飯原誉士
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いいはらやすし
栃木県小山市出身の元プロ野球選手。
中学校時代の野球部の後輩には後にチームメイトとなる成瀬善久がいる。
地元・小山高校時代までは投手。プロのスカウトが注目するほどの逸材だったが、ケガの影響で白鴎大学時代は外野手に転向した。2005年大学・社会人ドラフト5位でヤクルトスワローズに入団。
プロ入り後はルーキーイヤーから一軍出場。ポジションは本職の外野に加え遊撃手も務めた。2007年には岩村明憲のメジャー挑戦に伴い畠山和洋、宮出隆自とともに三塁手に挑戦。守備面で安定しなかったものの三塁だけで118試合に出場した。
2008年はアレックス・ラミレスの移籍に伴い開幕スタメン入り。一時は福地寿樹の台頭でレギュラーの座を奪われるものの、アーロン・ガイエルの不振などですぐに奪回。青木宣親が北京五輪に参加中は3番を任された。
2009年は出場が100試合を割ったものの、2010年には130試合に出場して15本塁打をマーク。しかしチャンスで結果を残せない、盗塁数が減少するなど課題を残した。
2011年はこの年導入された統一球の影響か成績が悪化。2012年は出場機会がさらに減少してしまった。
その後も主に控え選手として出場し続けたが、2017年オフに戦力外通告を受け退団。独立リーグ・BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに村田修一らとともにヘッドコーチ兼任で入団し現役を続行、2022年からは選手登録を外れ野手総合コーチとなった。
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