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神道の編集履歴

2018-06-10 14:10:51 バージョン

神道

しんとう

日本独自の民族信仰。「神の道」などとも呼ばれ、古語では「かんながらのみち」と呼ばれた。

概要

発祥縄文時代〜1946年頃(解釈によって諸説あり)/日本
開祖自然発生のためなし。
体系アニミズム祖霊信仰などさまざまな多神教汎神教的要素が混在
シンボル鳥居
サカキ・オンコ(イチイ

※元々は名称が存在せず、仏教が伝来して以降、区別するために「神の道」などと呼ばれていた。古語では「かんながらのみち」


神道と仏教を信仰している人を合計すると2億人に達すると言われる。

本来、教祖・教義を持たないが神社神道から派生した教派神道には教義があり、宗派が存在する

古来からあるアニミズムがベースとなっているが仏教伝来により興った神仏習合によって仏教と結びつき、平安時代以降は密教陰陽道の要素を取り込んで現世利益を追求する面が強くなった。さらに江戸時代からは儒教の影響、明治時代国家神道、戦後の神道指令などを経て何度か再編されており、古代の信仰と必ずしも同一ではない。

特徴

  • 一つの教団ではない

キリスト教や仏教の宗派のような一つの大きな団体、統一された階級制度があるわけではなく、それぞれが異なる伝承、祭祀を受け継いでいる。

ただし、現在は8万余の神社のうち7万9千社以上が加盟する神社本庁派という一大派閥が存在する。

しかしこれは明治維新後に発足したものであり、本来の神社は全て氏子と氏神、地元の人たちだけのコミュニティだった。

  • 明文化された経典・聖典がない

有名な古事記日本書紀は神道の経典ではないが、神典として広く尊重される。

神典とは儒教的、仏教的ではない平安時代以前に書かれた神々に関する文献の中から神道の正統な信仰の規範となる文献の一群である。

しかし神典と関係なく基本的に各地の神社に独自の伝承、祭祀が残っており絶対とされる教義は存在しない。

  • 信仰の対象が極めて多岐にわたる

太陽神や夜の神などに始まり、海、川、山、星などの自然神、その土地土着の土地神、祖先神(氏神)、動物、樹木、巨石、道具などありとあらゆるものを信仰するといっても過言ではない。また中国やインドなど外来の神、悪魔(武塔、ダキニー、ラクシャーサなど)も在来神と習合する形で取り入れられている。さらに人物神は、偉人や権力者だけでなく、罪人や反逆者をも神として祀るのが特徴的である。(これは怨霊信仰にも関連するとされる)

基本的に善神・悪神の区別がないのは、どの神も荒々しい部分と和やかな部分を併せ持つと考えた。このため禍津神とされる災害をもたらす神も正しく祀れば災いを遠ざけると信じられ、逆に怒らせればどの神でも災いを起こすと考えた。

  • 神職は修行を必要としない

神職は己を高めるための修行というものは存在しない。

神職として奉職するには当然ながら祭祀の作法を学ぶ必要はあるが、修業とは性質が異なる。特に神社は雇用機会均等法も適応されないため巫女のように女性だけを雇用することもできる。巫女の多くが単なるアルバイトであり、キリスト教の修道士や仏教の出家僧のように修行している訳ではない。

ただし巫女や神主を一定の期間を過ぎたら免職する、同じ人物を2度雇用しない、年齢制限を設けるという神社も一部に存在する。これは常若、穢れの考えから常に新しい神主を迎えるという考え方で諏訪神社の一年神主などが知られる。また一部の神職は社家、世襲制身分である。こちらは伊勢神宮の藤波家、出雲大社の千家家や天皇家などが分かり易い例として挙げられる。

しかし消滅したと言われているが陰陽道や密教と融合した橘家神道などは修行を行う。

  • 神道葬

死を穢れとする神道に元来、故人を悼んで大勢が集まる葬儀という考えはなく死は秘するものとされた。しかし神道式の葬儀として神葬祭が存在する。これは記紀神話に現れる「天若日子の葬儀」を起源とする意見があるものの、仏教の影響と見る向きが強い。

神道葬としては東照宮の徳川家康や本居宣長が自然石の下に遺体を埋め、隣に桜を植えたというエピソードが知られる。ただし現在、本居宣長の遺書により遺体は地元の仏教寺院に移されている。

(一度、葬った遺体を何故、埋葬し直すように遺書に残したのか、本当に本人の意志なのか疑問が指摘されている)

思想

  • 八百万の神

「はっぴゃくまん」と書いて「やおよろず」と読む。

日本では古来から「」は神聖な数字で、かつ漠然と数が大きいことを表す数字であるとされる(八咫鏡八咫烏八尺瓊勾玉など)。

同様に漠然と数の大きいことを表す「」や「と合わせていることから、途方も無く大きい数を表す言葉となっている。

神の数を表す時に最もよく使われ、「神は万物に宿る」(アニミズム)と考えられていることから、それを総括して言い表すために用いられる。

  • 産霊

「むすび(「むすひ」とも)」と読む。

「万物を生み育てる霊的な働き」のことで、この世のありとあらゆるものはその働きによって生み出され、発展して完成するものと考えられる、神道における重要な観念の一つ。

この思想が明治維新の後における殖産興業に繋がり、人と人とを結びつけるを育んで、日本人日本文化の寛容性を育てたとされている。

  • 穢れ

”穢れ(けがれ)”は神道独自の価値観であり、死や神の怒り、祟り、禁忌(タブー)を畏れ、それを禊ぎによって祓うという行為に宗教観を見出した。

原始神道においては死体、死に対する畏れだけだったが仏教伝来後は怨霊や業などの概念が取り込まれ、宗教的にタブー視される悪徳行為を冒すと自身に”穢れ”を受けると考えるようになった。これが「縁起」、「験を担ぐ」という考えに結びつき、前例を重視し、過去に良くないことが起こった行為を避ける風習として現れた。

”禊ぎ”、”祓い”はキリスト教の告解(懺悔)に似ている。ただし聖職者の前で罪を告白し、その罪に応じて喜捨物(御布施)を納めて贖罪と捉えるキリスト教と異なり、神道は信者自身が様々な宗教的儀式に参加することを重視した。

また忌み言葉という不吉な言葉を別の言葉で言い換えなければならないという風習がある。例えば「死ぬ」は「直る」といった。これは言霊信仰とも結びつき、口にした言葉は現実になると信じられたためである。

しかし、概念を決定づけるのは難しく、必ずしも悪いものではないようで、「人が生まれる」「人の死」「止まった血液」「女性の月経」といったものも穢れとされている。これらが悪いものかと言うと決してそうではない。穢れは『気枯(けがれ)』とも言われ、「気力(元気)が失われている」「気(心)が汚れている」といった状態を指しているともされている。

  • 禊祓

「みそぎはらえ)」と読み、神道において唯一の仏教で言うところの戒律とも言える思想である。

神々は「清浄」を愛し 「穢れ」「汚れ」を嫌うとされ、迎えるためには人は心や身体を清めて綺麗にし、掃除で場所の汚れを落とし、人の社会環境さえも清らかでなくてはならないとされている。

豊かな森と清流は穢れを忌み嫌い、清浄を尊ぶ心を育て、日本文化を育む風土となり、世界で最も清潔と言われる日本の国民国土を育んだ思想とも言われている。ここから日本語の「水に流す」という言葉考えが生まれたとされている。

宗派

元来、教祖や決まった教義を持たず、一つの団体でもなく、それぞれの神社が異なる伝承を伝えている神道だが歴史上、神道を体系化した人物、集団が出現した。

現在、古神道以外は消滅し、続いていない。

祭り型・教え型

神道は大別して、この二つに分かれる。つまり祭祀・儀礼を中心とする神道と哲学や思想を研究する神道である。

このどちらにも含まれない陰陽道、密教と融合した神道も存在する。

古神道

江戸時代に起こった復古神道や明治政府の主導ではない、各神社の独自の祭祀のこと。

原始神道、純粋神道とも名乗っている。

皇室神道

宮中祭祀。他の神社と同じく、皇居という神社で天皇という神主が行っている独自の神道と考えて貰えば良い。

明治政府による再編などを経ているものの、歴代天皇が引き継いで来た古神道のひとつ。

古代の朝廷には神祇官という部署があり、天皇の祭祀を補佐する役人がいた。これは君主が神官を兼ねる祭政一致の日本独自の官職だった。

皇室と神道は歴史的に密接な関わりを持ち、ここから天皇は神道全体の祭主にあたる存在とされることもあり、宮中祭祀は天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的に行われている。信仰の対象としても、歴代の天皇とその祖先神が祀られている。

伊勢神道

神道の神を絶対とし、仏教の仏を神の化身、隷属物と見做した神道。

仏教伝来後に成立したとされ、最古の神道理論とされる。

これに影響されたのが北畠親房が著した『神皇正統記』による皇国史観である。戦前の帝国政府によって重視された。

山王神道

仏教天台宗の比叡山によって体系された神道。

神道でも信仰の対象だった比叡山の山岳信仰と最澄が中国で学んだ道教・密教が結びついたもので江戸時代に天海僧正にも採用され、家康を東照大権現として祀ることになった。明治政府により撲滅される。

両部神道

仏教真言宗で生まれた神道で天照を大日如来に置き換えた神道理論。

修験道と結びつき、平安以降に強力な民間信仰となったが明治時代の廃仏毀釈で壊滅した。

吉田神道

吉田兼倶が興した神道の宗派。唯一神道を号した。

北朝側の神職で室町時代、めっちゃイキってた吉田大先生が一人で考えた神道理論として有名。

「伊勢神宮から天照が吉田神社に移った」と主張し、伊勢神道や南朝と敵対し、足利政権と共に神道界の権勢を極めた。しかし明治政府によって北朝が朝敵とされると逆賊の思想として撲滅された。

復古神道

平田篤胤、本居宣長などの国学者が江戸後期に興した。古事記伝が中心となった。

もともとは古い日本人の文化を見つめ直す運動で蘭学、仏教などの海外からもたらされた文化に対し、日本独自の精神性を求め、古事記を研究して古代人の大和心を見出した。これは「日本人は海外から学ぶばかりでなく独自に豊かな文化を育てていた」という民族意識に繋がった。また一部知識人に留まらず、広く庶民にも浸透したことで皇道の正当性、尊王攘夷思想など維新志士の思想形成に活かされた。

しかし日本人のアイデンティティを追求するあまり、神仏分離、廃仏毀釈、儒仏排斥という神道以外の思想を日本の本来の文化ではない異質なものとして攻撃し、独善的かつ排他的な神道国教化という明治政府の政策にまで影響を与えてしまった。

国家神道

後述。

神道十三派

明治政府の祭政一致(神道国教化)により発足した14の団体で、後にひとつが脱退した。

明確な開祖が定められ、独自の宗教的な色合いが強い新興宗教。

伊勢派

神社本庁派。伊勢神宮を頂点とし、全国の神社8万社のうち7万社が属する神道界の最大会派

神職養成所、皇學館大学を擁し、神職の資格を出しているが列記とした民間団体である。

天照大御神を最高神とする。また神道政治連盟の母体でもある。

出雲派

出雲大社を頂点とする出雲大社教を号する宗教団体。

神職養成所、國學院大學を擁し、本庁派とは異なる神職の資格を発行している。

平田篤胤の平田神学の影響を受け、大国主命を最高神とする。

記紀神話

古事記・日本書紀に記載されている日本神話をまとめて、記紀神話と呼ぶ。

広く日本神話として知られているのは、この記紀神話の物語だが、厳密には神道には唯一の神話があるわけではなく、地域によってそれぞれ異なる伝承や祭祀が伝えられていた。記紀神話は代表的な日本神話ではあるものの、飛鳥時代に天武天皇の命令でまとめた神話のひとつに過ぎなかった。

王権神授説

記紀神話は天地創造から天孫降臨、神武東征など神代から日本という国が出来るまでの物語を描いている。

天武天皇は神道を整備した人物として知られ、これも、いわゆる君主が神に選ばれた存在とする王権神授説を完成させるため、記紀神話がまとめられたと考えられている。

復古神道の影響から戦前の帝国政府は皇道の正当性、皇国史観を執り、国内の社会主義勢力に対抗するため記紀神話を浸透させ、天皇が神の子孫であると主張した。また有神論によって記紀神話を歴史的事実であるように捉え、「日本は神の国」という思想を広めた。

当時も神が国を作ったという意見を真剣に唱える政府に異説を唱える神学者がいなかった訳ではなかったが、誰も止めることはできなかった。

結果、記紀神話はもっともポピュラーな日本神話として知られることになったのである。

古事記偽書説

漢文で書かれた日本書紀に対し、古事記は日本語の発音を無理矢理、漢字で表記したため長い間、偽書とされた。また両書では書かれている内容が部分的に異なるため、日本書紀が正しく古事記はでたらめなオカルト本という烙印を捺され続けた。

ところが復古神道を起こした平田篤胤は本居宣長の古事記伝の影響から、それまで日本書紀の副読本という扱いだった古事記の内容を重視した。また古事記伝は神道研究の大きな記念碑となり、強い影響力を残している。

このように二つまとめて紹介されることの多い古事記・日本書紀だが、歴史上では激しい相克を繰り返している。

国家神道と神社神道

国家神道とは祭政一致により明治政府が主導し、再編した神道で、神社神道は各地の神社の独自の伝承や祭祀を指す。

明治維新に神道が大きな役割を果たしたこともあり、明治政府では当初、神道を国教化しようとする動きも活発であった。だがまもなく、アニミズム的信仰である神道で近代国家を統合することは不可能と認識されることになる。

結局、政府は帝国憲法で信仰の自由を認め、「神道は宗教ではない」と位置づけ、神社を国家機関の末端として再編を計って、これはのちに国家神道といわれるようになった。


だがこれは神道の信仰としての側面を抑圧し、国民を地域固有の祭祀の伝統から切り離すものだった。明治期に政府が神道を統制するために行われた神社合祀などの政策は、神道に取り返しの付かない傷跡を残した。

神社神道は、戦後の神道指令でようやく政府の統制から解放され、法律上は自由な活動ができるようになったが、旧神祗庁の関係者が中心となって全国の神社を統括する神社本庁が作られ、政府(文部科学省)との関係が強い宗教法人として全国の神社の多く(被包括神社)を統括している。

こうして国家神道の枠組みは形を変えて今なお継続している。

伊勢神宮を本宗と仰ぐ神社本庁は中央集権の色合いが強く、各地域固有の伝統を軽視する国家神道的な神道観を持っている。被包括の神社に対し鎮守の森を伐採し売却することを迫ったり、宮司の人事に口を出すなど、しばしば裁判沙汰にもなっている。


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