ハイム・サバン
はいむさばん
アメリカとイスラエルの二重国籍者であるユダヤ人の実業家。サバン・エンターテインメント(現サバン・キャピタルグループ)設立者でありCEO。
資料によってはハイム・サバーン、ハイム・サーバンと表記されている場合もある。
資産は33億ドル。アメリカ102番目の大富豪。妻はプロデューサー・脚本家にしてサバン・ファミリー財団の代表シェリル・サバン。女優のティファニー・レンハートとハイディ・レンハートは妻の連れ子。他に2人子供がいる。
1944年10月15日、エジプトアレクサンドリアにて玩具店の長男として生まれる。
1966年、ロックバンド「ライオン・オブ・ユダ」のベース兼マネージャーとしてエンタメ業界に入り、1973年に中東戦争の影響でフランスに移住し音楽プロデューサーとしてシュキ&アビバなどをプロデュース。1978年には音楽会社サバン・レコード(後のサバン・インターナショナル・パリ)を設立した。
1984年、映像会社サバン・エンターテインメントをシュキ・レヴィと共に設立。同年、仕事で日本に来た時に宿泊したホテルのテレビで見たとある番組に興味を持つ。
それはスーパー戦隊シリーズ。異なるカラーのスーツを着た5人の正義の若者たちが巨悪に立ち向かうというストーリーは彼の心をつかんだ。
1985年、東映と交渉し、アジア圏を除くスーパー戦隊シリーズの国際放映権を一話あたり一億ドルで入手。同年に放送されていた『超電子バイオマン』をベースにアメリカで撮影した映像を加えたパイロットフィルム『BIOMAN』を製作するも、「日本のゲテモノドラマなんか売れるわけない」とテレビ局の理解を得られず放送には至らなかった。
それでも諦めることなく、精力的にスーパー戦隊シリーズのプロモーション活動を継続。
すると業界関係者で唯一「Foxチルドレンズネットワーク」社長のマーガレット・ローシュが理解を示した。
かつてマーベルコミックTV制作部門に勤務していたローシュは、かのスタン・リーの肝煎りで『太陽戦隊サンバルカン』の英語吹き替え版放送を企画するも同様の理由で却下された過去の持っており彼の考えに賛同しない理由は無かった。
そしてローシュを中心にし、数年をかけてスーパー戦隊シリーズを売り込むためのプロジェクトを企画・準備した。
同時に『BIOMAN』に出演していた俳優が年齢を重ねていたため再出演は不可能と判断され、新たなキャスト陣で制作され、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』をベースとする運びとなった。
当初は『ZYURANGER』というタイトルだったものの、ジュウという部分が自分と同じユダヤ人への蔑称に当たるとして『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー』というタイトルで放送。
TV業界や批評家からは絶対に成功しないと嘲笑されたが、パイロット版を放送して宣伝すると同時に人気が出る事を証明。
93年に本放送に入るや否や、社会現象になるほどのヒット作となった。
当時のアメリカ、特にアメリカンコミックは所謂グリム&グリッティの流行により、悲惨で暗く、ヒーローがどんなに頑張っても報われない不幸な目に遭う話ばかり制作されている時期だった。
しかしこの風潮に辟易していたファンが多くいたのもまた事実であり、そこに「スーパーパワーを手に入れた5人の若者が、世界を救うために真正面から悪に立ち向かっていく勧善懲悪のヒーローとなる」というスーパー戦隊シリーズの展開は、爆発的人気を獲得したのである。今作は後に『パワーレンジャー』としてシリーズ化されるほどの人気作となった。
この人気に便乗し、東映から『仮面ライダーBLACKRX』をベースとした『マスクド・ライダー』やメタルヒーローをベースとした『ビッグ・バッド・ビートルボーグ』『バーチャル戦士トゥルーパーズ』を製作するもどちらもパワーレンジャーほどの人気は出なかった。
96年には円谷プロダクションから『ウルトラマンティガ』の海外展開のために接触を受けたものの、パワーレンジャー形式の放送を円谷側が嫌がったため頓挫した。
1997年にFOXファミリー・ワールドワイドの会長に就任。2001年にサバン・エンターテイメント以下FOXファミリー・ワールドワイドをディズニーに売却。新たに投資会社「サバン・キャピタル・グループ」を設立。ドイツの大手テレビ局プロジーベンSAT1やアメリカのテレビ局ユニビジョンの買収にかかわった。
FOXファミリー・ワールドワイド売却後はテレビ番組関係の仕事からは遠ざかっていたが、2006年に番組制作会社バーチャル・スタジオを設立して復帰。2010年には『パワーレンジャー』の権利をディズニーから買い戻し、新たに設立した「サバン・ブランド」の資産とした。現在は新たに玩具メーカーのハズブロに買収されている。
アメリカ民主党の個人最大献金者でビル・クリントン・ヒラリー・クリントン夫妻とも親しいとされ共和党にも多額の献金をしている。彼は熱心なシオニストであり、2002年にはブルッキングス研究所にサバン中東学研究センターを設立している。