有楽亭一門
江戸落語を代表する亭号の一つ。定紋は『丸に並び扇』だが、止め名(一門の最高位が名乗る名跡)の八雲のみ替紋『瑞雲』(ずいうん)の使用が許される。
八雲の名は寛政年間から続く由緒ある宗家名跡であり、もれなく名人と謳われた累代の実力者たちによって連綿と継承されてきたため、この大名跡を襲名するには八雲が意味する重責を全うするに足る品性と実力を兼ね備える必要があるとされている。
- 有楽亭与太郎(ゆうらくてい よたろう)
(左:有楽亭与太郎、右:三代目 有楽亭助六)
本作の主人公。
幼い頃に母親を亡くし、「兄貴」と呼び慕う不良の背中を追う形で任侠の道に入るが馴染めず、足抜けの条件として刑務所へ肩代わりで収監、模範囚として刑期を過ごす。その最中に疎遠だった父親も亡くなって天涯孤独となった中、刑務所への慰問演芸会に訪れた八代目八雲が演じる『死神』に魅了され、出所したその足で八雲に直談判、内弟子として引き取られた。
教養こそ浅いものの、持ち前の人懐っこさと天真爛漫な性格(任侠の世界に導いた兄貴分曰く「犬っころみたいなヤツ」)で人に好かれやすく、その風変わりな様子を八代目八雲が落語になぞらえて「与太郎」(=落語におけるマヌケの代名詞)と呼んだことから後の通り名、ひいては芸名となった。
自身の境遇と重なる滑稽噺『出来心』(『花色木綿』の原型)の会心の出来を通じて演者としての落語の魅力に開眼したが、前座修行中に取り返しの付かない失態を犯して一度は破門の身となる事態に直面し、八代目八雲が提示した3つの条件
- 「八雲と助六、双方の型を骨の髄まで叩き込む」
- 「落語の生きる道を探す」
- 「自分より先に死なない」
を飲む形で破門を許されて以降は下火となりつつある江戸落語界で必死に芸を磨き抜き、遂に迎えた真打昇進に伴って腹を括った上で空座となっていた助六の名跡襲名を八代目八雲に嘆願して『三代目 有楽亭助六』を襲名し、寄席にテレビにと駆け回る忙しい日々を送る。
八代目八雲が世を去った物語終盤では、有楽亭八雲の九代目を襲名した。
- 有楽亭八雲(ゆうらくてい やくも)
(左:有楽亭菊比古、右:八代目 有楽亭八雲)
声優:石田彰(少年期は小林沙苗) ドラマ版演者:岡田将生(少年期は大西利空)
本作のもう1人の主人公と言えるストーリーテラー。前名は『有楽亭菊比古』(ゆうらくてい きくひこ)。
芸事、特に舞踊を主とする家に男として生まれた上、何らかの理由で杖が欠かせないほど右足を悪くした(後に回復しても「お守りのようなもの」として使い続けた)ことで陰ながら疎まれるようになり、半ば追い出される形で知古を得ていた親の判断で七代目八雲に入門した。
端正な姿や立ち振る舞い、自身の型に合った噺の上手さで一定の評判を得るも今一つ伸び悩む中で数々の事件を体験し、八代目有楽亭八雲の襲名を決めて以降は凄まじい勢いで頭角を現して話題を呼び、遂には世間からは「昭和最後の名人」、席亭(寄席の経営者)連中からは在所に因んで「向島の師匠」と呼ばれる大名人の1人に列するまでに大成した。
「おまいさん」「あすこ」などの下町言葉を常用する戦前の風雅を色濃く漂わせ、生家が芸事を生業としていたために一通りの歌舞音曲にも深く通じる一方、スリーピースなどの洋装も自在に着こなす洒落た一面を持つが、表題の示す通り「落語と心中する」という覚悟を胸に秘めて有楽亭一門宗家たる大名跡を今に受け継ぐ孤高の落語家。
どう見てもカタギではない与太郎を気まぐれに任せて内弟子に取った数年後、まるで覚悟の違う与太郎が予期せず起こした失態に失望にも似た怒りを覚えて破門を言い渡すも、どうあっても離れようとしない与太郎に3つの条件を飲ませて破門を解き、真打昇進の際に久しく途絶えていた助六の名跡を預けた。
『死神』『鰍沢』『品川心中』など、いわゆる名作と称される古典落語の代表作を選りすぐって持ちネタとしているが、そのどれもが極限まで研ぎ澄まされた別格の存在となっている。それでも、後述する萬歳の十八番であった怪談噺『応挙の幽霊』はどれだけ手を加えても萬歳ほどの魅力を引き出せなかった。
- 有楽亭助六(ゆうらくてい すけろく)
声優:山寺宏一(少年期は立川こはる) ドラマ版演者:山崎育三郎(少年期は南出凌嘉)
左:有楽亭初太郎、右:二代目 有楽亭助六)
小夏の父であり、全編を通してのキーパーソン。第二部を除いて故人。前名は『有楽亭初太郎』(ゆうらくてい はつたろう)。
両親の顔すら知らぬ捨て子で、寄場暮らしをしつつ天狗連(=アマチュア芸人集団)に所属して落語を演じていた老人に拾われて養ってもらっていたが、その老人の死を機に七代目八雲の門を叩きに向かった矢先に後の八代目八雲と出会った。
入門当時から既に大ネタの『文七元結(ぶんしちもっとい)』『野ざらし』『明烏(あけがらす)』『船徳(ふなとく)』『よかちょろ』などを聞き覚えていた天性の落語家であり、前座および二つ目の頃から早くもその溢れる才能を注目され、第二次世界大戦の折には師匠と共に慰問演芸会のため満州に足を運んでさらに芸への磨きを掛けた。
ところが、戦後の江戸落語界を牽引する若手の筆頭格であり、緩急自在の妙技を尽くす天才と呼ばれたその一方、伸ばし放題のボサボサ頭に無精ヒゲ、襟垢に塗れたヨレヨレの揃えに股引、下駄履きで平然と市中を歩き回り、寄席の稼ぎや質屋の借入を酒や女遊びに注ぎ込む、いわゆる「飲む・打つ・買う」の遊興に耽る日頃の振る舞い、先輩連中に対する遠慮などわきまえず平然と大ネタを掛けるなどの素行不良が目立ち、落語家仲間はおろか席亭連中からも毛嫌いされ、終にはある事件によって師匠から凄まじい重罰を課せられた末に影に埋もれ、ひっそりと世を去った非業の落語家となる。
抜群の記憶力と演技力であらゆる噺を演じることが出来たが、自身の性分と菊比古への配慮から『出来心』『夢金』『火焔太鼓』などの滑稽噺、『居残り佐平次』『野ざらし』などの艶笑噺を好んで持ちネタとし、最晩年においては人情噺の傑作に数えられる『芝浜』を極めた。
- 七代目 有楽亭八雲
八代目八雲と二代目助六の師匠。第二部終盤で故人。
かつて色々と世話になった知古の縁から八代目八雲を、時を同じくして押し掛け同然で転がり込んだ二代目助六を二人揃って内弟子に迎え入れた。しかし、入門当初から「絶対に有楽亭八雲の大名跡を受け継ぐ」と大言して憚らず、若手随一の実力を持ちながら女癖の悪さや金銭の無心など日頃の素行、不敬に等しい反骨精神が目に余る二代目助六を段々と疎ましく感じるようになり、落語の行く末を憂う意見の対立からついには二代目助六に対し「有楽亭助六の看板を背負ったまま破門」(=名前はあっても高座に上がれない有名無実の状態)という生殺しに等しい重罰を課した。
- 初代 有楽亭助六
声優:神奈延年
二代目助六の養い親。第二部のごく一場面を除いて故人。
寄場で日銭を稼ぎ、天狗連に属して落語を披露する日々の中で後の二代目助六を拾い、寄場と寄席を行き来する貧乏所帯の二人暮らしを営んでいた老人。高座名の「助六」を通り名にしていたが、後に有楽亭の系譜を調べた二代目助六によってその正体が自身と同じく型に捕らわれない芸風を信条とし、それに怒った六代目八雲から破門された当人であった事実が判明した。
円屋一門
上方落語を代表する亭号の一つ。定紋は『丸に三つ輪違い』。
東西落語界通じての長老であり、戦前から落語界を支え続ける萬歳が一代で築き上げ、今や上方落語界において一大勢力を形成している。ただし、実質的には「捨て育ち=自分たちで率先して研鑽に励む中で自身の型を身に付ける」の傾向が強かった。
- 円屋萬歳(つぶらや ばんさい)
四代目萬月の父にして総勢100人超の弟子を抱える上方落語界の重鎮。本名は『淀川公男』(よどがわ きみお)。第三部では故人。
八代目八雲の高座が湯呑みを備える江戸落語伝統の形を取るのと同じく見台、膝隠し、小拍子、叩き扇の4点を備える上方落語伝統の形を取っている。七代目八雲の頃から催していた夏恒例の二人会「好色夏夜噺」(いろごのみ なつのよばなし)を通じて有楽亭一門と深い繋がりを持ち、上方落語界では珍しく早々から江戸落語界との相互関係を保っており、不思議な可笑しさを振り撒く与太郎を大変に気に入っていた。
得意ネタは、八代目八雲が自身のレパートリーに加えるほどの絶品と評した怪談噺『応挙の幽霊』。
- 円屋萬月(つぶらや まんげつ)
萬歳の息子。物語の流れでは四男坊と見られるが、他の兄弟は不明。
八代目八雲の落語に惚れ抜き、幾度と無く有楽亭の門を叩いたが断られ続けて遂に諦めた苦々しい過去を持ち、改めて萬歳に弟子入りしてもなお尊敬の念を絶やさない反面、内弟子に入り込んだ与太郎には明け透けな嫉妬を抱いている。
父の死別に加え、凋落に歯止めが掛からず衰退の一途を辿る上方落語界に絶望し、萬月との死別を機に廃業して放送作家の道に進んだが、八代目八雲・三代目助六による親子二人会を機に上方落語存続の担い手たる使命を悟るに至り、芸道への再出発に際して八代目八雲から「与太郎に出来ない噺をするのが自分に課せられた役目である」とする薫陶の意味を込め、萬歳の十八番『応挙の幽霊』を皆伝された。
その他
- 小夏(こなつ)
二代目助六の娘であり、八代目八雲の養女。
ある事件で両親を一度に失い、身寄りの無い所を八代目八雲に引き取られたが助六を死に追いやった元凶が八雲にあると信じて疑わず、同居する中でも憎しみを露わにししている。
女の身であるがために父の遺志を継いで落語家になれない事実を心底悔しく思い、それでもなお父の落語を愛するがゆえに隠れて稽古に勤しむ一面を持ち、与太郎が内弟子となってからは形式上の兄弟子として稽古に付き合うことも多い面倒見のいい姉御肌でもある。
後に、高座にこそ上がれないながらも御簾内の囃子方として三味線を受け持つようになり、物語終盤では女性初の噺家となることが明かされた。
小夏の母。第二部を除いて故人。ある意味においては、二代目助六と八代目八雲の運命を狂わせた悪女とも呼べる存在。
戦前は芸者を務めていたことから七代目八雲のお気に入りだった。その縁から八代目八雲と出会ってからは密かに八雲へ心を寄せていたが後に意思の相違で破談、二代目助六と結ばれ一人娘である小夏を生む。
- 松田(まつだ)
八代目八雲の下でカバン持ち、スケジュール管理、車での送迎などを任されている使用人。七代目八雲の頃から女将と共に炊事、洗濯、掃除などの家守に務めており、若き二代目助六と八代目八雲を弟子入り当初から知る唯一の人物。
物語終盤にも90代となり車椅子に乗ってこそすれ未だ存命である姿を見せている。即ち七代目・八代目(=菊比古)・九代目(=与太郎)の三代に渡って仕えた有楽亭一門の生き字引きであり、この際に自身も落語家志望で七代目八雲の門を叩いた過去が明かされた。
- アマケン
幼い頃から落語を愛し、同じく文芸評論の道を歩んだ父に連れられて数多くの名人巧者の楽屋に出入りした経験を持つ。世評に反して「二代目助六の落語は邪道」と言い切るほど八代目八雲を尊崇する熱烈なファンであり、好ましくない人物に対しては痛烈な嫌味を含んだ物言いが目立つ反面、確かな分析力と観察眼を持ち、三代目助六となるも焦りを感じていた与太郎の心情を言い当てている。
- 樋口栄助(ひぐち えいすけ)
与太郎に目をかけている人気作家。
萬月と同じく、八代目八雲(当時は菊比古)に弟子入りを断られた過去を持ち、それでも密かに抱き続けた落語家の夢を与太郎に託そうと様々な形で協力を持ち掛ける。一度は落語を志した事もあり、演目の内容・構成・背景に至るまで深い知識を持ち、新解釈を加えた古典落語の改作や新作落語の台本を何本も書き上げている。
- 城戸績(きど いさお)
※ドラマ版での役名は「組長」のみで本名不明。
外観だけ見れば恰幅の良い穏やかな中年男性であり、八代目八雲とは同じ時代を歩んだ者同士の懇意の仲。しかし、三代目助六となった与太郎に「信之助の実の父親ではないか」と疑いをかけられた際には怒りを露わにし、料亭の池へ投げ飛ばすなどヤクザの親分としての威厳と貫禄、腕っぷしの強さを垣間見せた。
- ヤクザ兄貴
『吉切組』組員。与太郎を任侠の世界へ導き育てた親代わり。
刑期を終えて娑婆へ戻った与太郎が噺家になったことを耳にし、「落語家なんて下らない」と一蹴した上で復帰を促したが、その場に居合わせた八代目八雲の提案で寄席に連れ出され、与太郎が意気揚々と演じた『出来心』を通じて落語に対する姿勢と覚悟を悟って立ち去った。
第三部でも、三代目助六となった後に城戸の名代として再会を果たし、お互いの若かりし日の出来事を振り返った。
- 信乃助(しんのすけ)
声優:小松未可子(青年期は小野友樹) ドラマ版演者:嶺岸煌桜(青年期は和田崇太郎)
小夏が産んだ長男。
癖の強い天然パーマの髪型、物怖じしない芯の通った性格、ケレン味の無い愛嬌、聞きかじった『寿限無』をスラスラと諳んじる記憶力など祖父に当たる二代目助六に似た特徴を持ち、名前にも祖父の本名である「信」の一字を当てられている。寄席にも頻繁に通い、周囲の大人から可愛がられている。
実の父親は不明であり、小夏もそれが誰であるかを徹底的に隠し通しているが、与太郎は血の繋がりの有無に関わらず実の子として惜しみ無い愛情を注ぎ、「じぃじ」と呼び慕われる八代目八雲もまた二代目助六に連なる複雑な思いを抱えつつも愛情を示している。
物語終盤では落語家の道に進み、自身に因縁深い菊比古の名跡を襲名した。
- 小雪(こゆき)
物語終盤に登場する与太郎と小夏の実の娘。
2人の特徴をよく受け継いでおり容姿は母から、性格は父譲りとなっている。落語家一家に生まれながら噺家になるつもりはなく、聞くことを楽しみにしている。落語は八代目八雲よりも九代目となった父の方が好み。
異父兄の信之助とも仲が良く「世界一かわいい」と豪語する兄バカを発揮させていた。