概要
端的に言えば、明治を‘明るい時代’と仮定し、対照的に昭和を‘暗黒の時代’とするものである。
その考察の内容は戦後日本において都合がよく(自然と米英に協力した期間が明るい時代、逆らった期間が暗黒となる)、NHK大河ドラマ等を通じて半ば公的な歴史観として大きな影響を与えた一方で、批判も根強い。作家の大岡昇平らからは「記述について典拠を示してほしい」、「面白い資料だけ渡り歩いているのではないか、という危惧にとらえられる」(=これは大岡が司馬の著書『殉死』を購読した際の感想)といった声がみられ、同時に一本の大河の流れとして認識しなければならない歴史を良くも悪くも分断して認識しようといているのではという意見もあり、現代に至るまで議論がなされている。
(詳しくはこちら)
なにせ、幕末の尊王攘夷運動の精神的支柱であった吉田松陰のことを「子供の頃から毛虫のように嫌い」と言い切っているのである。ナショナリズム的なものへの生理的な嫌悪は筋金入りだとみて間違いなく、司馬の著作を参照する際はこうした本人の感情的な部分により中立性や客観性が損なわれている部分が多々あることを留意しておく必要がある。
司馬の偏った歴史観や差別的な描写において最も貶められてしまったのは、やはり戦国時代を終わらせ、天下泰平を目指した江戸時代の基礎を気付いた徳川家康であろう。
前述の歴史観から、司馬は明治政府を神格化していたのに対し、江戸幕府を築いた家康の事は、登場した作品の描写から見ても、「日本人を歪んだ民族にする幕府を開き、欲望のままに生きた巨悪」として殊更敵視・見下していた節があり、逆に歴史上で家康と敵対したとされる石田三成、直江兼続、真田幸村の三人は、「巨悪である家康に立ち向かったヒーロー」として扱われているのだが、反面これらの三人の史実における問題的な行動に関しては悉くボカされている判官贔屓的な描写も目立っている(他に偏った評価をされているのは源義経と源頼朝の兄弟)。
現在も司馬によって描かれた家康の極悪人像への影響力は根強く、大河ドラマの「天地人」などが影響を受けた代表的な例と言っても良い。一応司馬も「覇王の家」という家康を主人公に据えた小説を連載したのだが、この作品でも司馬の家康観は基本的に変わっていない。
(曰く、「生傷を舐め続けて最終的に治してしまうような粘っこさ」(要約))
一方で三英傑の他の二人についても「既存の体制の破壊者」としての織田信長と「明朗快活かつひとたらし」な豊臣秀吉という現在広く受け入れられている人物像を広めたきっかけの一人と目されている。特に秀吉は「太閤記」という主役作があった分、広く浸透したと思われる。
- なお、これらの人物造形をあえて破り、歴史資料から窺える人物像に回帰するというのが2014年の大河「真田丸」以降主流となりつつある。同作における「小心者で生き残ることを優先する等身大の家康」や「ひとたらしだけど耄碌する前から冷酷な一面を持つ秀吉」、さらに後年の作品における「自らの出自にコンプレックスを持ち手段を選ばない秀吉」や「室町幕府や朝廷など既存の権力に取り入る信長」、さらには時代を飛んで「戦にステータスを全振りしすぎた義経」など司馬作品でよく見られる人物像とは異なる造形が話題を呼んでいる。
加えて明治時代の作品群においては乃木希典大将を徹底的にこき下ろしている(後述)反面、「海軍は自分の管轄外だから」と申し開きのうえ、元海軍大佐の黛治夫氏の著作に頼るところが多いとしてそれほど批判的なことを書いてはいない。(唯一の例外は日本海海戦における敵旗艦の突然の回頭に伴う首脳陣の誤認くらいであり、それも東郷平八郎長官のみならず司令部全員のミスとして描いている)だが、史実を紐解くと日露戦争後学習院の学長を務めのちの昭和天皇以下多くの学生への教育に励んだ乃木大将(なお、それすらも司馬は「死んで責任を取りたいと言ってたくせに(要約)」と作中で痛烈に非難している)に対し、東郷元帥は最晩年に若い将校たちに担がれて軍縮条約締結反対運動に参加、(結果として)政治に混乱を起こしてしまったという特大のやらかしをしてしまっているが、司馬はこのことにはノータッチだったりする。
……こうした罵倒や中傷ないし忖度の揺れ幅のせいで司馬遼太郎という作家・知識人への評価は非常に困難なものとなってしまっている。
司馬作品のお約束と言える「筆者は考える」、「余談だが...」で始まる脱線蘊蓄も非常に賛否両論。
なにせ章1つの過半(約数ページ~十数ページ)をうんちくや豆知識の類でゴリ押しすることすらあるのだから始末に悪い。シリーズ作品でこれをやられて、下手すれば単行本1冊の半分以上が持論や独自研究で埋め尽くされていて、メインストーリーが全く進まないケースも珍しくもない。脱線なんてかわいいレベルじゃないよ。出どころは不明ではあるが、「坂の上の雲」連載の際に戦争相手のロシアという国の成り立ちを一からつらつらと書いたため、何十回分もロシアの歴史のみの記載となってしまい、編集部を絶望させたという噂もある。
また、前述および後述にもあるように、司馬の悪癖として「かなり信憑性のありそうなフェイクをそれっぽく折り込み、それが話題になっても特にその点をフォローしない」というものがあるのもネック(※ただし司馬だけの欠点ではない)。これが、よりによってその雑学ラッシュの合間にねじ込まれることがあるため完全な作者の創作であっても歴史的事実であると誤解してしまう読者が後を絶たない。そうした事例の一つが高杉晋作による功山寺挙兵。『世に棲む日日』によって有名になった事件だが、実際に高杉が挙兵したのは馬関であり、功山寺は関係がない。しかし、作品のヒットと町おこしをしたいというご当地の思惑により、いつの間にか境内に高杉の銅像が建てられ『歴史的事件』として世間に認識されてしまっている。
また、当時の大学生読者の一人が作品の感動を司馬本人に熱く語った際に、渋々ながら作中における(孝明天皇の賀茂行幸の際に「征夷大将軍!」と声を掛けた)等の俗に言う「高杉の武勇伝三点セット」は完全な創作であると説明したら「ならば、高杉晋作って他に何が評価できるんですか?」と聞き返されたという逸話もある。
『乃木希典』批判に関する批評
一番有名なものは、 『坂の上の雲』 を執筆した際に 「フィクションを禁じて書くことにした」とし、書いたことはすべて事実であり事実であると確認できないことは書かなかった (朝日文庫『司馬遼太郎全講演 5』/「坂の上の雲 秘話」より)と主張しているが、
旅順攻囲戦をめぐる記述において、史実では同要塞陥落まで第三軍の指揮・作戦は一括して乃木希典将軍が執っていたにも関わらず、公刊戦史の記述を無視し、いつまでたっても作戦を遂行できないと判断した満州軍総参謀長児玉源太郎が乃木を将帥として無能と断じて第三軍の指揮権を取り上げるというどこの資料にも確認ができないエピソードを真実としたことで、現在まで議論を呼んでいる。
※詳しくは乃木希典項にて
これらに関する疑問に対して、司馬の生前にも多くの著名人がその真意を尋ねようと交渉したが、本人はとうとうその理由を語ることなく墓場まで持っていってしまった。
生前より司馬と交流があった松本健一は、『坂の上の雲』執筆の少し前に三島由紀夫割腹事件が起き三島の行いを「芸術家気取りの暴走」(要約)と痛烈に批難しているうえにこれを境目に作風に大小の変化が起きていること、また各所での記述や発言などを吟味したうえで戦前に自身をも苦しめたナショナリズムの象徴となっていた乃木希典の神話を破壊しようとしたと推測している。(「三島由紀夫と司馬遼太郎」より)
……もっとも、このような目的のために印象操作じみた行いをしたために自身の作品全般の信用を大きく損なうという致命的すぎる結果を招いたことを司馬本人がどこまで理解していたかは定かではない。
その司馬本人も1996年2月10日深夜に吐血して倒れ、2月12日午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去した。享年72歳。
松本曰く、司馬は三島が後世に問いかけた「美しい日本」に内々で衝撃を受け、以降それを打消し、日本とは素朴な庶民の底力で創られてきたのだと再定義しようと躍起になっていたと考察しているが、バブル景気の到来により日本の古き良き精神風土の多くが損失し、三島いうところの「空っぽなだけの経済大国」が出現したことに内心では絶望していたと語り、その死を実質的な自殺と評した。
(ちなみに、それを聞いた某純ちゃんは「自殺な訳がない!だって司馬さんはいっぱい賞をとってるじゃないか」とややズレた反論をしている。)
著作や歴史観の反響
『こちら葛飾区亀有公園前派出所』
作中のキャラクターである大原大次郎(※中高年)と擬宝珠檸檬(※幼稚園児)は司馬作品のファンであり、同好の士として語り合うシーンがある。
ちなみに、二人とも司馬の初期作品推し。
実のところ、短編や中編が中心であった初期の司馬作品は余談や持論の類が最小限な、非常にオーソドックスな良質の歴史小説としてユーザー間では有名。ただしエロ描写の生々しさもすでに健在であり、上述の通りだとすると、作品によっては「幕末にて普段は知的障害の少女をセフレにしている高学歴ニートが、ある時にふと出会った大名夫人に一目惚れしてしまい自身の欲望を遂げるために軍師に扮して京都近郊の攘夷派と佐幕藩との抗争に参加してどさくさに紛れてその大名夫人に夜這いを仕掛ける」といったキワドイ話を幼稚園児の美少女が読んで理解していたということになり(自主規制)
『バーナード嬢曰く。』
国内外の名作小説をテーマにしたコメディ作品。
とある回にて、登場人物の遠藤が歴史小説に手を付けてみようと司馬作品に目を付けたが、司馬作品の全体を支配しているという「司馬史観」に毒されるのが嫌で、下調べをしていくうちに司馬作品よりも司馬史観の方に詳しくなってしまったと友人である長谷川スミカに打ち明けるシーンがある。
青年向けマンガにこんな表現が出るということ自体が現在の司馬史観の扱いを端的に示している、かもしれない。
『劉邦』
高橋のぼるの漫画作品。
楚漢戦争をテーマにした作品だが、なんと煽り文が「司馬史観では到底描けない極上の漢たちが続々と登場‼」となっている。
文字通り司馬作品の『項羽と劉邦』への挑戦が趣旨であると思われ、別作品で出てきそうなほどに大胆に改変された歴史上の人物たちが作中で暴れまわっている。
同作や上述の大河ドラマのように、近年の歴史作品では司馬史観への挑戦と再定義が試みられるケースが多くなりだしている。
関連タグ
最後に
他のどの漫画・小説にも言えることだが、司馬作品は歴史を基にした創作物である。
歴史への興味を抱くとっかかりや、歴史の大まかな流れの把握(それこそ中高の歴史の授業で扱うレベルの歴史上の出来事がどの順番でいつ起きたかなど)には適しているが、「司馬遼太郎が書いているのだからこれは史実だ!」と主張するのは認識がずれてると言えるだろう。当人もかつて申し開きで言ったように、彼は小説家であり歴史研究家ではない(もっと言えばデビュー前の職業は新聞記者)のである。そしてもし史実について語りたいのであれば読むべきは後世の創作物ではなく当時の一次資料である。
また、これら様々な見方ができる司馬作品ではあるが、これは偏に司馬作品での描写があまりにもリアリティに満ち、本当にあったように錯覚させてしまうほどの説得力を持ってしまっていることの証拠ともいえ、いわゆる司馬史観の是非により彼の作家としての名声がかげることは決してないと言えよう。