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楠みちはる

くすのきみちはる

高知県出身の漫画家。代表作に『あいつとララバイ』、『シャコタン☆ブギ』、『湾岸ミッドナイト』など。
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概要編集

高知県出身の漫画家(1957年~)。

オートバイ自動車をテーマとした作品を描いている。

代表作に『あいつとララバイ』、『シャコタン☆ブギ』、『湾岸ミッドナイト』など。

妻は漫画家の伊藤ゆう


来歴編集

1957年、土佐市(高知県)に誕生。中学生の頃からオートバイに夢中で、伊野商業高等学校1年の冬に自動二輪免許を取得し、中古でホンダCB750FOUR(K0)を購入。カスタマイズに熱中した。

1974年、ヨシムラ集合マフラーをつけたカワサキZ2のカッコよさに衝撃を受け、CB750FOURを売ってZ2を購入。

1976年、高校を卒業。親には「家業を継ぐ」と言い、自動車(いすゞ117クーペ)を買ってもらったが、大阪ミナミナイトクラブバーテンダーとなる。各誌に漫画を投稿。


1977年、秋田書店の第9回週刊少年チャンピオン新人まんが賞に『テストライダー』が佳作入選(ペンネーム:楠通春)。

1978年、12月発売の「月刊少年チャンピオン」(秋田書店)1979年2月号に『あこがれの白いスポーツカー』が掲載されてデビュー。代原扱いであった。その後、秋田書店の漫画雑誌に掲載されることはなかった。

1980年、所持していたZ2やヤマハXT500を処分して金を作り、上京。競馬新聞を運ぶプレスライダーをしながら漫画を描いた。12月、講談社の少年マガジン月例新人賞に『ふたりはアイラブユー』が入選し、「少年マガジン増刊号」(講談社)に掲載された。


1981年、「流行しているラブコメの路線で」という編集部の意向を受け、「週刊少年マガジン」(講談社)で『あいつとララバイ』を連載。当初はアシスタントを雇わず、プレスライダーを続けながらの連載だった。

1982年、仕上げのアシスタントに入ったしげの秀一と意気投合。その後、オートバイが主役となるにつれて『あいつとララバイ』の人気が上昇し、ヒット作となる。

1983年、「週刊ヤングマガジン」(講談社)で『J物語』を連載。

1984年、「週刊ヤングマガジン」で『シャコタン☆ブギ』を連載。


1990年、「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で『湾岸ミッドナイト』の不定期連載を始めるが、編集部との意見の相違により休載の説明もなく突然終了。

1991年、「週刊ヤングマガジン」に『湾岸ミッドナイト』の連載が移籍。

1999年、「週刊モーニング」(講談社)で連載の『TOKYOブローカー』(作画伊藤ゆう)の原作を担当。

2004年、「週刊ヤングマガジン」で『TOKYOブローカー』を連載(作画も楠自身)。

2008年、「週刊ヤングマガジン」で『湾岸ミッドナイトC1ランナー』を連載。

2012年、「週刊ヤングマガジン」で『エイト』を連載。

2014年、「ビッグコミックスピリッツ」編集部と和解し、同誌で『銀灰のスピードスター』を連載。

2015年、「ビッグコミックオリジナル」(小学館)で『特別のEGOIST』を連載。「イブニング」(講談社)で連載の『神様のジョーカー』(作画:佐原ミズ)の原作を担当。

2016年、「月刊ヤングマガジン」(講談社)で『首都高SPL -銀灰のSPEEDSTER-』を連載。


余談編集

  • 『あいつとララバイ』と『バリバリ伝説』が「週刊少年マガジン」で競っていた頃、日本は空前のバイク・ブームを迎えつつあったが、楠はバイク10年選手で情熱が失せつつあり、しげのはバイクの免許を取ったばかりで勢いが違った。読者から「Z2なんて知らない」等の苦情のハガキが寄せられたが、楠は自分がよく知り愛好した時代の旧車(カワサキ・マッハなど)を登場させる事で差別化を図り、意欲を取り戻すことができた。

関連タグ編集

漫画家 オートバイ 自動車

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