概要
この兵器は1932年(皇紀2592年)に採用された。ある種最大の特徴は当時戦車を扱っていた歩兵科ではなく騎兵科の所属であったことである。これは、戦車の登場により騎兵が不要となるという焦りから生まれたことも影響している。
性能を見る限り豆戦車であるにもかかわらず、戦車という名称ではなく装甲車となっているのもそのためである。
後継となる九四式軽装甲車や九七式軽装甲車が早期に完成したため、活躍の機会は少なかったが、ノモンハン事件などにも参戦している。
長らく本車の秘匿名称はロ号であるとされ、某ドラマCDでもそのように言及されていたが、ロ号は九五式重戦車であることを示す史料が発見され、本車の秘匿名称は不明となっている。
性能と利用
ルノーFT-17等の海外製豆戦車を参考にして装軌式の車両を国産することとし、石川島自動車製作所が試作。テストの結果採用されることになった。
この車両はリベットを用いず溶接で作られ、最大6mmの装甲が施された車体に九二式車載13mm機関砲(初期の車両は生産が間に合わず九一式6.5mm車載軽機関銃が搭載されていた)、砲塔に九一式6.5mm車載機関銃を装備、45馬力のガソリンエンジンを搭載(後にディーゼルに換装したものもある)した。
馬と異なり休息もあまり必要とせず最大時速40kmのスピードを出すことが可能であった。
また、当時の主力戦車である八九式中戦車の1/3の価格であった。
足回りは試作車はリーフスプリングで吊られた小径転輪4つであったが、量産車では小径転輪6つに増やされた。また量産車の後期型では大径転輪4つに改められている。
欠点
一方欠点もあり縦長の車体は取り回しに不安があったとされる。
また当時の技術で溶接は難しく、溶接不良で「知らないうちに壊れていた」車両もあった。
最大6mmの装甲はあまりにも薄く小銃弾でも貫通しかねない程度だった。
主武装となる九二式車載13mm機関砲の連射性能および威力の不足から九四式37mm戦車砲に換装した事例も確認されている。
運用
この兵器は朝鮮および関東軍に配備された。その際重要な戦闘に参加し、この種の兵器の有用性を確認させた。
しかしながら、牽引車として開発され後に装甲車となった九四式軽装甲車やその後継である九七式軽装甲車等が作られたため、それ以降、大東亜戦争においては前線で使用されることはなくなった。
登場(?)作品
二・二六事件を題材にした映画「226」には本車に似た戦車が登場する。この戦車は建設機械を改造して3両が製造され、うち2両が北海道夕張市内の「花とシネマのドリームランド」に保存されていたが、2008年に同園の閉鎖に伴い撤去された。
残る1両は栃木県那須郡那須町の「那須戦争博物館」に「90式改良戦車」なる解説と共に展示されている。
映画の撮影終了後にこの戦車を150万円で販売するという広告が確認されており、那須戦争博物館の車両はこの際に売却されたものではないかといわれている。ちなみに広告には「外観は97式戦車に似せてあり」と記載されていた。