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編集者:lubberz
編集内容:第五福竜丸の…という文に追記

やっぱりマグロ食ってるようなのはダメだな

やっぱりまぐろくってるようなのはだめだな

2004年公開の映画『ゴジラ ファイナルウォーズ』で実現した日本版VSハリウッド版ゴジラ対決の結果に対するX星人統制官の感想。

概要

東宝ゴジラシリーズ第28作『ゴジラ ファイナルウォーズ』(以下『ファイナルウォーズ』)の台詞の中で最も知名度の高いもの。

地球侵略の野望を露わにしたX星人に対抗するべく、地球防衛軍は南極の氷の下で眠らされていたゴジラを目覚めさせる。新・轟天号に誘導されて日本へ向けて進撃を続けるゴジラに対し、その力を測るべくX星人はシドニーにてジラを投下し、ゴジラを迎え撃った。

しかしジラは、ゴジラの最初の放射火炎をジャンプしてかわしたまでは良かったが、着地前に尻尾の一撃でオペラハウスへ叩きつけられ、すかさず二発目の火炎で呆気無く焼却されて敗北。

DVDBDのチャプタータイトル通り、ゴジラによる「秒殺!」であった。

そして……そのあまりにあっけない負けっぷりを目の当たりにしたX星人統制官は激しく地団駄を踏んだ後、ふと“素”に戻って、こう呟いた。

「アァァァァァァァァァーーーッ!!!!!!!!…………やっぱりマグロ食ってるようなのはダメだな……次!」 指パチン

解説

僅か1分にも満たないこのシーンだが、日本、そして海外のゴジラファンからは喝采を浴びた。

ゴジラの対戦相手となったジラは、いわゆる1998年公開のハリウッド版GODZILLA』の姿であったからだ(一応公式の設定上、同一の種かは不明である。ここまで似ていたら関係ないが…)

モンスターパニック映画としての出来は悪くない1998年版『GODZILLA』ではあったが、やはり外見が全く異なる上に、ミサイルで死ぬような輩はゴジラではない」と言うファンは国内外を問わず多く、東宝の1998年版以降に制作したゴジラシリーズでも、明らかに「あれと一緒にするな」的な演出が取り入れられていたりした。

そんな中、『ファイナルウォーズ』の監督を務めた北村龍平は、1998版のゴジラのデザインの権利を東宝が所有している事を確認した為、“GOD”を抜いた「ZILLA」として登場させゴジラと戦わせる事で、1998年版の監督:ローランド・エメリッヒに対するメッセージを送る事にした。

それが、前述の秒殺からの

「やっぱりマグロ食ってるようなのはダメだな」

である。

このシーンは、X星人統制官役の北村一輝の好演(怪演?)もあって、上映時に特に海外で大喝采を浴びたとの事。

以降、1998年版『GODZILLA』は、「マグロ食ってるダメな奴」と認識されるようになった。

とは言え…

これだけ聞くとジラが極端に弱いように感じるが、他の怪獣達も

  • ジラ戦より前、南極へ向かう轟天号に差し向けられたガイガンは、ゴジラの首に鎖をかけて優勢になったかと思った瞬間にいきなり頭部を吹っ飛ばされKO
  • ジラに続いて現れたクモンガは、蜘蛛の巣状ので動きを封じるも直線状に放った糸を掴まれジャイアントスイングあっけなく地平線の彼方へと投げ飛ばされKO
  • カマキラスは、碌な抵抗もできず電柱に突き刺さりトドメさえ刺されず放置
  • アンギラスラドンキングシーサーの三体掛りでさえ良いようにあしらわれる(ただし、過去に味方をしたことがあったためかトドメは刺されず)。
  • ヘドラエビラに至っては、戦闘シーンすら映されず、(熱線で上空に吹き飛ばされ、墜落する形で)画面に登場したと思ったらすぐに抱き合わせで爆砕されKO

などと、結局似たり寄ったりの瞬殺っぷりである。怪獣達が弱かったと言うより、『ファイナルウォーズ』のゴジラ(FWゴジラ)が強すぎたのだろう。

尤も、統制官は最終決戦で「ゴジラとやらの相手はコイツだ!」とモンスターX(=ギドラ族の帝王)を差し向けているため、彼にとってモンスターX以外の怪獣は捨て駒に過ぎなかったのかもしれない。

ちなみに

  • 1998年版『GODZILLA』の続編的作品であるアニメ版『ゴジラ・ザ・シリーズ』に登場するゴジラは、外見はジラだが熱線を吐く能力を持っているなど本家ゴジラに近い存在であり、「マグロ食ってるダメな奴」ではなく、むしろっ歴代ゴジラと肩を並べても全く遜色ないほど強いため「やっぱマグロ食ってるようなのは強いな」と言われたりもする。
    • アメコミの『ゴジラ:ルーラーズ・オブ・アース』ではゴジラと再戦しており、ゴジラを流血させたり、ミサイルを耐えたり地中に潜って熱線を回避したり、敵怪獣の群れを瞬殺してジェットジャガーを助けたりと、タフになっている。そして、怪獣島の仲間に迎えられた。
    • アニメ版『GODZILLA』の前日譚である小説版『怪獣黙示録』では、「ゴジラと誤認される」という展開はあったものの、数の暴力と頭脳プレイで人類の機甲部隊(メーサー戦車含む)を大苦戦させる活躍を見せている。耐久性に関しても、他のほとんどの怪獣が通常兵器で倒せるレベルの怪獣も多く、小型の怪獣にいたっては難民が食料にしていたほど。ジラもまた、ほかの東宝怪獣と勝るとも劣らない大活躍をしている。
  • この台詞から「ハリウッド版ゴジラの好物はマグロである」というイメージが生まれてしまったが、98年版『GODZILLA』でゴジラがマグロを求めて現れたのは、地下に産み付けた卵から孵化した幼体の餌を確保するためであり、成体の方もどの程度マグロを好んでいたかは不明である。
    • ただし、卵を産む前にも日本のマグロ漁船を襲撃しているため、(本当にマグロばかり食べていたかどうかはともかく)少なくとも餌としていたことは間違いないだろう。
    • 1954年の『ゴジラ』制作のキッカケとなったキャッスル作戦で被爆した第五福竜丸マグロ漁船だったことや、昭和ゴジラはマグロを食べることも怪獣図鑑で指摘されていることもあり、「初代ゴジラや福竜丸の関係者への侮辱」と非難する声もあった。
    • もっとも、マグロを捕食してる描写(厳密には違う)がしっかり存在するエメリッヒ版に対して、昭和ゴジラに関してはマグロだけにとどまらずクジラやシャチなども捕食している上それは設定上の話でもあり、単純にこのセリフを昭和のゴジラと結び付けるのはいささか強引とも思われる。また第五福竜丸に関してもエメリッヒ版のゴジラ誕生の原因の核実験をアメリカからフランスに変えており、一映画のセリフより初代ゴジラのリブートでありながらこの設定の変更にこちらの方がよっぽど第五福竜丸及びその関係者に失礼だという声のほうが多い。
  • 上記のように最近はフィーチャーもされており、この作品も往年のゴジラファンからも、ゴジラとして見るかは別になる物の一本の怪獣映画としてはしっかり再評価されている。「98年のが最初のゴジラ」になり思い入れがある世代も存在し、映画としても怪獣パニック物としてしっかり面白い為98年版が好きな怪獣映画ファン、ゴジラファンも少なくなく、「本家がやることではない」「悪口のために尺を使うなら怪獣達の活躍シーンを増やしてほしかった」(これに関してはFWの記事を参照)と苦言を呈する人もいる。
    • シネマサカーことAVGN自身も、2016年に「改めて見直すと、やっぱりあれはゴジラではないが映画としてはギャレゴジより面白い」と述べている。なおギャレゴジに関しては、画面の暗さやストーリーの鈍重さには苦言を呈していたが、ゴジラの姿や戦い方は誉めていた。
    • しかしながら、姿が変わるにとどまらず設定や強さなど何もかも変えて作られた怪獣を、今までゴジラを見ていた人間のみならずゴジラの名前を知っている人からしても多少腑に落ちないのは流石に当然であり、世界を見てもそういう感想を持った人が、このセリフの場面を見たことで溜飲が下りたのもまた事実でもある。上記の通り怪獣パニック物としては面白い映画ではあるが、歴代のゴジラを見てたファンからは求められていたものとはあまりに違ったというのは否定できない。
    • 近年でも実写映画化にあたり世界一有名なハリネズミの最初のデザインに世界中から非難が殺到しデザイン変更された事実も存在する。
    • ちなみにエメリッヒもエメリッヒで、他でもないエメゴジでかつて自分の作品を酷評した映画評論家のロジャー・イーバートとジーン・シスケルによく似た人物を微妙な市長とその秘書で登場させるという、このセリフの意味合いに似たようなことをしていたりもする。しかもこの二名はゴジラの脅威を目の当たりにする場面もほとんどなく物語には一切関係ない只々嫌らしい人物にされている。モデルとなったイーバートとシスケルは映画を酷評しながら「あそこで僕らを出すならいっそゴジラに僕らを食わせるくらいやってほしかったね」と語ったという。
    • 12年ぶりの日本での新作となる『シン・ゴジラ』の公開を記念して2016年に東京・神保町シアターで開催されたゴジラシリーズ一挙上映の映画祭「シン・ゴジラ映画総進撃」では、国産28作品に加えてハリウッド製の2014年版も上映プログラムに組み込まれていたのに対し、98年版だけはそのプログラムから外されているというこれまたアレな扱いを受けていた。
  • ローランド・エメリッヒがこのメッセージに対してどのような反応を示したのかは不明だが、このシーンに対するエメリッヒからのコメントは一切発表されていない。
    • なお、『GODZILLA』の脚本やデザインにはしっかり東宝のチェックが入っており、その際に出た指示にもエメリッヒは一応従っている。またエメリッヒは当時撮影中だった隕石映画を優先すべく、わざとゴジラらしくないデザインや能力を提出して破綻させようとさえしていたが、東宝がOKしたので目論見が外れ、逆に肝心の隕石映画がお流れとなり「アルマゲドン」に先を越されてしまった。東宝側の条件も厳しいものが多かったが為、よりモチベーションの維持に難航したという。
    • その東宝側も(エメリッヒに監督が決まる前であったが)「ゴジラ制作においてのその著作権をすべてハリウッド側に譲る」というすさまじい条件を持ってこられていたため、この話に対して相当慎重にならなくてはいけない事実があったことも忘れてはいけない。
  • このように両者様々な事情があったため制作陣への要望も多くなるのは仕方がなく故に監督や制作側、そして東宝側も様々な苦労があり、映画製作の難しさを感じられる話が存在する。エメゴジがゴジラ映画史において大きな議題点の一つなのと同じように、この台詞もまた同じゴジラ映画史における議題点なのであり、この両方に対して、肯定側も否定側も冷静になって話すように心がけるのが大切である。
  • このシーンのBGMはカナダのロックバンドSum41の『We're All To Blame』。わずかな時間しか流れないが、かなりアツい雰囲気を醸してくれるので耳に残っている人も多いだろう。ついでに曲そのものも割とゴジラという作品にマッチしているので、興味がある人は是非視聴してみてほしい。
編集者:lubberz
編集内容:第五福竜丸の…という文に追記