ミサト「おめでとう」 アスカ「おめでとう」 レイ「おめでとう」 リツコ「おめでとう」 加持「おめでとう」 ヒカリ「おめでとう」 ケンスケ「めでたいなぁ」 トウジ「おめでとさん」 ペンペン「グワッグワッ」 マコト「おめでとう」 シゲル「おめでとう」 マヤ「おめでとう」 冬月「おめでとう」
ゲンドウ&ユイ「おめでとう」
シンジ「ありがとう」
父に、ありがとう
母に、さようなら
そして、全ての子供達(チルドレン)に
おめでとう
予告
終局。それは始まりの後に必ず訪れる。
私たちの願いは破滅へと連なるのか。私たちの希望は死そのものなのか。
最終話『世界の中心でアイを叫んだけもの』
概要
時に西暦2016年。人々の失われたモノ。すなわち、心の補完は続いていた。
だが、その全てを記すには、あまりにも時間が足りない。
よって今は、碇シンジという名の少年。彼の心の補完について語ることにする。
CASE3:碇シンジの場合
TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の最終話(第弐拾六話)のサブタイトルである。
英題は「Take care of yourself.」(自分を大切にすること)。
タイトルの元ネタはハーラン・エリスンのSF小説「世界の中心で愛を叫んだけもの」。
カタカナの「アイ」は「愛」と「I(私)」をかけており、世界の中心で「私はここにいる」と叫ぶという意味。
「僕はここにいてもいいんだ!」
この最終話と25話のラスト2話は、24話「最後のシ者」から続く物語としては描かれていない。
碇シンジ個人の精神世界における葛藤と苦悩の問答を経て、シンジが自身の存在意義への答えへとたどり着き、自己肯定と解放に至るまでが、前衛的な映像で描かれる。
最後にシンジが「僕はここにいたい!」と晴れやかに言い放ち椅子から立ち上がり、「残酷な天使のテーゼ」のメロディが流れるなか、シンジを取り囲んだ登場人物たち(死亡したキャラクターを含むが、シンジを最終的にここまで追い詰めた渚カヲルのみ何故か登場しない)が全員笑顔で拍手をしながら「おめでとう」と口々にシンジを祝福し、それに応えてシンジが「ありがとう」と満面の笑顔で答えたのち、最後に上の4つのテロップが出て完結となる。
この前代未聞の演出と結末は普遍的なネタとなり、現在も様々な作品でこのラストのパロディを拝むことができる。がっつり映像で再現した『銀魂』では、本家中の人による「おめでとう」を聞くことができる。
「庵野秀明」の苦悩と葛藤
エヴァが社会現象と化し、結末への注目が高まっていた本放送時、最後に「物語の完結」を放棄した庵野秀明に対する批判は、放送後に当然ながら集中した。
それこそSNSが発達した現在であれば、より凄惨な事態になっていた事は想像に難くない。
実際、当時「庵野秀明をどうやって殺すか」といった題材のネット掲示板のスレッドが存在し、それを目にしてしまった庵野はすべてがどうでもよくなってしまったと語っている。ただ、「死ぬ時に痛いのは嫌だ」という理由でさすがに自殺は思いとどまったとのこと。
この結末の描き方に対し庵野は「アニメに依存しているファンに嫌気がさして、バケツで水をかけてやるつもりで作った」としている。しかし、水の半分は自分にかけるつもりで作ったとのことである。
また別の案として庵野自身が実写で出演し、視聴者に同じ事を言うというものもあったらしい。
いずれにせよ、シンジの分身である庵野自身も、24話時点で完全にぶっ壊れた結果のTV版最終話が本作である。
終局「まごころを、君に」
これ以降、庵野自身の精神状態はとにかくヤバイことになっていたらしいが、庵野曰く周囲の4名の女性の支えにより、エヴァの物語世界における完結を目指し再始動。
1997年に旧劇場版にて、描き直された最終話「まごころを、君に」がリメイク版25話「Air」とともに公開され、改めて『新世紀エヴァンゲリオン』の物語も終幕を迎えた。
英題は「ONE MORE FINAL: I need you.」(終幕をもう一度:君が必要だ)である。
この結末についてはさらに物議をかもしたが、庵野は「もう疲れたから、次が作れないようにみんな殺した」と当時語っていた。
こちらのテーマは庵野秀明曰く「他人がいてもいいじゃない」である。
幻の最終回「たった一つの冴えたやり方」
企画書に書かれていた最終回のサブタイトル(元ネタはジェイムズ・ディプトリーJr.のSF小説)。現在発覚しているのはこの一文のみである。
「終局である。破壊された研究所を舞台に全ての謎とドラマに決着が付く。ラストは大団円。」