機動戦士ガンダムシリーズに登場するモビルスーツについてはMS-Xを参照されたし。
概要
1983年に複数のメーカーから発売開始された、マイクロソフトとアスキー提唱のパソコンと周辺機器の共通規格の名称。
パソコンの機種(グループ)名のように扱われる事が多いが、正確には共通「規格」の名称であり厳密には、本体以外のシステム全てを包括する意味を持つ。
後継規格のMSX2、MSX2+、MSXturboRを含めた総称として使われることも多い。
現在でこそ、例えばWindowsマシンであればどのメーカーのものでも同じソフトが動き(※)、周辺機器も転用出来るものが多いが、当時は各社のPCに互換性が無く、共通規格は画期的なものであった。
※: ユーザーサイドからはあまり実感出来ないが、厳密にはWindows等のOSレベルでの互換性確保と、ハードウェア(アーキテクチャ)レベルでの統一規格は異なる。
ただしWindowsの場合、以前はIBM PC/ATの互換機、PC-9801、FM-TOWNS等の異なるハードウェアの差異を吸収していたが、現在ではPC/AT互換機だけが生き残り、結果的にはMSXに近い状態になっている。もっともPC/ATは、IBMが設計を公開した為、当のIBMの思惑を超えて、互換機が勝手に普及しただけ、という違いはある。
特徴
だが汎用性と低価格に拘り、拡張性を共通規格に頼った故の、基本性能の低さ、特にVDP(今で言うGPU)をケチったことから、ファミコンとは比べ物にならないほど画面表示が貧相で、当時のパソコンが高価なゲーム機と捉えてられていた実態と乖離しており、数倍の価格の競合機を凌駕する統合環境型ワープロや、アナログビデオ入力からのデジタル静止画変換、ビデオ出力への文字合成等の、特殊な拡張機器を含めた規格システム全体の懐の深い汎用性は評価される事無く、メーカー側の思惑は外れた感が強い。
VDPまわりについてはMSX2で搭載されたV9938(TMS9918上位互換チップ)、2+で搭載されたV9958(V9938の改良型)は、表示品質こそ当時の標準的なパソコンを超えていたものの、ビットマップ転送がゲーム専用機と比べると致命的なレベルで遅く、このためゲームソフトでは比較的描画が高速なPCGモードであるSCREEN2が延々と使用されることになり、「MSXは画面表示が安っぽい」という批判につながった。
挙句turboRでは2+のV9958がそのまま搭載されたことで「高速化したシステムをグラフィクス性能が阻害する」という状態に陥ってしまう等、規格終焉まで尾を引くことになった。とはいえこの時代のパソコンは、どのみち動画処理能力など無く、描画速度云々は事務処理の表示ではなく、アクションゲームの性能である。
一方で、参入企業にYAMAHAも含まれており、YAMAHA製MSXは当時のパソコンとしては最高品質の音源を備えていた。声優・古谷徹氏がMSXユーザーだったのも(怪我で入院中の暇つぶしとしてだが)シンセサイザー代わりに買ったからだそうである。
評価
専用モニタを必要とせず価格を抑えた、後にホビーパソコンと呼ばれるジャンルの中では健闘したものの、独自規格で市場を独占していたNECのシェアを切り崩す事は出来なかった。
また、パソコン機能を切り捨てたゲーム専用機との性能差は圧倒的で、まるで勝負にならなかった。
とはいえ曲がりなりにも最低限のパソコン機能を備え、一部の特殊な拡張機器は、高級パソコンをも凌いでいた事から、かろうじて少数のコアなマニア層の支持を得る事には成功した。
また、かつてのソビエト連邦では軌道宇宙船「ミール」にソニーのMSX2・HB-G900が搭載され宇宙に行ったことでも知られている(ソ連が公開したミール内の写真に写っていた)。ただし当時は冷戦中だったため「対共産圏輸出規制」によりMSXより高性能なパソコンがソ連では手に入らなかったと言う皮肉な理由ではあるが(当然ソ連自身が開発した軍事用高性能コンピューターもあっただろうが、一般人が触れるような物ではなく、ミールにも乗せられていなかったようだ)。
販売が中止され市販ソフトが出なくなった後も、X68000同様熱心なユーザーが一定数残り、パソコン通信や雑誌投稿のゲーム、同人ソフト等でそれなりに盛り上がった時期もあった。
後に1chipMSXという形で復刻されたりもしている。
また、Nintendo Wiiにおいてはバーチャルコンソールの対象プラットフォームとしてMSXがある。他、ProjectEGG等レトロゲーム配信サービスやレトロゲーム復刻タイトルにおいて、当時のソフトがプレイ可能である。
いろいろ
CPU
CPUにはMSX2+まではZ80A 3.58MHz相当品、MSX turboRでは、その"R"の由来にもなった「R800」が使用されている(互換性確保のため従来のZ80も載っているが、同時使用は出来ない)。
R800とはアスキーが開発したZ80の上位互換CPUで、技術の一部は本家ザイログのZ80後継CPUの1つ「eZ80」に逆輸入され、ライセンス料も支払われている。
なお、R800には、乗算時にレジスタの組み合わせによっては正しい結果が出ないトホホな不具合がある。もっとも高集積された回路の不具合は現在でもよく見られ、既知のものはデータシートにも記載されている(現在はパッチで修正されることが多い)。
また、R800の開発経緯はなんと開発者が趣味で設計したからという凄い理由である。現在の企業でそんな事やったら首が飛びそうな事が立派な製品となり、更に本家がR800から関連技術を買ってくれたのだから、考えてみれば良い時代であった。
PanasonicのMSX2+(FS-A1FX,FS-A1WX,FS-A1WSX)では、ソフトウェアからZ80を6MHzの高速モードに切り替えることができる。ただし内蔵PSGの音程が変わってしまい別途周波数テーブルを用意する必要があるなど、個々のソフトが機種判別して対応する必要があった。
なお、R800は16ビットプロセッサとして数々の機能増強が行われており、例えばDMAの搭載やメモリアドレスの拡張などが行われているが、turboRにおいてはそれらは使われておらず、単に命令が追加された高速なZ80として使用されている。
カートリッジインタフェース
本規格における特徴的な仕様に、周辺機器の大部分やソフトウェアがROMカートリッジの形で提供されていた点が挙げられる。
このROMカートリッジはドライバソフトウェアを含むことが出来、これがMSX独特のメモリ管理方法である「スロット」方式と組み合わせられることにより、特別なインストール作業を伴わず、何も考えずにカートリッジを本体に挿し込むだけで追加機能が使用可能になるというプラットフォームが実現した。
現代で言うプラグアンドプレイの概念を、1980年代前半の時点でほぼ完璧な形で実現していたことは特筆に値する。(これもApple IIという先駆者はあったが)
カートリッジで拡張されるハードウェアはフロッピーディスクドライブ、モデム、RS-232Cインタフェース、プリンタ(ワープロソフト付き)、SASIインタフェース、SCSIインタフェース、FM音源、MIDIインタフェース、増設RAM、果ては感温・感圧・感光センサなどというものもあった。
情報誌
MSXパソコンについての情報は、当時の総合パソコン情報誌を中心に掲載されていた。マイコンBASICマガジン(ベーマガ)は黎明期から末期までMSX-BASIC用投稿ゲームプログラムリストを掲載し続け、一時CD-ROMを付録として装備していた頃は音声トラックからCMTインタフェースを経由するというウルトラCを駆使してプログラムのデジタル配信に取り組んだこともある。
専門誌としては、アスキーの公式誌MSXマガジン(Mマガ)と徳間書店のMSX・FAN(Mファン)の両誌が知られる(もう一誌『MSX応援団』も存在したが1年持たなかった)。MSXマガジンは一度休刊した後、Windows PC用に公式エミュレータであるMSX-PLAYerを採用する形で3号(2012年時点)復刊し、21世紀に発刊された唯一のMSX専門誌となった。一方、MSX・FANは1991年から「スーパー付録ディスク」を標準採用する形態に移行し、公式誌であるMSXマガジンさえ休刊し、ソフトウェアが発売されなくなった後も精力的に情報の発信を続けた。本誌の一連の投稿プログラムコーナーはそのレベルの高さで他誌を圧倒しており、中には意味不明なコメント文の羅列にしか見えないものが実は機械語プログラムであるというものまで存在した。
その他
MSX用拡張機器にハードディスクドライブも存在したのだが、昭和60年頃のMSX用フロッピーディスクドライブの価格ですら10万円近い定価(昭和60年版東芝製品価格表より)だったのに、それよりさらに高価なハードディスクドライブがどんな売れ行きだったかはお察しください。
現在はいわゆる同人パーツとしてSCSIボードやIDEインターフェイスボードが製作されており、(いわゆるFAT12/16の壁という問題はあるものの)現在の大容量ハードディスクをある程度使うこともできる。
主なタイトル(MSX2以降を含む)
機動戦士ガンダム(ただしクソゲー)
銀河漂流バイファム(ガンダムよりはましレベル)
関連タグ
マイコンBASICマガジン MSX・FAN MSXマガジン TAKERU
マスターシステムとの互換性
MSXとマスターシステムはハード構成が似ている為、BIOSをどうにかすれば、
MSX上でマスターシステムを動作させたり、
マスターシステム上でMSXを動作させる事が可能な模様。