概要
種牡馬としての二頭
メジロマックイーン(1987~2006)は史上初の獲得賞金10億円超え、父子孫の天皇賞三代制覇など輝かしい実績を残して1993年限りで引退した。競走馬としては名実共に歴史に名を残す名馬であることは疑いようもないが、種牡馬としては苦戦した。
JRAの重賞を獲ったマックイーン産駒は5頭。そしてGⅠ馬は生まれず、馬主のメジロ牧場や競馬ファンが期待した天皇賞四代制覇を果たすことはできなかった。
特に牡馬の活躍馬に恵まれず、牡馬で唯一重賞を獲ったホクトスルタン(2008年目黒記念、ちなみに天皇賞は2008年春の4着が最高である)は障害競走に転向のちレース中の故障で予後不良となり、マックイーンの後継種牡馬となることができなかった。
ステイゴールド(1994~2015)は、現役中はかつてのナイスネイチャにも匹敵する善戦ホースとして独自の人気を獲得し、2001年に引退レースとして臨んだ香港ヴァーズで念願のGⅠ制覇(同時に、日本産日本調教馬による海外GⅠの初制覇)を果たし大きな感動を呼んだ。
しかし、種牡馬としては特に期待されてもいなかった。サンデーサイレンスの後継の一頭ではあるものの、そもそも引退した2001年時点で父サンデーサイレンスはまだバリバリの現役種牡馬であった。さらに後継種牡馬なら既にフジキセキ、ダンスインザダーク、マーベラスサンデーらが活躍中、さらにスペシャルウィークやアドマイヤベガなど、ステイゴールドより高評価のSS産駒も続々種牡馬入りしていた。
(今でこそ名種牡馬として名を馳せるステイゴールドだが、その繁殖生活の始まりは逆境からだったわけである。)
配合のねらい
この2頭、(母馬の母系血統を別にすれば)血統上でカチ合うところはなく、父・母父としてコンビを組ませるに支障はない。
そして、メジロマックイーンは馬体重490kg前後のやや大柄な馬で、産駒は脚部不安などを抱えるケースが多かった。一方、ステイゴールドは馬体重430kg前後と小柄で、現役50戦をこなし大きな故障もない頑健そのものの体質だった。
すなわち、馬体の大きさのバランスを取り、マックイーン系の脚部不安をステイゴールドの血で補おうというのが主な狙いである。
よく、「ステイゴールドのずる賢く暴れ馬な気質を、穏やかなメジロマックイーンで中和しようとした」とも言われるが、これは正確ではない。マックも現役晩年はその頑固さから扱いづらさが増した馬であったし、最初にこの配合で活躍した後述のドリームジャーニーは、まさにステゴの息子とみな納得の気性難であったので、その後の種付け例が気性改善を狙ったものとは説明し得ない。ドリジャ以外も、後述のとおりこの配合で活躍した馬はとんでもない曲馬ぞろいである。
産駒の例(中央重賞以上)
ドリームジャーニー
(Dream Journey、2004年生、牡・鹿毛、母オリエンタルアート)
主要勝鞍:朝日杯フューチュリティステークス(2006)、宝塚記念・有馬記念(2009)
表彰:2009年最優秀4歳以上牡馬
この配合でデビューした2頭目の馬であり、最初の活躍馬。2006年の朝日杯フューチュリティステークス勝利は、ステイゴールド産駒初かつメジロマックイーン子孫初のGⅠ制覇であり、両馬のファンを心から喜ばせた。
ちなみに、2004年生まれのドリームジャーニーの後、「父ステゴ・母父マック」の馬は2008年生まれ世代までデビューしていない。つまり、後に続く馬たちはドリジャの朝日杯制覇を見てから付けたということであり、この意味でも「夢の旅路」を拓いた役割は大きい。
その後、着実に重賞勝ちを積み重ねるもGⅠ2勝目が遠く、種牡馬いけるか…?とファンの心配を誘っていたが、2009年に宝塚記念・有馬記念の春秋グランプリ制覇を達成。これにより、引退後に種牡馬入りを果たすことができた。
なお、父ステゴよりもさらに小柄な420kg前後の馬であるとともに、気性面ではサボる・暴れる・わがままとまさにステゴ産駒というべきものだった。
フェイトフルウォー
(Fateful War、2008年生、牡・黒鹿毛、母フェートデュヴァン)
主要勝鞍:京成杯・セントライト記念(2011)
2011年年明けのGⅢ・京成杯を取り、同世代のオルフェーヴルより早く重賞馬となったが、クラシック三冠では敵わず大敗。しかし、オルフェとともに「ステマ配合、間違いない」という評価に貢献した1頭である。引退後は乗馬となった。
なおこの馬、2010年の新馬戦で放馬をかましたのち勝利という珍記録を持っている。返し馬で立ち上がり騎手を振り落として逃走、周囲の馬をからかって回り、ひとしきり走り回った後に捕獲されたが、馬体に異常はなかったため出走が認められた。ところが放馬の疲労もみせずに2馬身半差をつけて勝利、東京競馬場は新馬戦とも思えぬ喝采に沸いた。
オルフェーヴル
(Orfevre、2008年生、牡・栗毛、母オリエンタルアート)
主要勝鞍:皐月賞・東京優駿・菊花賞(2011)、有馬記念(2011・13)、宝塚記念(2012)
表彰:2011年最優秀3歳牡馬・年度代表馬、2012・13年最優秀4歳以上牡馬、顕彰馬(2015年選出)
2011年の三冠馬であり、同年「ステマ配合」の語を一躍注目させた馬。
(※よく、ゴールドシップのお陰で有名になった配合と言われるが、正確ではない。)
前述したドリジャの2006年朝日杯制覇を受けて繁殖牝馬としての株を上げた母オリエンタルアートには、2007年には大注目の新種牡馬ディープインパクトが付けられる予定だった。ところが、3度に渡るディープとの種付けはすべて不受胎に終わる。交配シーズンも終わりに差し掛かり、好評価の繁殖牝馬が1年空きになってしまうことを避けるため、ならば再びと代打で付けられたのがステイゴールドだった。(それで顕彰馬が誕生するのだから、偶然とは恐ろしい。)
新馬戦を軽々と勝利するもレース後に騎手の池添謙一を振り落とす暴れ振りを早くも披露。気性的な幼さもありその後は4戦勝てなかったが、2011年皐月賞トライアルの3月スプリングステークス(GⅡ)で重賞初制覇。その後は皐月賞・日本ダービー・神戸新聞杯・菊花賞・有馬記念と、史上7頭目のクラシック三冠達成を含む重賞6戦6勝。その勝ち方も、差してよし、先行よし、追込よしと競馬の幅も広く余裕も伺わせるもので、文句なしの年度代表馬に選出された。
なお、菊花賞での三冠達成後、鞍上の池添はあふれる喜びを抑えてガッツポーズなどをせずに手綱を取り続けたにも関わらず、オルフェはまたも騎手を振り落とした。
4歳・5歳時は2年連続でフランスに遠征し凱旋門賞に挑戦。前哨戦のフォワ賞を二連覇するも、本番では2年連続の2着。エルコンドルパサー・ナカヤマフェスタに続き、あと一歩制覇には届かなかった。
2度目のフランス遠征から帰国後の2013年有馬記念、結果に関わらず引退が決まっていたオルフェーヴルは8馬身差の圧勝。十分すぎる余力を残したままターフを去った。
ちなみに古馬になってからも暴れ振りは健在だった。
2012年天皇賞春の前哨戦として挑んだ阪神大賞典(通称「阪神大笑点」)では、掛かり気味に2周目向こう正面で先頭に立つと第3コーナーでレースを放棄して逸走。(手綱を引いて抑えようとする池添の指示にやる気をなくしたとも、オルフェが距離を誤認していてもう勝った、レースは終わったと勘違いしたとも言われる。)しかし他の馬がまだレースを続けているのに気づくやブチギレ気味にレースに復帰。いったん走るのを止めたとは思えないもの凄い加速で2着まで盛り返した。なお、制御不能の逸走により調教再審査のペナルティ、ついでに春天はまるでやる気なく生涯最悪の11着惨敗というオチがついた。
また2012年凱旋門賞では、最終直線で力強く抜け出して後続を突き放し「いける!」「勝った!」と日本の競馬ファンを大興奮させたが、そこから謎の大ヨレ&内ラチ接触で2着に。「あの馬はなぜか先頭に立った途端真面目に走るのをやめた」とは、勝ったフランス馬ソレミア騎乗のオリビエ・ペリエの証言である。
暴れ三冠馬として名を馳せる彼だが、上述の種付けの経緯から誕生日が5月14日と遅く、しかも開腹出産の難産だった。必然的に同世代の他の馬たちよりも身体は小さく幼く、放牧時にはいじめられて育った。こうした経験からかステゴ産駒の中でも、父譲りの気性難に猛烈な反骨心と臆病さが同居する、独自のメンタリティを有していたと言われる。
ゴールドシップ
(Gold Ship、2009年生、牡・芦毛、母ポイントフラッグ)
主要勝鞍:皐月賞・菊花賞・有馬記念(2012)、宝塚記念(2013・14)、天皇賞・春(2015)
表彰:2012年最優秀3歳牡馬
この配合で誕生した最初の芦毛馬である。毛色と同様母父マックイーンに似たのか、ドリジャやオルフェとは異なり大柄な体格を持って生まれ、それでいて体質は父ステゴを受け継ぎ頑健で、現役生活を通じて故障らしい故障はほとんどなかった。
デビューした2011年には前述のオルフェとフェイトが活躍中で「ステマ配合」の語が広まっており、本馬も新馬戦を函館競馬場の2歳レコード勝利と上々のデビューを飾る。
その後しばらくは勝ちきれないレースが続いたが、2012年2月の共同通信杯で初重賞を獲ると、皐月賞では道悪馬場の荒れた最内をスリップの危険も辞さず駆け上がり追込勝ち(通称ゴルシワープ)。日本ダービーは5着に敗れたが、菊花賞では京都競馬場の第3コーナー上り坂からスパートという悪手めいた仕掛けからスタミナ差を見せつけ勝利。同年の有馬記念では、最終直線に向いた時点では10番手前後から直線一気の末脚で差し切った。こうした、バテ知らずのスタミナと優れたパワーで豪快に逆転する見栄えのする勝ち方から「不沈艦」の異名が定着した。
奇しくもデビューの2011年には、母父マックら多くの名馬を生んだメジロ牧場が成績不振で解散しており、マックの面影を感じさせる馬体と母父譲りのスタミナを持つゴルシには天皇賞獲得の期待も大きかった。2013・14春と2年続けて同じステゴ産駒のフェノーメノに敗れたが、2015年春に三度目の正直で天皇楯を獲得。かつてのメジロファンを喜ばせた。
しかし、レースでのやる気の浮沈の激しさについてはオルフェーヴル以上だった。終盤の追込戦法については、この馬がレース中ですら土壇場までやる気をなかなか出さないことが大きかった。機嫌のよい時には、スタート直後にしっかり行き脚がつき、スムーズに好位置につけて4角から直線で抜け出す、母父マックイーンのような盤石の先行型レースを見せている。
逆にやる気のない時はどうしようもなく、2013年のジャパンカップでは15着大敗でそれまでコンビでGⅠ4勝を挙げた内田博幸の騎手交代を招いた。2014年にはジャスタウェイ・ハープスターと共に凱旋門賞に挑むも、本馬場入場で馬列を乱し観客席に愛想を振りまくなど落ち着きなく14着惨敗。また平地同一GⅠ3連覇の偉業がかかった2015年宝塚記念でゲート内にて隣の馬を気にして暴れ出し、やる気の喪失とともに致命的な出遅れを喫した通称「120億円事件」も有名である。
ムラの激しい成績は「ゴルシの馬券買うバカ、ゴルシの馬券買わないバカ」などと競馬ファンに評された。
気性面については、単なる見境なしの乱暴者ではなく、大変に頭がよく周囲の人間や馬が何を考え自分に接しているかを深く理解していたという。その上で、気に入らないことは頑なに拒否し暴れ回るという、母父マック譲りの頑固さを有していると評される。
総括
結局、この配合による産駒は2015年まで計49頭が生まれたのだが、ゴールドシップを最後に目立った馬は出なかった。
だが、ドリームジャーニーの活躍後2匹目のドジョウを狙って、結果さらに大物GⅠ馬が2頭も出てきたのだから十分すぎる成果と言えるだろう。
また、ドリームジャーニーとオルフェーヴルは「全兄弟による合計GⅠ勝利数日本記録(9勝)」を有している。
ちなみに、ステイゴールドはGⅠ産駒でサッカーボーイ…もといサッカーチームが組めるほどの多くの活躍馬を残しており、この「ステマ配合」はその一部にすぎない。だが、オルフェーヴルは顕彰馬選出、ゴールドシップは産駒中の獲得賞金額トップであり、「ステイゴールドの代表産駒といえば?」という問いには多くの人がこの2頭を挙げるだろう。
一方、「母父メジロマックイーンの重賞馬」を条件とすると7頭中4頭がこのステマ配合であり、特にGⅠ馬はこの配合に集中している。(唯一の例外は、2012年JBCスプリントを制した、父キングカメハメハのタイセイレジェンド。)
このように、双方にとって大きなニックス(相性の良い交配)の恩恵を受けられた例だといえる。
なお、ステイゴールドの父サンデーサイレンスは、種牡馬時代にメジロマックイーンと放牧地が隣だった時期があり、極めて気性の荒いサンデーサイレンスがマックの前では大人しく「恋人」とまで評された逸話がある。
関連項目
ステルスマーケティング - こっちのステマではありません。