概要
1947年5月25日生まれ。秋田県秋田市出身、東京都在住。本籍は香川県丸亀市(父方の祖父が丸亀市出身)。
東京12チャンネル→オーケープロダクションを経て現在はオールラウンド所属。
父は帝国石油の技術者であり、父の赴任先である秋田で生まれた。小学生のころに新宿に転居し、一度秋田に戻ったが、中学進学とともにまた新宿に転居している。高校時代は府中市に住んでいた。
中高と陸上競技(短距離走)に打ち込んでいた。中央大学附属高等学校卒業後、獨協大学に進学。大学でも陸上部に所属する。また、同時期に仲間とバンドを組んで演奏のアルバイトをしており、足の怪我もあってのちに陸上部は引退している。
幼い頃から吃音に悩まされており、また秋田出身ということで訛りも強かったことから、あえて話すことを仕事にして克服しようと考えアナウンサーを目指すようになる。
就職試験では文化放送、フジテレビなどを受験したが不合格となり、東京12チャンネル(現テレビ東京)に1970年にアナウンサーとして入社。なお、それ以前に時事通信社に勤務していたという文献もある。
入社後は主に競馬実況アナウンサーとしての活動や『独占!男の時間』への出演などを行った。しかし、活躍ぶりから同僚やスタッフ、上層部との軋轢が生まれてしまう。大橋巨泉からのスカウトを受ける形で、29歳の時に東京12チャンネルを退社しフリーアナウンサーに転向。大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)に所属する。
フリー転向後、しばらくは鳴かず飛ばずの時期が続き経済的にも困窮していたが、ナレーションやリポーター、ラジオパーソナリティとして徐々に頭角を表すようになる。
ナレーターとしても人気が高く、『世界まるごとHOWマッチ』、『ヤンヤン歌うスタジオ』、『タミヤRCカーグランプリ』などで聞かせたハイテンションなナレーションで視聴者を大いに魅了した。『タミヤRCカーグランプリ』では、1984年から1994年まで軽妙な語り口での番組進行で小倉のお兄さんの愛称で少年少女達に親しまれた。
1990年代からは司会としての起用が増え、1999年には『情報プレゼンター とくダネ!』の総合司会になったことで、幅広い層の人気と知名度を得ることとなった。
2016年に初期の膀胱がんであることを公表。その後も闘病を続け、2018年には膀胱の全摘出・代用膀胱の造設手術を受けている。
2021年3月末をもって、22年間放送された『とくダネ!』が終了。本人も帯番組の総合司会から勇退すると宣言した。
番組終了後も、ラジオパーソナリティやフジテレビの「東京五輪 情報スペシャルキャスター」に就任するなど精力的に活動していたが、2021年10月にがんが肺に転移しており、ステージ4(末期がん)の状況にあることを公表。さらに2023年11月には腎臓を全て摘出するハメになってしまった上、腎盂がんにまでかかっていたことまで判明した。
そして2024年12月9日、長き闘病生活の末この世を去った。11月23日に出演したトークバラエティ番組『小倉ベース』がTVで見せた最後の姿だった。とくダネの後継番組のめざまし8に電話で出演したフリーアナウンサーの笠井信輔は2日前に闘病だった小倉と連絡が取ったが、声が弱々しく感じ取れていたので小倉の死は覚悟していたと言う。
人物
本人によれば、フジテレビの就職試験を受けた際に「朝のワイドショーの司会がしたい」と語ったという。このため、『とくダネ!』で長年の夢が叶うことになったと喜んでいた。
プライベートではオーディオマニアとして知られ、自宅や別荘にAVルームを持っており、毎日CDを3枚聴き、DVDを1枚観ることをノルマとしている。かつてはオーディオ機器目当てで秋葉原にもよく通っており、ラジオ会館の閉鎖に関して懐かしむコメントを発表していた。
好きな音楽のジャンルはブリティッシュ・ロックやプログレッシブ・ロックである。本人が学生時代に組んでいたバンドではボーカルとベースを担当しており、60歳ごろからはドラムも叩くようになった。
陸上に取り組んでいたこともあり、1964年の東京オリンピックの聖火ランナーを務めた。
アニソン歌手の水木一郎は中学時代の同級生。共演した際には思い出話で盛り上がっていた。また、小倉が手術の為入院していた際には、『恋するクラシック』の代打MCを水木が務めている。
寺尾聰とは東京12チャンネル時代からの付き合いの友人である。「とくダネ!」にも何度かゲスト出演しており、最終回にも登場した。
萩原流行、市村正親とも親交が深く、萩原が2015年に交通事故で亡くなった際には追悼するコメントを送っていた。
30代の頃糖尿病を発症し、この影響で薄毛となってしまったことからかつらを着用している。ただし、このことはある意味「公然の秘密」で、テレビやラジオでは全く触れない一方、講演会ではカミングアウトしている。テレビやラジオで触れない理由は「皆わかっていることである」という認識からだという。
2003年4月には、自身が司会を務める「とくダネ!」の同年3月31日放送分のオープニングでかつらが取れたという内容の動画(MAD)が作られ、東京スポーツの一面に載るほどになった。実際にはかつらは取れておらず、動画の制作者が実際の放送映像を編集したものである。
また「とくダネ!」では2016年に猫舌に偏見のあるような発言をした為にネット上で炎上する事態が発生した。