概要
主な勝ち鞍は、マンノウォーステークス(1988年)、ターフクラシック招待(1988年)、バドワイザーインターナショナル(1988年)など。
1988年のエクリプス賞最優秀芝牡馬に選出された。
種牡馬としては振るわず、血統はマルターズヒート・マルターズアポジー母子の母系として残っている程度である。
従兄弟に日本で種牡馬として大成功したブライアンズタイムがいる。
プロフィール
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 鹿毛 |
父 | ロベルト |
母 | アウトワードサンシャイン(母父:グロースターク) |
生産者 | ダービーダンファーム |
馬主 | ジョン・ウィルマー・ガルブレイス(ケンタッキー州) |
調教師 | ジョン・M・ヴィーチ |
競走成績 | 23戦8勝 |
経歴
1985年
3月14日、ケンタッキー州のダービーダンファームで誕生。父・ロベルトは大種牡馬、母・アウトワードサンシャインは現役成績28戦6勝、母父・グロースタークはリボーの後継種牡馬で、いずれもジョン・ウィルマー・ガルブレイスが所有していた。
当時ダービーダンファーム専属だったジョン・M・ヴィーチが調教を手掛けた。
1987年
8月12日、サラトガ競馬場の未勝利戦(ダート7ハロン)でデビュー。フォートライリーの8着に敗れた。
この年は5戦したが10月16日のベルモントパーク競馬場の芝レースでの2着が最高位で、1勝もできなかった。陣営はダートを諦め、芝路線に転向することとなる。
1988年
4月25日、アケダクト競馬場の未勝利戦(芝8.5ハロン)で初勝利。
5月9日、アケダクト競馬場の一般競走に出走し1着。
5月22日、ベルモントパーク競馬場のサラナクステークス(GⅡ)で重賞初挑戦。ポーゼンの2着に敗れた。
6月8日、ベルモントパーク競馬場の一般競走に出走し1着。
6月24日、ベルモントパーク競馬場のヒルプリンスステークス(GⅢ)に出走。ポーゼンを破り重賞初勝利。
7月10日、ベルモントパーク競馬場のレキシントンステークス(GⅡ)に出走し1着。
7月30日、ベルモントパーク競馬場のソードダンサーハンデキャップ(GⅠ)でGⅠ初挑戦。アンカジャーマニアの2着に敗れた。
8月20日、アーリントンパーク競馬場が改装中だったためウッドバイン競馬場(カナダ)で行われたアーリントンミリオン(GⅠ)に出走し、ミルネイティヴの3着に敗れた。
9月24日、ベルモントパーク競馬場のマンノウォーステークス(GⅠ)に出走し1着。GⅠ初勝利。
10月9日、ベルモントパーク競馬場のターフクラシック招待(GⅠ)に出走し1着。
10月23日、ローレル競馬場のバドワイザーインターナショナル(GⅠ)に出走し1着。芝GⅠを3連勝。
11月5日、チャーチルダウンズ競馬場のBCターフ(GⅠ)に出走し、グレートコミュニケーターの2着に敗れた。
エクリプス賞最優秀芝牡馬に選出。
1989年
2月11日、ガルフストリーム競馬場のカナディアンターフハンデキャップ(GⅡ)に出走し、イコライズの2着に敗れた。
5月8日、アケダクト競馬場のフォートマーシーハンデキャップ(GⅢ)に出走し、アーリーンズバレンタインの3着に敗れた。
9月30日、ベルモントパーク競馬場の一般競走に出走し、メイシオの5着に敗れた。
10月14、ベルモントパーク競馬場のハンデキャップ競走に出走し、クーサラッガの2着に敗れた。
10月22日、ローレル競馬場のバドワイザーインターナショナルに出走し、カルテックの6着に敗れた。
11月4日、ガルフストリーム競馬場のBCターフに出走し、プライズドの14着(殿)に敗れた。現役を引退する。
1990年
早田牧場が購入の交渉に来たが、ダービーダンファームが想定の何倍もの金額を提示してきたため折り合いが付かなかった。
代わりに提示されたのが同じ年に競走馬を引退していたブライアンズタイムだった。競走馬としてはやや格下だったが、サンシャインフォーエヴァーと父、祖母、母父が同じであり、購入することとなった。
ブライアンズタイムは初年度から三冠馬・ナリタブライアン、2年目も年度代表馬・マヤノトップガンを輩出するなど、優秀な成績をおさめた。
サンシャインフォーエヴァーはダービーダンファーに残って種牡馬入りするが、アメリカではサンフアンカピストラーノハンデキャップ(当時はGⅠだが、現在はGⅢ)を勝ったサンシャインストリートを出した程度に終わる。
1996年
ブライアンズタイムで稼いだ早田牧場が購入し日本に輸入した。供用1年目は105頭、2年目は112頭の繁殖牝馬を集めた。
1999年
日本における初年度産駒がデビューするが成績は振るわず、種付け数が激減。6年目以降は一桁となる。
2001年
4月26日、シングルトラックがクラウンカップ(南関東GⅢ)で日本における産駒唯一の重賞勝利。
2004年
種牡馬を引退。「ファーディナンド屠殺事件」を受けてマイケル・ブロウエンが設立した功労馬保護団体「オールドフレンズ」に買い戻され、ケンタッキー州にあるオールドフレンズ所有の牧場で余生を過ごした。
2014年
心臓発作のため死去(29歳)。
フィクション作品
ウマ娘シンデレラグレイ
漫画『ウマ娘シンデレラグレイ』にて、1988年のジャパンカップ出走馬がモデルとされる海外ウマ娘達が登場しているが、オベイユアマスター(ペイザバトラーがモデルのアメリカ代表ウマ娘)の回想シーンにて、サンシャインフォーエヴァーがモデルと思われるウマ娘が登場している(名前は不明)。