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概要編集

ハンス・クリスチャン・アンデルセンによる創作童話


ストーリー編集

とある貧しい村に育った少女インゲルは、美しい容姿を持ちながらも高慢でわがまま性格で、小動物をいじめ殺し、汗を流して働く貧しい両親の姿を蔑む、心の歪んだ親不孝者の子供だった。ある時、町の金持ちの家に奉公に出されたインゲルだが、それは元から高慢な彼女の性格に拍車をかけることになった。


月日がたったある日。奉公先の主人から里帰りをするよう諭されたインゲルは、おみやげに一斤のパンを持たされ帰途に着く。正直、帰りたくは無かったのだが、美しく着飾った自分の姿を村中に見せびらかしてやろうという魂胆もあったのだ。


その道中、泥水の水溜りを見つけた彼女は、が汚れるのを嫌い、パンを放り投げて踏み台にして渡ろうとする。そしてパンを踏んづけた瞬間、そのまま水溜りの中に引きずり込まれてしまう。彼女は、パンを踏んだ罪で、地獄に落ちたのだ。高慢さゆえに地獄に落ちたインゲルのことは村人の間で語り草になり、その声は地獄に落ちたインゲルにも届いた。母が愚かな娘を持ったと嘆きながら死の床についても、インゲルはなぜ自分がパン一斤ごときでこんな目に合わされなければならないのか理解ができず、一向に悔い改めようとはしなかった。


そんな彼女を救ったのは、彼女が地獄に落ちた話を聞いて以降、彼女の哀れな姿を悲しみ、神にインゲルの救済を訴えて祈り続けていた、1人の心優しい少女であった。老いてなお、インゲルのために祈り続けながら生涯を終えた彼女の祈りが聞き届けられ、インゲルは灰色小鳥に姿を変えられた。そして、パンを踏みつけた罪を償うため、地上に戻り、パンくずを拾い集めては飢えた鳥たちに分け与え続けた。


そして、彼女が分け与えたパンくずの量が、かつて彼女が踏みつけたパン一斤の量と丁度同じになった時、彼女は罪を許され、天国へと召されたのだった。


なぜパンを踏むことが罪なのか?編集

仏教神道儒教の精神が根付く日本人の大半は、「もったいない」ぐらいの感覚しかなくてイマイチ理解が出来ないと思うが、この事はアンデルセンの書く多くの童話の背景に、キリスト教の価値観がある事に由来する。キリスト教の教義においては、パンとはイエス・キリストの肉体の象徴であり、信者にとっては極めて重要なものとして扱われているのである。つまり、パンを踏みつけるということはイエスの肉体を足で踏みつけるも同然の行為であり、まさしく神を冒涜するに等しい背徳の行為であるというわけだ。

また、キリスト教では『無知』と『高慢』も罪であると定められている。つまり、日頃からの高慢な振る舞いと、パンを踏みつけることの罪深さを知らない無知な振る舞いによって、インゲルは地獄に落ちてしまったのだ。


影絵劇編集

この童話は、(おそらく1970年代に)北沢杏子の脚色、劇団かかし座の操演によりNHK教育テレビで影絵劇『パンをふんだむすめ』として映像化された。その後何度も再放送されている。原作とは若干異なる部分がある。

みんなのトラウマ編集

影絵の陰気な雰囲気、少女が暗い水だか闇の中を延々と落ちてゆく様、その間に流れるパンをふんだ娘 パンをふんだ娘 パンをふんだ罪で 何処まで落ちる・・というBGMも相まって子供にとっては恐怖映像と化しており、多くの人にとってトラウマとして記憶に残っている。


コミカライズ編集

日本では萩尾望都が「白い鳥になった少女」というタイトルで1971年にコミカライズしている。


その他編集

日本でも「もちの白鳥」というどこか似たような昔話がある。もっとも「米の一粒に七人の神様がいる」、「米をシャリと呼ぶのは仏陀の遺骨の舎利から」あるいは「仏陀の遺骨を舎利と呼ぶのは米をシャリと呼んでいたから」という話を聞いた事のある方もいるだろう。


関連タグ編集

童話 児童文学 キリスト教

ハンス・クリスチャン・アンデルセン アンデルセン童話

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