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CAN

きゃんまたはかん

英語で可能性を表す助動詞、缶のこと。またはドイツのロック・バンド。
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曖昧さ回避編集


助動詞の「CAN」編集

可能性

~できる、~しようと思えばできる、~する能力がある。


推量

~する可能性がある、~することがあり得る、~になることがある、~にならないとも限らない。


ロック・バンドの「CAN」編集

西ドイツで結成されたロック・バンド。

後のパンクニュー・ウェーブオルタナティヴポスト・ロックなどに大きな影響を与えた。


中心メンバー編集

結成時のメンバーからデイヴィッド・ジョンソンが抜け、以後は音楽的修練を積んだ中心メンバーたちが素人の面白さを引き出すという形を取っていたが、ダモ鈴木が抜けた後は主に最年少のミヒャエル・カローリヴォーカルをとらされた。


イルミン・シュミット(1937年5月29日~)担当:キーボード

ベルリン(ドイツ)出身。

ドルトムントの音楽院、フォルクヴァング大学モーツァルテウム大学で音楽を学び、指揮者や劇場の楽長ピアニストとして活動した。

ケルン音楽大学シュトックハウゼンに師事し1960年代前半には現代音楽若手有望株と見られていた。

CANが結成されるとリーダーを務めた。


ホルガー・シューカイ(1938年3月24日~2017年9月5日)担当:ベースなど

自由都市ダンツィヒ(現在はポーランドグダニスク)出身。

アマチュアのジャズ・バンドで活動していたが、1963年からケルン音楽大学でシュトックハウゼンに師事。

ザンクト・ガレンスイス)の音楽学校に教師として赴任した際、生徒だったミヒャエル・カローリと出会い、ロックに興味を持つようになる。

CAN脱退後は他アーティストとのコラボも盛んだった。


ヤキ・リーベツァイト(1938年5月26日~2017年1月22日)担当:ドラムス

ドレスデン(ドイツ)出身。

1960年代初頭からプロのジャズ・ドラマーとして活動し、1966年にはマンフレート・ショーフクインテットに参加。正確無比なタイム感で知られていた。

CANの活動終了後はジャー・ウォブルブライアン・イーノデペッシュ・モードらとコラボし、ホルガー・シューカイのソロ作にも参加していた。


ミヒャエル・カローリ(1948年4月29日~2001年11月17日)担当:ギター

シュトラウビング(ドイツ)出身。

1966年にクラシックの勉強のためスイスの音楽学校に入ったが、ジャズやソウルも愛好していた。

カントリー・ライフ」(ロキシー・ミュージック)のジャケットの右側の女性(手ブラ透けパン)は妹のコンスタンツェ、左側の女性(透けブラで透けパン)は当時彼の恋人だったエヴリーヌ。


来歴編集

1968年、イルミン・シュミット、ホルガー・シューカイ、ヤキ・リーベツァイト、ミヒャエル・カローリ、デイヴィッド・ジョンソンがインナースペースを結成(デイヴィッド・ジョンソンはシュトックハウゼンに師事していたアメリカ人)。8月にデイヴィッド・ジョンソンが抜けてアメリカの黒人彫刻家マルコム・ムーニーが加入し、バンド名はCANに変わる。


1969年、1st.アルバム「モンスター・ムーヴィー」を自主制作でリリース(後にユナイテッド・アーティスツから再リリース)。シュミットは32歳、シューカイは31歳、リーベツァイトは31歳で、三十路でのロック・ミュージシャン・デビューだった。ムーニーが精神を病んで脱退するが、ミュンヘン(ドイツ)でシューカイとリーベツァイトが見つけてきた日本人ヒッピー、ダモ鈴木を加入させる。


1970年、2ndアルバム「サウンドトラックス」をリリース。シュミットが製作した映画音楽を集めたもので、シングル・カットされた「マザー・スカイ」がヒット。


1971年、3rdアルバム「タゴ・マゴ」をリリース。ダモ鈴木がヴォーカルをとっている。ドイツのアルバム・チャートで38位を記録。リーベツァイトはチェット・ベイカーのバンドにいた時、精神的にまいってイビサ島に逃げ、タゴ・マゴという名の岩から毎朝飛び降り自殺を図ったが結局死ねなかったという。


1972年、4thアルバム「エーゲ・バミヤージ」をリリース。アルバム・ジャケットはオクラ缶詰。シングル・カットされた「スプーン」がヒット。


1973年、5thアルバム「フューチャー・デイズ」をリリース。レイド・バックした雰囲気の作品となっている。これを最後にダモ鈴木が脱退。


1974年、6thアルバム「スーン・オーヴァー・ババルーマ」をリリース。レゲエタンゴラテンジャズの要素を取り入れつつ、アルファ77を使用したテクノ的音作りとなった。この後、ヴァージン・レコードに移籍。


1976年、7thアルバム「フロウ・モーション」をリリース。シングル・カットされた「アイ・ウォント・モア」がイギリスでヒット。


1977年、8thアルバム「ソウ・ディライト」をリリース。元トラフィックロスコ・ジーリーバップ・クワク・バーが参加しアフロ・ミュージック的な内容だが、そのまんま過ぎてつまらないと評された。


1978年、9thアルバム「アウト・オブ・リーチ」をリリース。バーのパーカッションとカローリのロック・ギターがフィーチャーされ、シューカイは楽器を演奏していないという異色作。シューカイがステージで短波ラジオを操作しているのに腹を立てたバーは「おまえはミュージシャンの魂を盗もうとしているのか!」とシューカイに殴りかかったという。


1979年、ラスト・アルバム「カン」をリリースし、バンドは解散する。


1989年、CANが一時的に再結成され、アルバム「ライト・タイム」をリリース。ヴォーカルは20年ぶりに復帰のムーニー。


1991年、CANが一時的に再結成され、映画夢の涯てまでも」(監督:ヴィム・ヴェンダース)に曲を提供。


2001年11月17日、カローリが死去。


2017年1月22日、リーベツァイトが死去。


2017年9月5日、シューカイが死去。

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