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ホルヘ・ルイス・ボルヘス

ほるへるいすぼるへす

ホルヘ・ルイス・ボルヘスとはアルゼンチンの作家、詩人。日本では『幻獣辞典』の執筆者として有名。
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1899年8月24日生-1986年6月14日没

概要編集

本名はホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベード。

アルゼンチンブエノスアイレス生まれ。

短編や詩集を数多く発表したが、長編小説は一作も書かなかった。


作中、架空の書物や作家があたかも実在するように登場し、それを主題に作品を書き上げることも多く、円環無限迷宮をモチーフとした作品を数多く発表している。


1960年代のラテンアメリカ文学ブームで「マジック・リアリズム」と呼ばれ世界的に評価されており、日本においては1970年代に著作が翻訳され始めた。

特に1974年に翻訳出版されたマルガリータ・ゲレロとの共著である『幻獣辞典』の作者として有名になった。


本人はどう思っていたかは不明だが、現在のファンタジー系作品や、ロールプレイングゲームに非常に大きな影響を与えている。

人物編集

父はイギリス人とイタリア系ユダヤ人の血をひき弁護士であるだけでなく、外国語教師養成学校の英語での心理学の教員であった。さらに母はウルグアイの旧家の出で、先祖はヨーロッパから南米への植民に関わっていたという。

また一族全体で詩人や文学者を多く輩出している家系であり、父の書斎にある5000冊もの蔵書に囲まれ、そのような家庭環境の中で英語スペイン語の2か国語に触れて育った。


英語で『ドンキホーテ』『グリム童話』や『千夜一夜物語』などを、スペイン語ではコンパドリード(ならず者)やガウチョが活躍する物語を好んで読んだという。

10歳のときに『幸福な王子』をスペイン語に翻訳したものがアルゼンチンの日刊紙に掲載されたが、周囲は父によるものであると勘違いしたという。


父の病気の治療と妹の進学のためスイスに移住し、そこではさらにラテン語フランス語ドイツ語を学び、スペインで前衛文学運動「ウルトライスモ」に参加した。


アルゼンチンに戻ってからは、詩集やエッセイを次々と発表するようになり、ブエノスアイレス市立図書館司書という定職についたが、そこは仕事量が少ない閑職であり、創作や読書に多くの時間をさけたかわりにボルヘス自身が「濃厚な不幸の九年」と述べたほど自信を失う経験であったという。


1946年のペロン政権においては、反抗的であると公共食肉市場の検査官に転属させるという嫌がらせにあったために職を辞すことになった。

しかし、1950年にアルゼンチン作家協会会長に選出されて各国に講演に回るようになり、1955年には新政権によってアルゼンチン国立図書館の館長に任命されるが、その頃には視力をほとんど失っており口述筆記で定型詩を発表するようになった。


1960年代になると著作が各国で翻訳紹介されるようになり、各種賞を受賞して国際的な評価を不動のものとし、晩年は教え子で助手の日系人であるマリア・コダマと再婚し、同年肝臓がんで死去しジュネーブの墓地に埋葬された。

作品編集

小説集編集

『伝奇集』『エル・アレフ』『砂の本』『不死の人』『ブロディ―の報告書』『悪党列伝』『アレフ』

詩集編集

『創造者』『永遠の薔薇』『鉄の貨幣』『エル・オトロ、エル・ミスモ』『闇を讃えて』

評論・講演集編集

『夢の本』『エバリスト・カリエゴ』『異端審問』『永遠の歴史』『ボルヘス・オラル』『七つの夜』『アトラス-迷宮のボルヘス』

共著編集

『バベルの図書館』『ボルヘスとの対話』『幻獣辞典』『ボルヘス怪奇譚集』『ブストス=ドメックのクロニクル』『天国・地獄百科』『ドン・イシドロ・パロディ六つの難事件』

関連タグ編集

小説家 詩人 アルゼンチン ボルヘス

幻獣辞典 南米妖怪

 

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