Prince
ぷりんす
以下の意味がある。
本名『プリンス・ロジャーズ・ネルソン』
ミネソタ州・ミネアポリスの生まれで、幼少期からジャズミュージシャンだった両親の下で音楽と共に育った。1977年に齢19歳ながらも破格の条件でワーナーブラザーズとメジャー契約を交わすと、既存ファンクミュージックをミネアポリス・サウンドに発展させる功績を残した。
1980年代に全盛期を迎えると自伝映画『プリンス/パープル・レイン』の公開をキッカケとして自身のレーベル『Paisley_Park_Records』を設立し、続いて自伝映画『プリンス/アンダー・ザ・チェリー・ムーン』で監督を務めるも興業的に失敗した。とはいえ自伝映画に使われた音楽の数々は興業的には成功を収めており、1989年公開の映画『バットマン』のサウンドトラック担当を依頼されている。
しかし『プリンス/パープル・レイン』の続編となる『プリンス/グラフィティ・ブリッジ』が興業として爆死した1990年以降は徐々に勢いが衰え、『Paisley_Park_Records』も1994年に廃止される。ワーナーとの確執が頂点に達した頃、彼は1994年のアルバム『Come』にて名義を「Prince 1958-1993」と表記、自らの名前を捨てるという宣言をする。そして翌年のアルバム『The Gold Experience』では実際にPrinceという名前を捨て、発音不能な記号に名前を改めた。名前の呼びようがなくどうしてよいかわからなくなったラジオMCなどは仕方なく「The Artist Formerly Known As Prince(かつてプリンスと呼ばれたアーティスト)」などと呼ぶようになり、「レコード会社との契約の奴隷である」という主張のために、TV出演などの際には頬に「SLAVE」と書いて出てくるのがお約束となった。
2000年にワーナーとの契約期間が終了するタイミングで再起を狙い、翌2001年に9年ぶりのオリジナルアルバム『The_Rainbow_Children』をリリースして再び脚光を集めると、2004年リリースのアルバム『Musicology』を起爆剤として2004年の全米年間最高観客動員数と収益を記録してグラミー賞も受賞。失った名声を取り戻した。
以来、ゴールデングローブ賞やグラミー賞最優秀R&B男性ボーカル賞を受賞するだけでなく、NFL最高峰の試合であるスーパーボウルにて歴史に残るハーフタイムショーに出演するなど。1990年代に落ちぶれたことを忘れさせる位にアメリカ音楽界のメインストリームを駆け抜ける。
ただ、加齢による体力低下には逆らうことができず2016年4月21日。インフルエンザ発症の痛みを抑えるために打った鎮痛剤の過剰投与により地元ミネアポリスで死亡した。その2ヵ月後、ミネソタ州知事の発案からプリンス生誕日の6月7日を『prince_day』とすることが発表された。
たま電気自動車として1947(昭和22)年に設立され、第二次世界大戦後としては先進的な電気自動車の製造開発に取り組んでいた(その後、採算面が合わずやむなくガソリン自動車企業となっている)。当時の明仁皇太子に縁深い企業として社名をプリンス自動車と改名したが、業績不振により1966(昭和41)年に日産へ吸収合併された。
詳細は『プリンス自動車』へ
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6月7日は米歌手・プリンスさんの誕生日。というわけで彼の2枚目のアルバム『Prince』から「Still Waiting」を和訳(意訳)いたしました。切ない歌詞! もう亡くなってから1ヶ月以上経ちましたが、R.I.P.の意味を込めて投稿。703文字pixiv小説作品