概要
日本の漫画家。1986年12月28日生まれの福岡県出身であり、血液型はA型。靴のサイズは26.5cm。絵の練習、音楽、物語づくりを好む。趣味はジム、歌、TRPG、ゲーム、粘土塑像。姉は十和田シン。
作品
東京喰種
初の連載作品。「週刊ヤングジャンプ」にて2011年41号より連載開始、2014年42号をもって連載終了。全14巻。同年46号からは続編『東京喰種:re』が連載開始、2018年31号をもって連載終了し、同時に完結を迎えた。全16巻。
読み切り・短編は、パイロット版が『ミラクルジャンプ』No.2、『ミラクルジャンプ』No.6にて「リゼ」、『ジャンプLIVE』2013年の#001~#006にて電子書籍「JACK」、『週刊少年ジャンプ』2014年31号にて「JOKER」が掲載された。
また小説版は全4冊で、無印「日々」「空白」「昔日」、:reは「quest」。イラスト集は「zakki」「zakki:re」の全二冊。アニメ版第一期は2014年、第二期は「√A」として2015年に放映。:reのアニメ版は第一期は2018年、第二期は「最終章」として同年に放映された。ゲーム版はPS4で「JAIL」「:re CALL to EXIST」、スマホで「:re CALL to EXIST」など。2015年7月に舞台化。実写劇場版は2017年7月29日、第二弾「S」が2019年7月19日に公開された。
ジャックジャンヌ
ニンテンドースイッチで遊べるゲームソフト。ブロッコリーとの共同プロジェクトで制作しており、石田スイは原作・脚本・キャラクターデザイン・ゲーム内イラストを担当している。
超人X
2度目の連載作品。「となりのヤングジャンプ」にて2021年5月10日より第一話が公開され、現在不定期連載中。本作は背景・仕上げ等を石田スイが一任している。
経歴・来歴
幼少期
父の仕事上、家族は転勤族であり、小学六年生までに徳島、東京、神奈川、佐賀、福岡を転々とし、幼稚園の頃には台湾に住んでいたこともあった。その為、友達が出来ては離れての生活であり、幼馴染や深い友達はなかなか作れなかったという。
必然的に家族との繋がりが強くなったが、父親が厳しく、家の中は窮屈な場所であった。
父の目を盗んでゲームをすることが好きであり、絵を描くことはそこそこだった。
小学校~モラトリアム期間
中学1年生まで、体型は「ほぼ豚のような肥満児」であったが、そこそこ運動神経は良く、特にマット競技や鉄棒が得意で、バク転もできていた。
卒業文集には将来の夢は体操選手と書いていたが、実際になる気はなく、漫画家と書くことには後記の理由で罪悪感を抱いていたのだろうと現在は思っている。
中学時代は、親が「勉強しろ」とうるさく、成績が下がると怒られるため、怒られたくなく素直に勉強はしていた。
また英語が好きで、中学二年生で英検準二級をとった経歴があり、当時の自慢であった。現在はそこまで英語は分からなくなっている。学内で一番をとった時は嬉しく父に報告したが、「次もこの調子で頑張りなさい」と言われ、今思えば褒められたのかもしれないが、当時はその言葉に「努力しても何もないんだ」と思い、そこで勉強することに意義を見出せなくなったという。
進学してからは、親元を離れたく、寮のある学校を受験。寮生活は楽しく、主にゲームばかりをして過ごした。
成績はとても悪く、クラスでビリであった。学校の勉強は自身が興味の持てる内容ではなかったらしい。
就職~上京
周りは就職活動を始まるも、やりたい仕事がなく、また就職先は専門知識を使う職業ばかりであり、学校の勉強に興味がなかった自分はなにもしていなかったと語っている。
一人だけ取り残されたことに悩み、親ともよく喧嘩をし、とうとう父親にどやされ、諦めて就職活動をすることにした。だがその際に、父親に「俺は死んだ」と言ったらしく(そのことに関してあまり記憶がない)、その言葉で折れた父親は、結局就職以外の道を選ばせたという。
その時に浮かんだ道が「漫画家になること」であった。
それからは漫画を勉強してから上京し、ヤングジャンプの担当編集者である松尾良平にアシスタント先を紹介される。一時期は『キングダム』の原泰久の職場でアシスタントとして働いていたこともあった。
当時は使えないアシスタントで迷惑ばかりかけていたものの、初めて見たプロの原稿はその熱が立ち上ってくる様な迫力があり、物凄く衝撃を受けたと語っており、他にも多くのことを学ばせていただいたという。今でも原先生のことは、当時からずっと看板のトップを走り、未だに大きな看板を支えていることから、尊敬している。
絵や連載に関して
絵を描き始めたきっかけなど
絵を描き始めたのは小学一年生の頃で、姉の真似事で始めたという。
当時は紙の束を作り、冒険物、竜や剣などのファンタジックな漫画を描いていた。
やがて本格的なものが欲しくなり、ちょうどその頃やっていた進研ゼミの勉強すると貰える努力賞ポイントで、漫画家セットと交換できることを知る。ポイントをこつこつと貯め数か月後、ようやくポイントが貯まりセットを入手、その時生まれて初めてGペンを握った。
ペンをインクにつけ、硬いケント紙に線を引いた時は、禁断の扉を開けた様な気持ちになったという。しばらく漫画家気分で過ごしたが、ある日に手を滑らせインクを畳に零してしまう。母親が激怒し、インクが零れた畳を何故かほかほかのご飯で拭く光景をしゅんと眺めることになった。
その出来事をきっかけに、いたたまれない気持ちになり漫画家セットを自分で封印。
それから10年以上Gペンを握っておらず、「あの時インクを零さなかったら(漫画家セットを封印しなかったら)超天才漫画家になれてたかもしれない」と語っている。
進学時にネットを通して絵を描くことを始める。最初はマウスで描いていたが、ペンタブレットを購入して描くようになり、PCでカラーのイラストを描いていた。
連載時に漫画もペンタブレットで描いており、連載中に機種やソフトを変えることもあった。
連載中は
『東京喰種』を連載した七年間、「一度休んでしまうと描けなくなる様な気がして」自分から休載を貰うことはなく、毎週締め切りに追われる生活を過ごしていた。また、無理な仕事のやり方をして自分を追い詰め、色々なものを切り捨て仕事に時間を注いでおり、ヤモリに拷問を受けるカネキに近づこうとしていたという。
また身体にも不具合が出る様になり、初めは恐怖を抱いていたものの、数か月おきに様々な症状がでる為、「自分はもうこういう体なんだ」と諦めるようになった。一番印象が深かったのは「味覚がなくなったこと」であり、何を食べても同じ味がして、症状こそ違えど喰種になったような気分だったという。
作品を描くこと自体を「楽しい」と思ったことはなく、自分は仕事(むしろ日常や事務的なこと)が嫌いだと自覚している。しかし読者に読んでもらえることは純粋に嬉しく思っており、描くのが辛くとも、喜んでくれる人がいることで頑張れ、それが「一番の報酬であり全てだった」と語っている。また作品を描くことに疑問を持つも、今は「自分にそれが必要だったから」という結論に至っている。
以上のように多忙でありながら、東京喰種の二次創作品を発表するファン達によく感想を送り、ファンとの交流を大切にしていた。
絵柄や特徴など
独特なタッチと色使い、そして雰囲気に芸術的なセンスを感じる絵が特徴的で、デビュー時から現在にかけて画力が上がっていき、現在の絵柄が確立された。またTwitterでも自身のアカウントでかなりの頻度で美麗なイラストを披露している。
また『東京喰種』『ジャンクジャンヌ』以外にもオリジナルの絵や、芸能人・他の漫画のキャラクターなどを描いている。それらの絵には大体一日ではなく数時間かかり、人や顔などでかかる時間も変わってくるという。また作業中に失敗した絵も幾つか存在する。
関連タグ
酒呑童子(Fate):描いた酒呑童子のイラストをTwitterにアップしたら本家のイラストレーターが反応した。
山下ナオ:東京喰種の二次創作品をTwitterにアップした際に石田スイから感想を貰っている。