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トヨタコロナの編集履歴

2020-09-20 10:35:26 バージョン

トヨタコロナ

とよぺっところな

ここでは、トヨタ自動車が手掛けた乗用車に関して述べる。

概要

トヨタ自動車1957年から2001年まで製造販売していた乗用車。ただし1982年までは製造と販売は別々の会社で行っていた(それぞれトヨタ自動車製造とトヨタ自動車販売)。


大型セダンのクラウン、小型セダンのカローラと並ぶ中型セダンの基幹車種だったにもかかわらず、ネタとしか思えないことをやらかしまくった車でもあった。


初代(T10)

日産ダットサン乗用車の、タクシー業界での大好評に刺激を受け、既存のコンポーネンツを流用して、それこそ急ごしらえで作ったものだった。そのためにかなりアラが目立ち、評判は散々だった。もっとも、トヨタとしては、「タクシー業界の方々が早く小型車作って下さいとおd・・・ゲフンゲフン、もとい、お願いしたから作ったんですけど・・・・・・」というのが本音だったようだ。

また、丸みを帯びたデザイン故に「だるま」とバカにされた。

東宝の『美女と液体人間』では、開発秘話らしくタクシーで登場。冒頭の異常な事件を、車体をもって体現した。


2代目(T20およびT30)

開発ばかりか宣伝まで凝りに凝ったものだったが、開発時のテスト地の選定ミスによって「足が軟弱で耐久力がない」と罵倒される程、道路事情の悪かった当時の日本にあわないものだった。だが、これもコケたらトヨタに明るい明後日はない、と、追い詰められた結果、「んなーこたーない」とばかりに、テレビCMドラム缶の上を走らせたかと思ったらそのドラム缶で出来た壁を突き破ってみたり、から転がして、わりと破損したにもかかわらずそのまま走らせてしまったり・・・・・・。おのれはいすゞジェミニフォワードのCMで似たようなことをやらかした)か『TopGear』(英国BBC自動車罵倒兼破壊番組)か石原プロモーションやたら自動車を破壊しまくる刑事ドラマを生んだ芸能プロ兼番組制作会社)か!? しかもこれ、日本のテレビ放送史上初のカラーCMだったりする。

また、「トヨペット・ティアラ」の名前でアメリカにも輸出されたほか、オーストラリアでは現地生産も行われている(7代目まで)。


3代目(T40およびT50)

名神高速道路でぶっ通し高速耐久試験をやらかしたが、これでかえって評価を高めた。特徴的なスタイルは、公式には「アローライン」と名付けられたが、実際にはフロントマスクのデザインから「バリカン」と笑われた(宿命のライバル・ダットサンブルーバードは「尻下がり」と笑われた)。また、ハードトップと5ドアセダンが途中で追加されたが、5ドアセダンは全く売れなかった、にもかかわらず、6代目、及び8~10代目にも設定されている。まぁヨーロッパではけっこう評価高かったからいいか(何が?・・・なお意外にも、歴代通してバンはあってもワゴンは最後まで設定されなかった)。

さらに派生車種に1600GTがあったが、外見がまんまコロナ・ハードトップだったため「コロナGT」という人もいる。だったら「コロナGT」でもよかったろうに・・・・・・。 ただ、1600GTの名誉のために言えば、あのプリンススカイラインGT-Bをフルボッコで倒してしまったことがあった。

また『がんばれ!!ロボコン』(NET系列局他)では、前期の大山家のマイカーとして活躍(ファンの間では「ロボコン・コロナ」と呼ばれている)。後期の小川家のホンダシビックと共に、名脇役として親しまれた。


4代目(T80)

コロナマークⅡ登場に伴い3代目で止めるつもりが、その3代目が結構売れたことから急遽開発されたもの。型式番号がかなり飛んでいるのはそのため。

電子制御式オートマチックを日本車で初めて採用したものの、地方ではほとんど販売されなかったらしい。

一方で地味ながらも、ブラボーなスタイルは後続の手本になった。

また、いずれも東映で制作された『キイハンター』(TBS系列局他)や『仮面ライダー』の第1話(毎日放送・NET系列局他)でも使われていた。


5代目(T100-120)

排気ガス規制対策のために、ホンダからパテントを購入したCVCC技術を採用したエンジンを搭載したが、結局これのみに終わった(触媒方式を排気ガス規制対策のメインとしたため)。また正式に「コロナGT」(=2000)が、この代で登場。セリカカリーナの3兄弟化が進む中、暗い世相に走りの楽しさを与えてくれた(批評の中には「コロナのエンジンにブルーバードSSSのシャシーなら・・・」という声もあった)。

コロナ・1.8GL(RT102)


6代目(T130)

前期型のセダンは、横から見たら5代目とほとんど変わりなかった。全幅の拡大こそ行われたが、これではビッグマイナーチェンジとそう変わりない。もっとも、ハードトップは完全に一新してはいた。あまりもの見た目の変わらなさのせいか、後期型はスラントノーズへのフェイスリフト(顔の整形)を行っている。

なお、件の前期型のセダンは、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系列局他)で、殿下こと島公之(演:小野寺昭)が乗り回していたことから、「殿下コロナ」と呼ばれることがある。何て安易なニックネームなんだ(殿下の殉職話で彼と運命を共にしたのは先代の身代わり。デザインがあまり代わり映えしなかったが故に出来た、って、いいのかそんなんで)。また『大空港』(フジテレビ系列局・鶴田浩二ほか出演)では、復活したLB(=リフトバック/5ドアセダン)が空港特捜部の専用車として活躍した。

J.D.M.?


7代目(T140)

3代目を彷彿とさせるデザインとなったばかりか、イメージキャラクターに、当時007シリーズのジェームズ・ボンド役を演じていたロジャー・ムーアを起用した。その裏には、当時のブルーバード(通称910ブル)が、3代目(通称510ブル)の再来と言われて好評を博していた上、宣伝マンをジュリーこと沢田研二が務めていた、という事があった・・・・・・って、大人気ないぞトヨタ

1983年10月に後述の8代目にセダンが追加設定された際、910型ブルーバード・SSSターボ系と同等の足廻りを持つGT系を強化し2000ツインカム→1800ツインカムターボへの換装・1600GTの追加復活を行ったが、セリカFF化のあおりを喰らってか、わずか3年足らずで廃止された。

自家用車仕様は1987年いっぱいで製造・販売を終了したが、タクシー仕様に関しては、大幅な改良を行った上で、1998年まで延命された。

「スーパースター」と「スーパーヒーロー」コロナ・1.8スタンダード(YT140)


8代目(T150およびT160)

初のFF(フロントエンジン・フロントドライブ。7代目まではFR、つまりフロントエンジン・リヤドライブだった)を採用したが、トヨタはFF採用にかなり慎重な立場をとっていたため、復活したワゴン風の5ドアから採用し、あとでセダンとクーペを追加する、という形を取った。

クーペの方はセリカとカリーナEDと歩調を合わせるように独自の道を歩む事になり、セダンと5ドアのコンビはしばらくの間メイン形態となる。

15分クロッキーシリーズ20

セダン追加当初、走行するセダンに加藤和彦(ミュージシャン)をはじめとする5人のインテリなおじさんが「僕らにー引力、コロナのー引力」とばかりに吸い寄せられてしまうと言う、何ともシュールなテレビCMが放送された。

朝日放送テレビ朝日系列局(一部系列局除く)の金9枠において一部の作品を除き制作会社を問わずトヨタが車輌スポンサーになると『新ハングマン』では5ドアが(シリーズ前半のみ)活躍し、『人妻捜査官』ではドアミラーのままでセダンを白パトに改造。エンディングでは、夜の首都高を颯爽と走っていた。


9代目(T170)

限定仕様ながら「スーパールーミー」と称したストレッチ・リムジンを製造・発売した・・・・・・って、クラウンやセンチュリーならまだわかるし、実際センチュリーには設定されたことがあるけど、なぜコロナなんだ!?しかもストレッチと言いながら全長は5ナンバーサイズギリギリに収まる4.7m弱であり、要するに当時のクラウンをFF化して余裕ができたスペースを全て後部座席の足元にぶっ込んだみたいな車であった。

またこの代より、クーペに代わり4ドアHTの「Exiv=エクシヴ」が登場。2世代にわたって、本家をフォローした。

【令和に繋げ、華の89年車たち】コロナ自粛に伴い、締め切り日変更


10代目(T190系列)

スポーティグレードを廃止した一方、何を血迷ったのか全日本ツーリングカー選手権という日本国内のカーレースカテゴリーの一つに参戦してしまった。どう考えても矛盾した行動なのだが。流石に1年で参戦をやめてはいる(派生車種のエクシヴに交代)。


11代目(T210、最終モデル)

安全性強化に力を入れたモデルとなっていたが、CMではそればかり強調された傾向にあった。「だからってぶつけんなよ!」by緒形拳(この代前期の宣伝マン。後期は小林稔侍が務めた)。正式名称は「コロナ・プレミオ」であり、2001年12月に登場した後継車にはその後ろの部分が使用されている。


外部リンク

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