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幻坂

まぼろしざか

作家の有栖川有栖が、地元大阪の天王寺七坂を舞台に書いた怪談小説
目次 [非表示]

あなたが教えてくれた天王寺七坂、もちろんちゃんと言えますよ。一心寺さんの横、四天王寺さんから通天閣の方へ下っていくのが逢坂、そこから北に向かって順に天神坂、清水坂、愛染坂、口縄坂、源聖寺坂、そして真言坂。ほかの六つの坂が東西方向なのに、真言坂だけは南北方向

概要編集

作家の有栖川有栖が、地元大阪上町台地に実在する天王寺七坂(大阪七坂)を舞台に書いた怪談小説。大阪でも特に歴史が古い場所。大阪の書店員が選ぶ『2017年大阪ほんま本大賞』受賞作。

天王寺七坂編集

』というのは『境目』でもあって、現実と現実でない不思議な別の世界へつながっている途中

清水坂編集

もうすっかりお婆さんになった女性が、幼少期天王寺七坂を縄張りに幼馴染と遊んでいた頃、同い年の幼馴染の男の子の妹を皆で可愛がっていたが、幼馴染兄妹は親の離婚で遠くに引越して行ってしまう。約束していた遊びに来ての連絡が中々来ない。そんな中、独り清水寺で四人で遊んだ楽しかった日々のことを思い返していたら…

  • 清水坂は京都の清水寺を模して建立された、有栖山清光院(ありすざんせいこういん)・清水寺が名前の由来の坂。昔は有栖寺という名で、近辺に有栖川という川が流れていた。京都の清水寺の音羽の滝を模した滝もあり、大阪の清水寺の滝は玉出の滝という(大阪市唯一の滝)。
  • 模して建てられたのは、1640年ごろの僧侶・延海阿闍梨(えんかいあじゃり:阿闍梨とは位の高い僧侶のこと)が、夢の中で観音様から『延海よ。この地に京都の清水寺を模した寺を建立するのです』というお告げを受けたから。
  • ソラシリーズにも名前が登場。

愛染坂編集

雨の坂道で出会い恋におちた、小説家の男性と作家のファンで自身も作家を目指している女性。しかし自意識のために男性は女性を死においやってしまった。

  • 高低差14mの天王寺七坂の中でも屈指の急な坂道。
  • 愛染坂の名は、坂の下り口になる愛染堂勝鬘院から付けられた。愛染堂は593年建立の大阪市最古の木造建築で、聖徳太子無病息災を祈念して建てた。大阪最古の祭り『愛染祭り』は男女の縁を結ぶ夏祭りとして有名。縁結びの神様になったのは、境内の中にある樹齢数百年の桂の木に、ノウゼンカズラのツルが長い年月をかけて巻き絡まりあい、その様子から仲の良い夫婦のようだと恋愛成就御利益があるとして人々から崇められるようになったから。
  • 愛染坂の添いにある大江神社は、阪神タイガースファンがお詣りに来る神社(狛犬ではなく狛虎)。

源聖寺坂編集

少女時代上る下るした源聖寺坂。でも少女は理由もなく源聖寺坂が怖かった。大人になり大阪を離れ実家の両親も引っ越したため大阪に帰省しても源聖寺坂を通ることもなく過ごしていたが、パーティーに招待してくれた逗子にある先生の別荘で源聖寺坂が描かれた絵と出会う

  • 濱地健三郎シリーズの一つでもある作品。
  • 名前の由来は坂の上り口にある源聖寺から。
  • 坂のすぐ脇には新選組の大坂旅宿跡である萬福寺がある。
  • ココと四天王寺と法善寺横丁とに敷かれている敷石は、大阪市営電気鉄道が日本で最初の公営電気鉄道として1903年に開通したが、舗装していない道路にレールを敷いただけだったので、電車が通る度に砂埃が酷く近隣住民からの苦情が相次いだため、舗装用に全国各地から取り寄せた御影石(1969年に大阪市電は廃止。敷石も撤去することになった為、上等な御影石だったこともあり街の景観を良くするために使ってほしいと寄付した物で、大阪市電は今でも大阪市民の足を支えている。)

口縄坂編集

が大好きだけどペット禁止のマンションの為に猫が飼えない美季。そんな美季を喜ばせてあげようと高校の親友で織田作之助ファンの理緒が、猫が沢山いる口縄坂に連れてきてくれた。大いに喜び、全部の猫の写真を撮りたいと日参する美季。しかし家に帰ってから誰もいないはずなのに視線を感じたり、金縛りにあうようになり…

  • 口縄とは古い大阪の言葉でのこと
  • 細くて起伏ある道、鱗のような石畳から口縄坂と呼ばれるようになった。
  • 松尾芭蕉の句:口とぢで 蛇坂を 下りけり(くちとじて くちなわざかを くだりけり)
  • 織田作之助の文学碑(木の都)がある。
  • この坂のすぐ下は大昔で、ココで漁師をしていた男性がお地蔵様を漁の最中に見つけた。病床の母のところに持って行き一心に病を治してほしいと祈ったところ、たちどころに回復した。という逸話が残るお地蔵様が善龍寺に『海中出現地蔵尊』のお名前で『身代わり地蔵』として今でも祀られている。

真言坂編集

翻訳の仕事をしている絹江。彼女は学生の頃アルバイト先で出会った27歳のフリーライターと良き友人関係になった。そんな中、彼女に好意を持った男にしつこく迫られ相手の男はストーカー行為に及ぶようになり、恐怖の中フリーライターの友人に相談したが…

  • かつてこの付近には真言宗の寺が六坊並んでいたことから真言坂と名前が付いた。(廃仏毀釈で今はその六坊は無い。)
  • 坂の先には生國魂神社があるが、江戸時代この近辺は大阪でも人気の場所で多くの人が集まる場所だったため傍に往来客を見込んだ店が次々立ち並ぶようになった。更に遊女がいる泊り茶屋も立ち並ぶようになり、その名残からか現代でもラブホテル街に。

天神坂編集

探偵と名乗る男に割烹料理屋に連れて来られた女。だが女は探偵という職業に不信感を抱いていた。

  • 濱地健三郎シリーズの一つでもある作品。新宿に事務所を構えている探偵なので、所謂大阪出張編。
  • 天神坂の天神は菅原道真のこと。九州に左遷される時、船待ちしていた道真が休憩に利用した坂だということから天神坂と呼ばれるようになった。
  • 道真は、天神坂で船待ちしている時に貰った『岩おこし/粟おこし』のその美味しさに感動し、菅原家の家紋を入れることを許可した。
  • 坂のふもとにある安居天満宮(安居神社)は、菅原道真を祀っている。その境内に、ある一本の松の木が祀られている。それは大坂夏の陣で退却し立つことも出来ないほど疲労困憊した真田幸村がその松の根本で休んでいたところを敵方に見つかり討ち取られた場所。終焉の地として『真田幸村戦死跡之碑』が建っている。

逢坂編集

高校生の時から演劇に魅了され大学も中退して劇団に入った駿介。座長が書いた『しんとく丸』と『弱法師』を現代風にミックスした脚本と演出がどうしても納得出来ず、演技に身が入らずにいた。

  • 西に行けば新世界天王寺公園、東に行けば四天王寺がある場所。
  • 表題の『幻坂』はこの逢坂のこと。逢坂は江戸時代まで、死者が多数出るような大阪でも有数の険しい坂で、それを憂いた尼寺茶臼山観音寺の住職・静明が坂を切り崩して平らにすることを思いつき提案、人々に寄付金を募った(功績を称える石碑が残っている)。そして山は切り崩され『逢坂』の名前と一本の道標だけが残った。
  • 『逢坂』の名前の由来は未だにわかっていない。(説の一つに京都と滋賀の間にある逢坂の関から取ったのでは?というのがあるが根拠は無い。)

歴史小説編集

枯野編集

弟子たちの仲違いの仲裁の為に大阪に来た松尾芭蕉。しかし体調を崩し、その道々で謎の男の姿を見かけるようになる…

  • 芭蕉終焉の地の碑は、難波別院(南御堂)の前、御堂筋の緑地帯内にひっそりと建っている(道路拡張工事のためこうなってしまった)。

夕陽庵編集

病に臥した主君に請われ、男はわずかばかりの供を連れて熊野詣へ。男はいつか行きたいと心に秘めていた場所に立ち寄る為、本来なら早朝を選ぶところを夜中に出立することにした。

  • 藤原朝臣家隆出家後四天王寺の西側で設けた『夕陽庵せきようあん』にちなんで、この辺りは『夕陽丘ゆうひがおか』と呼ばれるようになった。

作者関連X(Twitter)編集

関連タグ編集

有栖川有栖(作家アリス):彼が作中で散歩コースにしている場所として多く天王寺七坂が登場している。『朱色の研究』の作中で登場人物たちが、しんとく丸云々、日想観云々(夕陽庵に日想観のことが出てくる)の話もしている。また『三つの日付』では「生玉のホテルで~」と森下がアリスに事件の説明をしている場面で生國魂神社近くのラブホ街のことがチラっと出てくる。

有栖川有栖(学生アリス)作家アリスシリーズを書いてるのは作家になった学生アリスなので、彼も天王寺七坂に詳しいということになる。

ブラックマヨネーズ:ネタの一部『俺の家上本町いうて大阪の坂の上やぞ』大阪の坂繋がり

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