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石ノ森章太郎の編集履歴

2017-10-17 20:36:19 バージョン

石ノ森章太郎

いしのもりしょうたろう

日本の漫画家。

概要

本名は小野寺章太郎(おのでら しょうたろう)。漫画家(画家を自称)。ほかに特撮番組原作者など多岐にわたって活躍。

1938年1月25日生まれ。宮城県登米市(当時は登米郡石森町)出身。


『二級天使』でデビュー、学生時代は手塚治虫アシスタントを務め、その実力を手塚本人からも賞賛された(文庫版『鉄腕アトム』のエピソード「電光人間」の前説にて「帰ってきた原稿を見て僕は驚いた、ここまで描いてくれるとは思わなかったのだ」などと解説されている)。

プロデビュー後は『快傑ハリマオ』(原作:山田克郎)『サイボーグ009』など多くの作品を発表する。後プロデューサー的なポジションにて成功をおさめ、特撮モノなどの原作者としても有名。『仮面ライダー』や『秘密戦隊ゴレンジャー』(スーパー戦隊シリーズ)は現在でも新たな作品が作られるほどである。

いわゆるトキワ荘時代は、水野英子赤塚不二夫とともに「U・マイア」という名で、作品を発表していた。


また後年には「マンガ経済入門」や「マンガ日本の歴史」など大人向けの学習漫画も執筆し注目された。筆が早いことで有名で、一晩で50ページを書き上げた等の伝説があり、師の手塚治虫が「漫画の神様」と称されたのに対し、その仕事量と人気などから「漫画の王様」、「漫画の帝王」と称された。大量の仕事をこなす中で、新作映画は全てチェック、また収入の全てを海外旅行や遊びに使い、貯金はほとんどなかったという。人並み外れたハードワークと睡眠不足が、晩年体調を崩した原因と言われている。


以前と比べ「漫画」で多数の表現が可能になったとして、漫画の新しい呼び名として「萬画」を提唱し、1989年「萬画宣言」を行い自らを萬画家と称した。その頃から体調を崩して表に出る事もなくなり、1998年1月28日永眠。


なおデビュー当時のペンネームは「石森章太郎」。1984年までは石森章太郎の表記を用いた。

元々「石森」で「いしのもり」と読ませるつもりだったが「いしもり」の読みが定着してしまっていたため、初心に戻る意味をこめて改名。


ちなみに永井豪は元アシスタント。

永井の自伝漫画「激マン!」によると「普通の人の5倍のスピードで作品を描く天才」とのことである。

2008年「1人の著者が描いたコミック出版作品数の世界最多記録」としてギネスに認定された。


荒俣宏は、石ノ森がミュータントサイボーグなど、当時「石森章太郎の造語」疑惑が出るほど難解な単語を少年誌漫画のタイトルにもし得たのは、「少女漫画を描いていたため」と主張している。当時、専門用語など(あとパロディとか)は少年誌ではまずありえないものであったらしい。


超多作作家ではあるが、「完結編」「伏線を回収した大団円」を殆ど描かない(鬱エンドも多い)。島本和彦によると、飽きっぽい性格で「あとはテレビに合わせてテキトーにやるか!」という態度だったからこそ、多作だったのではないかと推測している。


代表作

漫画作品・キャラデザインなど


萬画宣言

  • 一、萬画は万画(よろずが)です。あらゆる事象を表現できるからです。
  • 一、萬画は万人の嗜好にあう(愛されるし、親しみやすい)メディアです。
  • 一、萬画は一から万(無限大の意も含む)のコマによる表現です。従って萬画は、無限大の可能性を持つメディアである、とも言えるでしょう。
  • 一、萬画を英語風に言えば…Million Art。Millionは百万ですが、日本語の万と同じく「たくさん」の意味があるからです。頭文字を継げれば、M·Aです。
  • 一、M·Aは即ち“MA”NGAの意。

関連タグ

仮面ライダー キカイダー ゼルダの伝説

手塚治虫 島本和彦

ビッグマシン シージェッター海斗 ガルーダの騎士ビマ トキワ荘

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