花の生涯
はなのしょうがい
NHK大河ドラマの記念すべき第1作目で、1963年4月7日から12月29日にかけて、全39回を放送。
舟橋聖一が、1952年から1953年にかけて『毎日新聞』紙上で連載した同名の歴史小説を原作とし、幕末の大老・彦根藩主井伊直弼の生涯を描く。
放送当時はまだ「大河ドラマ」という呼称や概念が存在せず、「大型時代劇」と称されていた他、現在と異なり放送期間は4月スタートの9ヶ月間、基本の放送時間も毎週日曜20:45-21:30、映像もモノクロであった。
「大河ドラマ」という名称が生まれたのは、次作『赤穂浪士』のことを新聞のテレビ欄が「大河ドラマ」と称したことがきっかけであると伝わる。
本作の放送開始より遡ること2年前、1961年に就任した当時のNHK芸能局長が、当時技術的に稚拙であり、映画に比べて下に見られていたテレビジョン放送を映画を凌駕するものとすることを目指し、30分枠が主流だったテレビドラマに映画並のクオリティーと大衆の支持を得るべく、大河ドラマの制作を志向した。
大河ドラマの構想は、NHKとRAI(イタリア放送協会)が合作した『二つの橋』に参加した演出の合川明、井上博、脚本の北条誠が帰国してから具現化した。
北条誠は、これ以前にも『花の生涯』の舞台脚本を書いた経験があったため起用された。
当初から大スターを集めてのキャスティングが図られ、映画各社、歌舞伎座などを交渉した結果、松竹演劇部が「歌舞伎を一切休まない」ことを条件に、尾上松緑の出演を認めた。
また当時、映画俳優の間では「五社協定」(日本の大手映画会社・松竹、東宝、大映、新東宝、東映の間で結ばれた専属俳優に関する協定)が結ばれており、それぞれの会社の専属俳優はテレビには出演できず、NHKプロデューサーが芸能局長命令によって松竹専属俳優である佐田啓二との交渉をすることになった。佐田は1962年夏に出演を決め、これにより五社協定は崩れることとなった。
全39回のうち、映像が現存しているのは第1回「青柳の糸」の全編と、第37回「君消ゆる」の一部(桜田門外の変のシーン、およびその撮影時の様子)のみであるとされる。このうち前者については、2003年にリリースされた『NHK想い出倶楽部2〜黎明期の大河ドラマ編〜(1)花の生涯』に収録されている。
また、これら現存している本編映像については、AI学習などによってカラー化が施されたバージョンが、2023年2月5日に『カラーでよみがえる!大河ドラマ第1作「花の生涯」』としてNHK総合テレビにて放送された。
2023年2月4日に、NHK総合テレビにて放送。
生田斗真が演じる助監督を主人公に据え、本作の制作の舞台裏をコメディタッチで描いた、ドキュメンタリー風のドラマである。
一部の登場人物の名前、それに作中で描かれるエピソード(※)など、ドラマ用にアレンジされた要素も含まれているものの、基本的には実話を元にしており、生田の演じる助監督・山岡も、当時『花の生涯』に演出助手として関わっていた大原誠がモデルとなっている。また、作中にて実際に撮影場面が流れたシーンは、カラー化された第1回「青柳の糸」で確認することができる。
ちなみに、劇中でNHK芸能局長・成島を演じた中井貴一は佐田の息子であり、ドラマで中村七之助が佐田を演じるにあたり、亡き父の形見の腕時計を渡したという裏話がある。また、意図したことか偶然かは不明だが、ドラマのエンディングで中井の名がクレジットされたタイミングで、実際の『花の生涯』で佐田演じていた長野主膳が映るという感慨深い場面もあった。
(※ 作中、山岡が佐田啓二に出演をお願いするべく日参したというエピソードは、実際はプロデューサーの合川明が交渉に当たっていたことを、大原自身が後年明かしている)