プロフィール
人物
ヤクルトスワローズが1999年に受け入れた野球留学選手のひとり。同様に入団した他の選手には佐藤二朗(ツギオ佐藤)、ロドリゴ宮本(リーゴ)などがいる。来日当初は挨拶くらいしか日本語を話せなかったが、徐々に日本の生活にも慣れてNPBへ順応していった。
2004年に日本国籍を取得して帰化。本名は「松元雄一」であるが、スコアボード上では「ユウイチ」で表記された。帰化する前の本名は「松元・ユウイチ・ダニエル(Yuuichi Daniel Matsumoto)」。
現役時代
- 入団から2001年までは外国人枠の関係もあって一軍未出場。2002年にロベルト・ペタジーニと真中満の登録抹消時に初昇格を果たし、プロ初安打を記録した。
- 2004年の日本国籍取得後は外国人枠から外れ、ここで一軍定着へのきっかけをつかむと、翌2005年はプロ初本塁打を含む2本塁打を放ち、75試合に出場するなど成長を見せた。
- 2006年は腰痛を患い不本意な成績に終わる。2007年もケガに悩まされたが、シーズンでは33試合で打率.340、3本塁打16打点とキャリアハイの成績をマークした。
- 2008年は左の代打の切り札として80試合に出場するも本塁打は無し。打率も.254と今一つに終わる。
- 2009年は開幕一軍入り。途中登録抹消されるもジェイミー・デントナ、宮本慎也ら主力の相次ぐ離脱から8月終盤に再登録される。ここでチームの危機を再三救う活躍を見せ、クライマックスシリーズ進出に貢献した。
- 2010年も開幕一軍入りするがすぐに登録抹消。その後は一軍と二軍を行ったり来たりでロクに活躍できずに終わってしまう。2011年も開幕一軍入りこそ果たすも中盤から不調に陥る。
- 2012年は二軍スタート。8月、9月とトニー・バーネット、ウラディミール・バレンティン、畠山和洋、松井淳、ラスティングス・ミレッジら主力の相次ぐ離脱の中に一軍に昇格し、こちらでもクライマックスシリーズ進出に貢献する。
- 2013年WBCブラジル代表に選ばれ、ラファエル・フェルナンデス、金伏ウーゴ、ツギオ佐藤、曲尾マイケらチームメートとともに予選ラウンドに出場。パナマ、コロンビアらを撃破し、第一ラウンド出場に大いに貢献した。
- 2015年は左の代打として活躍し、14年ぶりの優勝に貢献。日本シリーズ出場をもって現役を引退した。
現役引退後
引退後もヤクルト球団に残り、2016年からは二軍打撃コーチ、2020年からは一軍打撃コーチ、2022年からは一軍作戦コーチを歴任。
2022年シーズン途中の一時期、COVID-19クラスターで戦線離脱した高津臣吾監督に代わって監督代行として指揮を執った。