出たこともあり、再び「批判ばかり」の路線に戻してしまった。また、安倍晋三の国葬について「(安倍氏の)冥福を祈り、静かに見守りたい。」と持論を述べたが、しばらく経って「国会での説明や審議もない状況の中で、政府の決定には賛同しかねる。」と手のひら返しをしたように反対姿勢を明らかにした。このように、優柔不断なところが(特に代表に就任してから)多く見られており、まだまだ党の代表としては未熟とも考えられる。
一方で、代表に就任して初めて臨んだ国政選挙である2022年の参議院議員選挙で大きく議席を減らし、比例票でも日本維新の会の8議席(立憲民主党は7議席)に屈するなど惨敗といっても良いぐらいの結果に終わった後に蓮舫や辻元清美らから「(泉も含め)執行部を刷新してほしい。」と言われても「(就任して半年あまりというのもあり)まだ代表を続けたいと思います。」という責任感の強さもある。
ただ辻元や蓮舫などの指摘を受け、8月26日に執行部を改めた。泉に近い大西健介選挙対策委員長や馬淵澄夫国会対策委員長、さらには自ら辞めたいと話した小川淳也政調会長などを解任し、幹事長に岡田克也、国会対策委員長に安住淳、政調会長に長妻昭と重鎮議員(しかも民主党政権時代の中心メンバー)をたくさん起用した。(なお泉と代表代行の逢坂誠二は続投。幹事長だった西村智奈美は代表代行に起用。)これにより、党としてなおさら「批判ばかり」のイメージを強めるようにした。とはいえ2024年4月の補選では3つの選挙区で勝利。今後の情勢についていけるか、その力量が問われている。
立憲民主党に入党した後は、大西健介ら国民民主党出身の議員と「新政権研究会(通称「泉グループ」)」を結成した。なお、自身が代表に就任した2021年11月に一旦グループの会長を辞めた。
また、第100代内閣総理大臣である岸田文雄・日本共産党の委員長である志位和夫と誕生日が同じである。このことについて本人は「運命的なものは感じる。現在の日本の国政政党という、そう数は多くない中で3人が同じ誕生日というのは不思議な気もするし、来年、一緒に誕生日を祝う会をもてるのかどうかということも一つの楽しみにしていきたい。まずは先輩方がそういう場を作ろうという風に思ってくださるか、そこはぜひお二人にもお伺いしてみたいなと思っている。」と語った。
さらに、岸田の政策が「立憲(の政策)と同じ」と前置きした上で「(もし岸田氏が自民党の総裁、すなわち総理大臣に就任したら)連立を組めるのではないかと思う。」とも語った。しかし2022年の参議院議員選挙での自民党と立憲民主党の政策は全く違った。
理想の国家像は「生きづらさを感じる人々が力を発揮できる社会」。これは1回目の代表選挙で明かした。
山岸一生曰く「いつでも明るく活発な人」。
泉ケンタ 政治活動で使う表記。自身のホームページ・ビラ・ポスターなどでその表記が使われている。