概要
プロレスラー。全日本プロレス元社長、プロレスリング・ノア創始者。
二代目タイガーマスクでもある。
ずば抜けた才能を持ちながら決して奢らず、自ら率先してヲタキャラ、エロ親父っぷりを披露してファンとの距離を縮めようと努力した人でもあった。
2009年6月13日、広島でのGHCタッグ選手権(三沢、潮崎豪×斉藤彰俊、バイソン・スミス)の試合中、斉藤のバックドロップを食らう際、受け身に失敗する事故で死去。享年46歳。
最強説
当時NOAHジュニア戦線で奮闘していた元GHCヘビー級王者の杉浦貴が、2004年の総合格闘技PRIDEのある試合にて60億分の1を決めると言われたPRIDE GPベスト8のジャイアント・シルバを秒殺したことから、NOAHの頂点に君臨する三沢はミルコもノゲイラもヒョードルをも超越する最強の人間という認識が広まっていった。
実際に三沢はPRIDEでIQレスラーこと桜庭和志を破ったヴァンダレイ・シウバと「戦ってみたい」と語っていた。
素顔
ヒーローものが好きで、徳光正行によると三沢の部屋はヒーローもののグッズで溢れていたという。
葬儀の際には三沢が好きだったヒーローものの曲が多く流された。
その他、学園もののテレビドラマや、映画ではジャッキー・チェンやトム・ハンクス主演の作品を好んだ。
酒場が大好きで毎度夜中まで飲んでいたせいか、脂肪がつきすぎそれが死を早める原因となった。
札幌に行った時は、必ずススキノに遊びに行くのを楽しみにしていた。
スキューバダイビングを好み、年に1度は必ずハワイに行ってダイビングを行っていた。
錦糸町や晴海のゲームセンターで、クイズマジックアカデミーをプレイしている姿をたびたび目撃されていた。
オタク関係に相当造詣が深く、ホビー専門誌で特撮ヒーローの人形収集の趣味がある事を明かしている。
また、カラオケに行くと子供時代大好きだったマイナー特撮ヒーローの主題歌を歌い、誰も知らない為、周りの人間は少々困るらしい。
また、何人かの若手は「遠征中、ドライブインに寄るたびに三沢社長にガシャポンをやりにいかされる」と暴露している。全日社長時、日テレの「素顔がイイねっ!」に出演し自宅を公開、子供の大きなポケモンの人形の他、かなり希少なファイナルファンタジーⅦグッズやその他のコレクションが乱雑に並べられていた。
その他にもメディアワークス刊「電撃スパロボ」にてスーパーロボット大戦シリーズのファンであることが明かされている。
また、相当な漫画好きでも知られている。「少年誌から青年誌まで、ほとんど全てを自分で買っていた」という。
プロレスを描いた漫画の中では『1・2の三四郎』について、「プロレスの練習風景を、ここまでリアルに描いた作品は他にないね」と高く評価していたという。
元付け人の丸藤は「三沢社長の付け人として最初に覚えることは、雑誌の発売日を覚えること」と語っている。
もっとも、本人自身は「オタク」であることを頑なに否定している。
エロ社長
だが、三沢光晴と言えば、やはりバラエティ番組などでの下ネタトークである。
「エロ社長」の異名をとっており、プロレス雑誌の読者投稿欄には三沢さんの下ネタに関する投稿が定番になっていたほどである。
その後、全日時代からバラエティに進出すると最初は寡黙な雰囲気を貫いていたものの、徐々にバラエティに慣れたのか下ネタトークを自重しなくなるようになる。
- 「(小橋と組んで負けた試合の感想を問われ)小橋には先にイッちゃってごめんね、という気持ちです」
- 「俺おっぱい星人じゃないから」
- 「ぴこぴこぴーん(男性のシンボルが元気になった時の三沢独特の擬音表現)」
- 「(他団体の)プロレスのビデオ見るくらいならアダルトビデオ見たほうがいいよ」
- 「志賀、お前は(男性のシンボルが)デカい!」
などの下ネタ関係の発言を連発するようになった。その後、大学の学園祭のトークショーに呼ばれた時にも下ネタを連発したらしい。
さらに「踊る!さんま御殿」に出演の際には下ネタ御法度であったはずが結局大ウケし、 「今週の踊るヒット賞」を獲得。「エロ社長」というニックネームもこの番組での下ネタトークがきっかけであり、飯島愛からは「爽やかな下ネタ」と評された。
彼の下ネタは受けが良く、それを楽しみにするファンも多かったが、 一方で「(寡黙で真面目な)イメージが崩れる」等の批判が上がっていたのも事実であり、その件でノアの仲田龍渉外部長から「バラエティ番組出演禁止令」が出されるまでになってしまった。
関連動画
入場曲でタイトルは「スパルタンX」。屈指の神曲候補としてプロレスファンから良く挙げられる。
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