「アァアアア年号がァ!!年号が変わっている!!」
概要
鬼殺隊に入隊するための試練「最終選別」が行われる藤襲山にて長年生き延びていた鬼で、巨大な体躯に何本もの太い腕がまとわりついた、それまでの鬼とは一際異なる奇怪な姿をしている。
47年前に当時隊士だった鱗滝によって捕らえられる。通常、藤襲山に閉じ込められる鬼は、人間を2~3人程度しか喰らっていない弱い鬼であり、鬼殺隊候補生に狩られるか、共食いで数年のうちに命を落とすのが常である。彼もまた、捕えられた直後は人型のそうした弱い鬼であったのだが、隠遁に長けていたのか人知れず生き延びつつ、時折候補生を喰らう事で力を付け、異形の姿へと変貌した。
これまでにおよそ50人以上の鬼殺隊候補生を喰らっていて、その内13人は錆兎や真菰を含む鱗滝の弟子達。これは鱗滝への強い恨みからで、彼の彫った狐の面「厄除の面」を目印に率先して襲っていた模様。
今回も候補生達を襲っていたところ、竈門炭治郎と遭遇。その面から鱗滝の弟子だと気づいて狙いを定める。過去の候補生同様に鱗滝の弟子を狙って食った事を暴露して冷静さを失わせ、彼を大量の腕による攻撃で空中へ追い詰めるが、頭突きの反動で体勢を捻った炭治郎に懐へ飛び込まれてしまう。そこで頚の硬さで刃を弾いた隙を狙おうと目論むも、水の呼吸を会得した炭治郎の「壱ノ型 水面斬り」による一刀のもと頚を斬られ敗北した。
今際の際に炭治郎に手を握られた事でわずかながらかつての記憶が蘇り、大好きだった兄(CV:小市眞琴)と手を繋いだことを思い出して涙を流しながら消滅していった。
錆兎と真菰を始めとする過去に手鬼によって犠牲となった鱗滝の弟子達の敵討ちを果たすことになる炭治郎だったが「鬼は平気で人間の命を奪う許しがたい存在であると同時に、哀しい生き物でもある」と認識することになる。
能力
無数の腕を持った妖怪じみた姿で、それらの腕を振り回して攻撃する。数本の腕を繋げて離れた相手を攻撃したり、地面の下に潜り込ませて奇襲したりと応用力がある上に速度も十分にあるため、炭治郎のように探知能力に長けてなければ回避は困難であり、一度捕まればまず人間の力では逃げられるものではない。腕の再生速度を見る限りでは、再生能力はかなり上位の鬼にも匹敵するほどに高い。
また、頚の硬さに自信を持っており、錆兎もその頚を斬れずに刀が折れて敗北している。ただし、錆兎はそれ以前に山中の鬼をほぼ全て狩り尽くしており、当然刀も摩耗した状態であった事が後に判明している。
なお、異能の鬼となれる適正はなかったようで血鬼術は体得しておらず、十二鬼月のような最上位と比べれば序の口に過ぎない。
長年生き残っていたのは、後に柱へと名を連ねるような「目に見えて強い相手」を避けていたのもあるのだろうが、そうした例外を除いた大部分の候補生には荷が重い相手であったからこそとも言える。
鬼化前と鬼化後
鬼化前は、夜に独りになることを怖がり、兄に手を繋いでいてほしいと願う無垢な少年であったことが死の間際の走馬灯にて判明。
鬼になり、兄を喰い殺してしまったことを初めは嘆いていたが、それも鬼化が進むにつれ
「……あれ?兄ちゃんって、誰だっけ?」
と言った具合に忘れてしまった。
皮肉にも、鬼化後は手をつなぐ相手のいない孤独を埋めようとしているかのように大量の手を生やし、人を殺める事になってしまった。
余談
年号ネタ
冒頭でも挙げた捕らえられている間に年号が変わっている(明治→大正)ことを知り激昂する場面から「年号鬼」のあだ名をつけられている。
奇しくもアニメ『鬼滅の刃』で彼が登場する回が放送されるタイミングで現実の年号も変わった(平成→令和)ため、非常にタイムリーなシーンとなっている。※
やはりというか時事ネタのイラストが現れる事に……。
そして、当然と言うべきか、公式ツイッターも乗っかっている。
さらにこの場面を元にしたグッズも販売開始された。
なお、原作で手鬼が登場したのは、現実に譲位について公布される以前のことである。
※曜日の関係上、正確にはTOKYOMX等やAbemaTVは4月最終週の放送であり、数日遅れの局や配信がドンピシャである。
作中年代割り出し
あまり注目されないが年号の変更に対して「また」と語っている。
これは本人も言っていたように封印された47年前は明治ではなく慶応であり、明治期に誰かに年号を聞いたと思われる。
今回の決闘で「また」といったのだろう。
彼の台詞から本作の時代背景が大正時代のいつ頃かを割り出すことができる。
慶応は1865年から1868年の四年間で、慶応元年の47年後が丁度大正へ変わっている。
鬼滅の刃の第一巻の裏表紙の説明では「時は大正時代。」から始まっており、竈門家への鬼の襲撃の直前は既に年号が大正となっていることが分かる。
また、物語冒頭は雪の降る冬であり、正月を控えている年末頃であり、炭治郎は最終選別を受けるまで鱗滝の下で二年間修業をしているが年表上は実質三年分が経過している。
そこから換算すると、竈門家への襲撃は大正元年~4年(1912年~1915年)の冬(年末)、最終選別時は大正3年~6年(1914年~1917年)と考えられる。
ちなみに、作中では全く触れられることはないが、当時の世間の情勢として日本はイギリスと同盟関係にあり、海外では欧州戦争、後の第一次世界大戦(1914年~1918年)の開戦など、結構大変なことが起こっている。
似た題材、似た時代を扱ったジャンプ作品でいえば、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズにおいて、リサリサと結婚した直後のジョージ・ジョースターⅡ世が戦場で活躍している頃である。
当時に活躍した偉人には、特に小説家・作家が多く森鷗外・新渡戸稲造・芥川龍之介・宮沢賢治・菊池寛・平塚らいてうなど、それ以外には医学者の野口英世、画家の竹久夢二、軍人ではマルタで活躍した田中頼三などがいる。
鱗滝の弟子たちの死亡時期
炭治郎の最終選別を受けたのは恐らく大正4年であるのに対し、炭治郎より6歳年上の冨岡義勇が13歳当時に受けた最終選別が8年前の明治40年(1907年)頃。
義勇は錆兎と同期であり、年齢不詳の鱗滝が47年前に手鬼を藤襲山に捕えたことから恐らく還暦越えであることから鱗滝の弟子たちを惨殺した時期が3パターンに分かれる。
①捕えられた直後から惨殺
捉えられたのが慶応四年(1868年1月25日~10月22日以前※)の場合、数か月の内に明治元年(1868年10月23日~1869年2月10日※)から鱗滝の弟子を惨殺。
この場合だと鱗滝がまだ弟子を取れる柱になっていない、または、水柱になっていたとしてもその弟子が継子の候補者の可能性が高く、数か月で力を付けることに無理があるとも考えられる。
※明治5年までは旧暦を使用していたため、西暦(グレゴリオ暦)の年とはずれが生じる。
②捕らえられて何年か経過した後に度々惨殺
明治元年からでは上述の通り無理がいくつかみられるが、仮に錆兎以外の12人の弟子たちが錆兎の兄弟子、姉弟子の場合は約39年間の内、何年かを他の選別参加者を食べて力を付けてから残りの年月をかけて弟子たちを惨殺。
手鬼が力を付けている間に鱗滝が水柱を引退しに育手となった場合と、ある意味で現実的なパターン。
③錆兎を皮切りに惨殺
錆兎が弟子たちの中で初期頃に選別に参加した場合、明治40年ないし43年より少し前から短期間に13人の兄弟弟子たちを惨殺したケース。
しかし、この場合は約8年前を皮切りに、選別には一度に複数人参加できるとはいえ数年で13人全員が死亡というのに無理がある。
上述の理由から鱗滝が藤襲山に捕えてから何年かの間に他の参加者(約37人の内の何人か)を捕食して力を付けてから、柱を引退して育手となった鱗滝の弟子たちを炭治郎の最終選別から8年前までに13人殺したと考えるのが妥当である。
手鬼が食べたことのある鱗滝の弟子たちを指で数えた時、「4」、「1」、「5」、「2」、「1」とそれぞれの指で表しており、これが過去五回の最終選別の折に食べた人数であると考えられる。
錆兎の同期は冨岡義勇のみで、彼は手鬼と遭遇せずに済んだため錆兎は2回目ないし5回目の最終選別で殺害され、前者の場合は③が、後者の場合は②が当てはまる。
キャスティング
お堂の鬼に続く大ベテランの起用である。このアニメおかしいよ
しかし本来は炭売りの少年だった炭治郎が最初に遭遇した鬼がお堂の鬼であり、手鬼は2年に及ぶ特訓を経て初めての難関といえる相手である。主人公が初めて呼吸を使って刀を振るう強大な敵という立場からいえば、この起用も一理あるのである(年号ネタへの演技的信頼も込みで)。
しかもアニメ版の1~5話は「兄妹の絆編」として劇場公開されてもおり、扱いとしてはラスボスとなることも付言する。
後に、2024年放送のアニメ版柱稽古編にて隊士役で息子も出演したことで、親子での出演を果たした。
デザイン
上述の無数の手について担当編集者から「手を握って欲しかったから手を沢山生やしてるんですね!」とその意図を指摘された際には、作者の吾峠呼世晴先生は「えっ…、知らなかったそんなの…。」と反応した。先生がどのような意図を持ってこのデザインにしたのかは不明だが、少なくとも担当編集者のこの指摘は想定外だった様子。
キメツ学園!
手鞠ロボ。耀哉が子供達のために兄弟の職人に特注したものの、壊れて暴走しがちになったため蔵にしまおうとベルトコンベア付近に置かれていた。体の変型の他にもかぞえうたが流れるギミックが付いている。
関連イラスト
関連タグ
- DIO:中の人繋がり。種類は違うがこちらも一応鬼といえば鬼。日光に弱いと言う共通の弱点がある。本キャラクターが登場する『ジョジョの奇妙な冒険』は、作者の吾峠呼世晴が影響を受けた作品として挙げている。
- 相羽シンヤ:中の人&弟繋がり。人ならざる者に成り果てたことで、元の人格が歪められた点も共通している。