曖昧さ回避
- 松本ドリル研究所の漫画作品。コミックヘヴン(日本文芸社)にて連載された。コミックスは全11巻。pixivではこちらのイラストで占められている。異色ロボットアクション⇒この世を花にするために(漫画)
概要
この世を花にするためには、演歌の御三家、橋幸夫が歌ったシングルの一つである。
- A面「この世を花にするために」
- B面「この道」
歌手活動の引退、ラストソング
橋は、令和5年(2023年)に迎える80歳の誕生日にて、歌手活動を引退することを発表。ラストソングとなった「この街を真っすぐに」にも、この2曲が新録されている。
本項では、
- 「この世を花にするために」
- 「この道」
- 「この道を真っすぐに」
の3曲について解説する。
作曲の経緯
そもそもとして、作曲の経緯についても明かさねばなるまい。メイン画像が機動隊員であることからお分かりいただけたやもしれないが、この曲は警察官や機動隊員の活動を讃えるために作られたものだ。
恐るべし、当時の職場環境
ときに、安保闘争や安田講堂事件など、学生運動華やかなりし警察戦国時代。のちに新左翼や過激派と呼ばれる極左暴力集団によるテロ行為が頻発する中、過激なテロ事件や学生運動を取締・鎮圧したのは他ならぬ機動隊員らである。彼らの多くが、学生らと同年代、10代や20代の若者であった。
だが、街を歩けば、
「この人たちは人殺しの訓練をしている」
「正義のために斗う学生さんを虐めてる」
などと、謂れない誹りや、後ろ指を指される。
給与は非常識なほどの薄給(現在の貨幣価値に換算しても、月給は10万円台前半)、超勤手当は一律25%で打ち止め。
休日?有給休暇?ナニソレオイシイノ?
サービス残業は当たり前、徹夜明けの警備や、デモ隊との衝突なんてのはザラ。
間違いなく労基署がすっ飛んでくるに違いない職場環境。
3K、4K、5K(きつい、きたない、危険、帰れない、カッコ悪い)なんてレベルなものではない。実際、職務中に斃れた隊員も十指に収まらない。
過労死のみならず、デモ隊から火炎瓶を投擲され火だるまになったり、硫酸や硝酸などの劇薬を顔面に受け失明したり、全身の皮膚が爛れ、結婚を諦めざるを得なかったり……。
人頭大はあろうかというコンクリート片の投石が降り注ぐ中、部下を守ろうと飛び出し、コンクリート片を頭部に受け殉職した西条巡査部長……。
(日大本館封鎖解除警備。のち、警部へと2階級特進。弔慰金はわずか2千万円)
中には後遺傷で、右手が途中までしか上がらず、敬礼が出来ないという理由で奉職以来の夢であった警察署長への道を閉ざされ、閑職にまわされた隊長もいるほど。
(この隊長はのちに、東村山警察署長に就任したそうだ。)
いつの世も、人を励ますのは歌である
このような中機動隊を統括し、都内警備の指揮を執る立場にあった、警視庁警備部警備第一課長・佐々淳行警視正や、秦野章警視総監の発案により「機動隊員を鼓舞する愛唱歌を作ろう!」との計画が持ち上がる。
秦野総監が、作詞家・川内康範との間に個人的な親交があったらしく即座に計画は実行に移された。
こうしてビクターレコードより昭和45年(1970年)に発売されたのが「この世を花にするために」と「この道」の2曲であった。
歌を吹き込んだのは、当時より演歌御三家のひとりとして、甘いマスクで世の女性陣より人気を博した橋幸夫。
橋は「警察官や自衛官など、日夜我々のために命を懸けて下さる方々に憧れがあった」と明かしている。
この世を花にするために
A面に収録されたのが「この世を花にするために」
もっぱら、機動隊員向けの愛唱歌として制作された。
このため、3番まである歌詞のそれぞれラスト部分には
機動隊の文言が記されている。
この道
B面に収録されたのが「この道」
「この世を花にするために」と対になるよう製作され、意図的に警察や機動隊らしさを排除した作りになっている。
結婚式の披露宴などにも用いられるようだ。
この道を真っすぐに
先述したように、80歳の誕生日である令和5年・2023年の5月3日(憲法記念日)を以て、歌手活動の引退を明言している橋。(今後も芸能活動自体は続けられるとのこと。)
そんな、橋幸夫のラストソングとなったのが「この道を真っすぐに」である。
橋幸夫自らが作曲した、警察官へのエールを込めた歌となっている。
作詞:希雄由
作曲:橋幸夫
関連動画
橋幸夫公式ちゃんねる「この道を真っすぐに」