概要
別の作品にも関わらず、ハンコ(スタンプ)で押したように(特に顔立ちが)同じような絵となっている場合に、揶揄する意図で使われる。
なお、アニメーションのような連続した絵、3Dモデルなどで角度による崩れがないことや、表現の一種として意図的に同じように描いている場合には使われない。
判子絵となる原因
イラストや漫画では描き手の手癖や画風、趣味や角度などでキャラクターの顔が同じという現象が往々にして起こる。
これがひどい場合は性別や年齢の描き分けができず、老若男女みな同じ顔になってしまうことがある。
描き分けが得意な場合、表面的なキャラクターデザインだけでなく、表情やポーズなどで似たキャラクターでも差をつけることができるが、描き分けが得意ではない場合、髪色をカラフルにするだけ、髪型や目の色、形を変える(釣り目⇄垂れ目⇄糸目など)だけ、といった安易な差別化を行ってしまいがちになる。これにより、「同じ顔に見えるが別のキャラクター」という存在が生まれ、読者や視聴者が区別できなくなってしまうという問題が発生する。
モーフィングなどを利用して、複数の顔写真を合成すると、出来上がった平均顔はより美形に近づく、という説が存在する。(フランシス・ゴールトンの研究。正確には「美形と認識されている顔は、実際には最も平均的な顔立ちである」という仮説である)
この説に基づくと、いわゆるブサイクな顔とはパーツの形状や大きさ、配置などに特徴があり、美形の顔は平均的で特徴が薄いということが考えられる(ちなみに、ブサイクと見てて不快な顔は同義語とは限らず、見てて不快な顔は大体原作でそう説明されている)。
実際には、「(美形の)人物のルックスはみな同じ」ではない。整っている=平均的な配置に近い、という共通する部分を持つが、それぞれパーツに微妙な差異があるからである。また、時代や地域によって好ましいとされる特徴や、観る側の美醜に関する感覚が影響する。
ニチアサ作品やアイドルのグッズの売り上げ(業界が洗脳したものではなく、統計となって表れている)に表れているように、人気が出やすいデザイン・性格・モチーフ・色にはある程度の傾向があり、子供が生まれつき持っている、ある程度の共通の美形の感覚というものも存在するようである。
アニメや漫画のように簡略化・デフォルメされた絵では、現実の人間のような微細なパーツの大きさや配置の差異を表現することは難しい。(カリカチュアのように、その人物の特徴的なパーツを極端に誇張して描く場合を除く)また、先述のように、描いている側の技術により、差異を表現するための引き出しが足りないということも挙げられる。
以上から「判子絵」の原因は「現実の人間のような微妙な差異を技術的に表現することができず、平均的な表現で統一してしまうこと」であるといえる。
判子絵の実例
あだち充は通常言われる判子絵とは違い、主人公とヒロインを常に同じ顔にして、他のキャラも顔を使い回している。別作品だと同じ顔のキャラクターばかりであるが、一作品内で同じ顔の人物は(双子など意図的に似せている場合を除き)登場しない。これは手塚治虫のスターシステムの手法に近い。
また、作画の能率化目的であえて似たような絵柄にするケースもある。ギャルゲーをはじめとする複数のキャラクターが登場するADVなどの場合は、作画コストやリソース、納期の関係で判子絵的な作画に揃えていることがある。
以下、キャラクターの実例や取り上げられた際の反応など。
鳥山明作品
- 木緑あかねと則巻みどり…別作品に登場する赤の他人だが、あかねが髪型を変える(+胸に風船を入れる)だけでみどりに入れ替われる事を劇中で披露。
- サイヤ人…作中で「我々サイヤ人は顔のパーツの種類が少ないのだ」というセリフがある。
あだち充作品関連
- 蟹沢きぬ…特技が「あだちヒロインの見分け」。
- アメトーク…「タッチ芸人」回を見た原作者(あだち充)本人が「上杉達也はどれ?」と言う問題に対し、不正解した上で「あんなのわかるわけないだろ」と発言したことを『ゲッサン』編集者部がツイッターで言及。ちなみに担当編集者の方は正解出来たようである。
- リカちゃん…「りからいず」など、彼女の容姿(特にボディ)をフォーマットとした様々な作品とのコラボドールが販売されている。また、「おともだち」にはリカちゃんのヘッド・ボディをそのまま利用したドールが存在する。
- ピンキーストリート…共通した外見のドールフィギュアを着せ替えさせて楽しむことができる。また、同様のコンセプトを持ったドール、フィギュアは複数存在する。
特撮作品
- ドキータ粘土(恐竜戦隊ジュウレンジャー)…大人の事情で怪人の着ぐるみを作る費用が<お察し下さい>になった為、話の途中からドーラモンスターをたい焼きのような粘土型で量産するようになった。
なお、コミPO!のような3D素材(アセット)を用いた漫画・イラストなどの制作や、Vroid・カスタムキャスト(カスタムメイド3Dシリーズの技術を用いたバーチャルYouTuber支援サービス)など、既存の3Dモデルをユーザーがカスタムするような場合、結果として判子絵的な形になって表現されてしまうことがある。
顔、人体以外
判子は特定の場面でのお約束的な展開に使われることもある。いわゆるバンクシステムの場合、「判子絵」には含まれない。
例えば、漫☆画太郎作品では職場にコピー機を導入した喜びから同じ絵を何度も同じ漫画内で使い続け、それ自体をギャグとして利用していたほか、魁!!クロマティ高校では別の回でも意図的に何度も同じ角度でキャラクターが描かれることがあった。ポプテピピックでは同じような絵であっても一見コピーアンドペーストで制作しているように見えて、全て一から描き起こされている、というコマが複数存在する。
お約束を繋ぎ合わせたシチュエーション、その連鎖自体をお約束化したシチュエーションは、俗に数珠繋ぎ、ハリボテ、天丼などと揶揄され、一見誰にも作れそうに見えるが、「お約束の数珠繋ぎと思わせた後で、どこの真似でもない印象的な展開が来る」「よくある展開だが、これまでと印象が異なる」(理に叶ってるけど腑に落ちない展開にして皮肉る、偽物展開の中に本物展開を混ぜておくなど)「話の流れ自体はお約束だが、萌えや抜きに力を入れる」(そこがテーマだと説明されている)という用法が使われることがあり、ライトノベルのようなアニメ絵の作品でよく見られる。
1.5次創作が有名になる前のマイナーキャラを扱った二次創作では「『キャラの特徴』や『原作の世界』という印象を与えるパーツが限られている為、数珠繋ぎすら作れない」という悩みがよく聞かれた。オリジナル設定を大量に使えば困ることがないが、それでは二次創作でやる意味がなく、「もしも出番が少なく、設定が少なく、印象的な演出があるマイナーキャラが、原作の面影や印象を維持したまま出番が増えたら」といったifを再現できない。その為、映像が妄想任せの小説や結末が選択任せのゲームで使われてきた用法などを参考にし、グレーゾーンを表現する為の表現が1.5次創作で編み出された(単語を変換できるようにする、のっぺらぼうにする、「」といった空白の台詞を言わせる、マイナーキャラにありがちな設定のガイドラインを作る、設定が多くも少なくもないキャラのガイドラインを作るなど)。