「日本橋」とは、日本の国名が付いた橋。福島県の郡山市日和田と本宮市の境に位置する橋「ひもとばし」は、両地名の頭を取っているので、ここでは述べない。
東京都の日本橋(にほんばし)
橋として
江戸時代に徳川家康が当時の入り江を埋め立てた際、意図的に水路として残されて出来た運河「日本橋川」に架けられた。当時の五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)の起点でもあり、現在でも「日本国道路元標」が置かれている。以後木造橋として水害で失われる度に架け変えられたが、明治時代に石造の橋となった。
国の重要文化財。
現在では上に首都高速道路都心環状線が架けられている。これを景観破壊の最たる例と見る者がおり、未来的な景観と評する者もいた。
首都高速は開通から50年以上が経過し、橋桁の老朽化が問題視されたことから、日本橋付近のおよそ1.2km区間を地下化することが決定。2020年以降に地下化工事が開始される見通しである。
地名としての日本橋
上記のとおり五街道の起点として定められてから江戸の中心地となり、金座(跡地は日本銀行本店)や魚河岸が置かれ繁栄した。魚河岸は関東大震災で壊滅後築地に移転するまで日本橋に存在した。
戦前には「日本橋区」が存在した。戦後京橋区と合併した際、旧町名には全て「日本橋」が冠された。東日本橋については区画整理時に町名変更されたが以前の町名には日本橋が冠されている。
三井グループの力が強く三井本館、三越本店があり、尚且つ地下鉄駅(三越前駅)まで作ってしまった。
また、高島屋の旗艦店(本店ではない)もある。
交通アクセス
起点とする主要国道が多いため「東京」に向かって走り都内に入ったら「日本橋」に向かえば着く。
首都高速で向かう場合は渋滞や規制情報に注意したい。
JRでは新日本橋や八丁堀に神田があるが東京駅から徒歩でも充分歩ける距離である。
東京メトロや都営地下鉄の駅も数多い。
大阪府の日本橋(にっぱんばし)
大阪市中央区・浪速区にある橋および一帯の地名、西日本最大のオタ街。
橋としての日本橋
江戸時代には紀州街道にある重要な存在だったので、幕府の経費によって架けられた「公儀橋」であった。現在の橋は昭和44年製。でんでんタウン、オタロード(後述)よりかなり北側に位置する。
地域としての日本橋
「東の秋葉原(アキバ)、西の日本橋(ポンバシ)」と呼ばれる程の街。
電器店、同人ショップ、メイド喫茶、模型店、フィギュアショップ等等オタクの街と思いきや、道を一本外れてみると三階建ての「五階百貨店」や、露天商のおっちゃんや、食品関連の店舗が連なる「黒門市場」などがある。
電機の街
明治、大正時代の一帯は古着、古書店街だったが、戦後に旧軍や米軍払い下げのパーツなどの専門店街、やがて西日本最大の電気街として発展していった。
但し電気街は大型量販店(特に梅田のヨドバシカメラ)に押されて衰退傾向にあり、閉店した店舗は他の業種(主にフィギュア、トレカ等)が入居したり、解体されてマンションになるという。
オタクの街
「オタクの街」であるのは堺筋(紀州街道)、オタロード、なんさん通り(なんさん通り商店街)一帯である。
オタクの街となったのは秋葉原と同じ頃、同じ要因である。現在では衰退激しい電機とは対照的に競争が激化している。休日には近畿一帯はもとより遠く愛知県からも来客があるという。また痛車の元祖は四国ナンバーのものがこの街に来てから、という説がある。
2005年からはコスプレイベントである「日本橋ストリートフェスタ」(通称ストフェス)が毎年開催され(但し毎年綱渡り状態であるという)、2009年にはいとうのいぢデザインの音々ちゃん、2010年には光ちゃんが誕生。
これからも西日本最大のオタ街として、そして老若男女大勢の人が集う街として発展が期待されている。
交通アクセス
近畿日本鉄道に近鉄日本橋駅があるが、町のど真ん中へは地下鉄堺筋線恵美須町駅が便利。南海電気鉄道、阪神電気鉄道、地下鉄御堂筋線の難波駅からはなんさん通りを通って高島屋東別館が目印である。
自動車利用の場合は名神高速道路豊中インターチェンジで阪神高速11号池田線に入り、そのまま同1号環状線に入り、夕陽丘で降りてすぐ。
東京地区からの移動の場合は江戸橋料金所から首都高速道路⇒東名高速道路⇒名神高速道路を経由、もしくは東京駅から東海道新幹線で新大阪駅まで向かって地下鉄御堂筋線へ乗り換え、となる。