頂点に辿り着いた者には
隙が生まれる
栄光に酔いしれる間に
ライバルが迫る
達成感は一瞬でいい
《土曜名馬座◆第二百三十五夜「世紀の連覇」より》
概要
馬名 | フェノーメノ |
---|---|
英語表記 | Fenomeno |
生年月日 | 2009年4月20日 |
性別 | 牡 |
毛色 | 青鹿毛 |
父 | ステイゴールド |
母 | ディラローシェ |
母の父 | デインヒル |
通算成績 | 18戦7勝 |
獲得賞金 | 6億2910万8000円 |
募集価格 | 2000万円(50万円×40口) |
馬主 | サンデーレーシング |
生産牧場 | 追分ファーム |
管理調教 | 戸田博文厩舎(美浦) |
2009年4月20日生まれの牡馬(12世代)。馬名はポルトガル語で「超常現象」「怪物」の意。
ファンからの愛称は「マメちん」。
最初に呼び始めたのは担当していた戸田博文調教師で、幼い頃からの漆黒の馬体が黒豆を連想させたからという理由によるもの。この呼び名をフェノーメノ自身が気に入ったかは定かではないが、戸田調教師に「マ~メちん」と呼ばれた際、それに反応するように嘶く映像が残っている。
ちなみにニックネームとは相反して500キロ前後の大型の馬体であり、父ステイゴールドとはその面ではあまり似ることはなかった。
なお、佐々木勝利調教助手からはメノ、社台スタリオンステーションスタッフからはフェノーと呼ばれていた。
生涯
誕生~2歳時代
2009年4月20日に北海道の平取町にて生まれる。生産は追分ファームとなっているが、おそらく追分ファームから母馬を預託された平取町のどこかの牧場にて誕生したと推測される。
父ステイゴールドは2001年の香港ヴァーズ優勝馬。重賞戦線で安定してコンスタントに馬券に絡むもなかなか勝ち切れないことからシルバー&ブロンズコレクターとして人気を博し、引退レースとなった香港ヴァーズで悲願のGⅠ初勝利を挙げた。引退後は種牡馬入りし、ドリームジャーニー・オルフェーヴル兄弟やゴールドシップ、「障害界の絶対王者」オジュウチョウサンなどを輩出して大成功を収めている。
母ディラローシェはアイルランドで生まれて輸入された繫殖牝馬で、その父デインヒルは北半球と南半球を行き来する「シャトル種牡馬」の先駆け的存在として成功を収めた大種牡馬である。ディラローシェの半兄(フェノーメノの伯父)には父ステイゴールドとも5度に亘り激突した香港の年度代表馬インディジェナスがいたことから、繁殖牝馬として期待されていたという。
元々、小型のステイゴールドをディラローシェに配合することで産駒を小型化することを目指していたが、意に反して大型馬として生まれたという同期の同父に似た経緯で誕生している。
離乳後、追分ファームにて中期育成を受ける。
中期育成を終えた後は、ノーザンファーム空港牧場のC-1厩舎にて後期育成を受け、美浦トレセンの戸田博文厩舎に入厩する。
2011年10月30日の新馬戦で岩田康誠を鞍上にデビュー。きっちり勝利して幸先のいい現役スタートとなった。しかし次走のホープフルSでは1番人気ながら7着と敗れてしまう。
好走するも栄光の掴めない3歳時代
明けて2012年、条件戦を勝利して2勝目を挙げた(なお、この時の2着は後の天皇賞馬スピルバーグである)。
しかし皐月賞トライアルの弥生賞では6着と敗れてクラシック1戦目の皐月賞には出走はならず。
騎手を岩田から蛯名正義へと変えて望んだダービートライアルの青葉賞では1番人気に応え、追い込みで3勝目を手にし、ダービー出走権を得る。
東京優駿では5番人気。というのも競馬界には「青葉賞で勝った馬はダービーで勝てない」というジンクスがあったためである。1番人気は皐月賞2着のワールドエースであった。
レースは中団で進め、最後の直線で抜け出したディープブリランテを外から猛追し、ゴール板はほぼ並んで通過。しかし写真判定の末惜しくもハナ差で届かずジンクス通りになってしまった。
陣営にとっては悔しい2着となってしまったものの彼の走り自体は評価され、期待を受けて秋シーズンに進む。
秋初戦はセントライト記念。ここでは好位からきっちり抜け出して勝利。菊花賞と秋の天皇賞のどちらに進むか判断を迫られるが、陣営は東京競馬場の方がフェノーメノに好相性と判断し、天皇賞を選択。古馬との戦いに臨む。
天皇賞(秋)ではNHKマイルカップを勝利した同窓カレンブラックヒルとの間で人気を分け合うが一番人気。大逃げの一頭を揃って追う展開となり、最終コーナーから鋭く抜け出したエイシンフラッシュにわずかに及ばず差し切られ、半馬身差の2着で初G1勝利はならなかった。
その後はジャパンカップへと進むがジェンティルドンナとオルフェーヴルの三冠馬同士の叩き合いに追いつくことができず、更にルーラーシップらにも交わされて5着。なんとか掲示板は確保したもののトップクラスとの力の差を見せつけられてしまった。
ちなみにこのレースでは4着のダークシャドウを除いた上位5頭が全てサンデーレーシングの所属馬であった。
悲願達成の天皇賞(春)
4歳となったフェノーメノは日経賞(G2)からスタート。1番人気に支持され、その期待に応えて前年の優勝馬ネコパンチやカポーティスターらをまとめてねじ伏せて1着。天皇賞(春)へと向かう。
天皇賞では前年の二冠馬にして有馬記念を制覇していた同期のゴールドシップにやや離された2番人気に推される。
レースは中団から徐々に位置を上げ、最後の直線で抜け出して先頭に立つと、伸び悩むゴールドシップを尻目に見ながらトーセンラーの追撃を意に返さず押し切って1着でゴール。完勝で悲願のG1初勝利を掴み取ると共に戸田調教師に念願の春の盾をプレゼントした。
なお、この天皇賞でのレーティングはレース直後は120、最終的に上方修正され121をマークしている。これは2013年のE(超長距離)区分においては世界1位の値である。
天皇賞での勝利により国内ではジェンティルドンナ、オルフェーヴル、ゴールドシップらと並ぶ四強と目されることになり、彼らとの決戦に宝塚記念へと向かうこととなった。
宝塚記念はオルフェーヴルが肺出血で回避し、ジェンティルドンナ、ゴールドシップに次ぐ3番人気となり、三強を形成。レースは珍しくゴールドシップのスタートが良くジェンティルドンナと先行集団、フェノーメノは中団で待機することになるが、ぬかるんだ馬場の中で最後の直線で一気に加速したゴールドシップに置いていかれ、ジェンティルドンナを差すこともできず4着。
秋は天皇賞に向かう予定であったが、左前脚の繋靱帯炎を発症し休養。結局宝塚記念を最後にシーズンを終えることになる。
再びの栄冠、そして……
長い休養を終え再び日経賞からスタートしたが5着。これが天皇賞での人気に響き、前年覇者でありながら4番人気に評価を落とす。1番人気は前年ダービー馬のキズナ、宿敵ゴールドシップも2番人気に支持されていた。
本番ではキズナやゴールドシップが後方に遅れる中できっちり中団のインコースに位置取ってレースを進める。これが功を奏したか、最後の坂を越えたところで間を割って抜け出すと、ウインバリアシオンらの追撃を振り切り連覇を達成した。天皇賞(春)の連覇はメジロマックイーンやテイエムオペラオーら錚々たる名馬に次ぐ史上3頭目。きっちり復調して、これまで果たせなかった秋の王道G1制覇へと意気揚々と乗り出す……はずだった。
秋は天皇賞から始動するも、条件馬時代からやり合い、ダービー以来の対決となった同期スピルバーグが重賞未勝利ながら秋の盾を勝ち取る栄光を手にしたのに対し、失意の14着と大敗。ジャパンカップでは3歳の弥生賞ぶりに岩田騎手とコンビを組むが8着、有馬記念もジェンティルドンナが見事に復活しラストランを飾る中で伸び脚に欠け10着。
それでも春の天皇賞3連覇を目指して現役続行するも、日経賞で8着。その後左前脚に重度の屈腱炎を発症し、天皇賞への出走は叶わず、無念の現役引退となった。
彼のいなくなった天皇賞を勝ったのは現役時代に5度に亘り激突したゴールドシップであった。
現役引退後
競走生活引退後は種牡馬となるも目立った成績を残すことができず、ステイヤー型の実績が嫌われたのか早くも2021年に引退。
その後は功労馬として故郷の追分ファームで暮らしていたが、2022年8月にリードホース(保育士のような存在。離乳し母から離れた子馬の群れを精神的に支えるリーダーのような役割)としてデビューを果たし、第三の馬生を歩んでいる。子馬と仲良くグルーミングする様子や、初対面の子馬たちに仲良くしようと近寄ったところ、逃げられてしまい、途方に暮れたり、距離は近くなったものの子馬たちにそっぽを向かれたりする様子が追分ファーム等のtwitterに投稿されており、新米リードホースとしてまだまだ上手くいかない中、頑張っている。
性格・エピソード
性格
気性難で有名なステイゴールド産駒の中では(比較的)真面目な性格だった。
戸田調教師曰く「ゴールドシップやオルフェーヴルのようなヤンチャな面はなくて、競馬に行ったら真面目なのですが、普段はちょっと気性的にきついところがあって」、佐々木調教助手曰く「ステイゴールド産駒にしては落ち着いてるんじゃないですかね。オンとオフがしっかり使い分けられるような」とのこと。
後述の通り、ボス馬であるが、以前は1頭になると寂しがり、キョロキョロしたりする子供っぽさもあった。
2013年の日経賞前にはそれも無くなってきたという。
戸田調教師
前述の通り、フェノーメノを「マメちん」と呼び始めたのは彼を管理していた戸田博文調教師である。
専修大学出身で大学では馬術部に所属。1991年に高木嘉夫厩舎の厩務員としてキャリアをスタート。同年11月より八木沢勝美厩舎の調教助手となり、1995年に大久保洋吉厩舎へ移籍。2000年に調教師免許を取得し、翌年6月に厩舎を開業する。
GIレースの中でも特に天皇賞への思い入れが強く、菊花賞ではなく天皇賞(秋)へのフェノーメノの出走を決めたことについて天覧競馬への強い思い故ではないか?とする説もある。
キストゥヘヴンを桜花賞馬、フェノーメノを天皇賞馬に育て上げた実績を持つが、その貫禄が災いして、タクシーで「新潟競馬場」と伝えたところ、「新潟刑務所」に連れていかれた逸話を持つ。なお、本人は「風貌から勝手に”面会”だと思ったみたい。まあ、あの日は濃いサングラスもかけていたからなあ」とどこか納得している様子であった。
フェノーメノの引退後も夏の北海道競馬開催期間中に戸田調教師はニンジンをお土産に社台スタリオンステーションまで会いに来てくれたため、フェノーメノはヒンヒン鳴いて喜んでいたそうな。
佐々木調教助手
日本大学出身で大学では馬術部に所属。
フェノーメノの同期ジェンティルドンナを担当する石坂厩舎の井上調教助手とは学生馬術でも競馬学校でも同期であり、ジェンティルドンナを応援する一方、負けられないという意識を持っていた。対する井上調教助手も「絶対フェノーメノには負けない」と語っている。馬と調教助手の同期対決という形になったが、フェノーメノの対ジェンティルドンナ戦績は最終的に5戦5敗となり、井上調教助手に軍配が上がった。
ゴールドシップとの関係
大型の体躯からか美浦トレーニングセンターの馬たちの中でもボス格(朝青龍と呼ばれた)であり、同じステゴ産駒で栗東の須貝厩舎のボスであるゴールドシップとは仲が悪く、レースで顔を合わせる度に威嚇されたため、威嚇し返していたという(特に2014年の春天の際にはゲート内のゴールドシップに馬とは思えないような野太い声(例えるなら熊が吠える声に近い)で威嚇されている)。
体色が黒いフェノーメノと白いゴルシとで対照的でもあり、名実ともに因縁のライバルと呼ぶに相応しい関係だろう。ゴルシを管理していた須貝尚介調教師は2013年の天皇賞・春前に「リベンジを果たしたい」、今浪隆利厩務員も2013年の宝塚記念前に「あの馬だけには負けたくない」と語っている。最終的なゴールドシップとの戦績は3勝2敗で、勝ち越している。
オルフェーヴルとの関係
また、社台スタリオンステーションでは同じステゴ産駒のオルフェーヴルのことも大嫌いであり、彼が前を通る度に威嚇していたという。対するオルフェーヴルも威嚇し返し、柵越しに蹴りをする素振りを見せることもあるなど、互いに嫌い合ってた様子。
同窓ジャスタウェイ・カレンブラックヒル
フェノーメノがデビュー前に後期育成を受けたノーザンファーム空港牧場のC-1厩舎には後にレーティング世界1位となるジャスタウェイと無敗でNHKマイルカップを制覇するカレンブラックヒルがいた。現役時代はジャスタウェイとは2勝2敗。カレンブラックヒルには2勝。
なお、フェノーメノが天皇賞(春)を連覇した際に一口馬主に配られた記念品のQUOカードつきブックレットの文章を書いたのは同窓ジャスタウェイのオーナーである脚本家大和屋暁氏である。