概要
砂糖と醤油などの調味料や生姜で濃く味付けをした煮物で、明治になってから生まれた料理である。
明治10年代に鶏肉(鴨肉との説もある)を使って作られたのが最初であると言い伝えられ、考案者は千葉県の缶詰業者であった前田道方で、売り出すにあたり、朝野新聞編集長の沢田直温が命名したものだが、由来は不明。
その後、鶏肉以外の肉も使われるようになり、1915年には明治屋が牛肉大和煮の缶詰を発売、1923年には日本橋三越で行われたバーゲンセールで目玉商品とされた、などという記録が残っている。
牛肉大和煮は、大日本帝国陸軍では牛缶と呼ばれ、携帯口糧として将兵らに人気のあるメニューであり、日清及び日露戦争時には戦時のために大和煮缶詰の材料にするため牛が足りなくなった事もある。
この時副作用的に生まれたメニューが「トンカツ」である(とされている)。
大日本帝国海軍でも艦艇乗員の戦闘配食として大和煮も用いられた。
当時の大和乗員の手記や一部の架空戦記では、出撃中の大和艦上で戦闘の合間に乗員や登場人物が大和煮を食べるシーンがあったりする(ネタじゃないよ!)。
時雨煮もそうだが、食品名の由来は艦名からではない。
現在の陸上自衛隊においても、「牛肉味付缶詰」として採用されている。
性質
たいへん味付けが濃く素材の味を消してしまうため、クセの強い肉や質の悪い肉であっても素材として使うことができる。
鶏・牛のほか、商業捕鯨が盛んであった時代には鯨肉も多く使われていた。
また他に羊肉・馬肉・鹿肉なども使われており、珍しいものとしては熊・トドなどの獣肉も使われることがある。
ただし、濃い味付けで肉のクセを隠すことができるとはいえ程度問題であり、特にクセの強い肉、例えばトド肉大和煮などは好みがわかれる。
一般的には、あまり家庭で作られることはなく、もっぱら缶詰食品として流通している。ただし、例外的に宮城県の牡鹿町(現石巻市)では、きわめてクセが強く食用にはなりにくいマッコウクジラの鯨肉をこの手法で調理したものが郷土料理とされていた時代がある。
「大和煮」という名前で呼ぶかどうかはとにかくとして、「どのような素材でもそれなりに食べられる料理に仕上げる手法」としては、ポピュラーなものであるといえる。
また、残念なことに過去には「牛肉大和煮の缶詰の肉が、牛肉ではなく鯨の肉だった」というまさに羊頭狗肉を絵に描いたような食品偽装事件が起きている。
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??「大和煮さん?知らない子ですね…」
外部リンク
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