概要
Tu-22は、アメリカのB-58のような位置付けの超音速爆撃機である。
ソ連では「シーラ(錐)」と呼ばれ、対する西側諸国からはNATOコードの「ブラインダー(視覚障害者)」で呼ばれた。
1961年のモスクワ航空ショーで初公開され、注目を集めた。
高価で高度な機体だったにもかかわらず、ソビエト自身は実戦に投入しなかった。
(アフガン侵攻に参加したが、あくまで補助的な役割だった)
最初は1974年、イラク空軍がクルド人の反乱制圧に投入したという。
続いて1979年、リビアがウガンダを支援するためにTu-22が投入された。
1980年、リビアはチャド内戦において反体制派のハブレ軍を攻撃。
その後もハブレ軍と交戦を続け、遂にフランスがハブレ軍に付いて介入すると状況はこう着。
1986年2月16日、フランス空軍はリビア基地を本格的に空襲。
翌日、リビア空軍はTu-22単機にてフランス空軍の駐留する基地に報復攻撃を行った。
この攻撃はあまりにも精確だったので、基地防衛のために対空ミサイル部隊を急派している。
1980年~1988年のイラン・イラク戦争では、空軍基地や対空ミサイル陣地の攻撃に投入されたが、
ここに挙げたどの場合にも同じく、期待されたほどの戦果は挙げていないようだ。
ちなみに、この機は爆撃機とは思えない形態である。
鶴の首のように細い胴体や、鋭い後退角の主翼が織りなす、まるで60年代のSF小説に登場する、『未来メカ』のような雰囲気がそう思わせるのだろう。
爆撃機?
Tu-22は爆撃機として開発されたものの、実際には巡航ミサイルの母機として活用されている。
ただし、この用途だと旧式のTu-16にすら搭載量で勝てず、(Tu16:巡航ミサイル2発搭載・Tu-22:巡航ミサイル1発搭載)
高価な上に搭載量に劣るTu-22は『期待はずれ』の烙印を押される事になってしまった。
なお、巡航ミサイルが売却されなかった中東では、通常の爆撃機として使われている。
足の短さが弱み
高高度でマッハ2を発揮できる高速性能が自慢だったが、それと引き換えに航続距離は短くなってしまう。
音速を超える為にはアフターバーナーの使用が必要不可欠で、これは燃料を余計に消費するからだ。
その場合は航続距離が半分以下となり、空中給油は必須となる。
そういうわけで空中給油装置が生産途中から追加となり、追加改修機は型番の末尾に「D」が付く。
(例:Tu-22RD、Tu-22KDなど)
余談
概要の項で解説したモスクワ航空ショーでは、参加した西側の大使館の武官が「It's beauty」と発言した事から、一時は「Tu-22 ビューティ」という名称で報道された。
(勿論、実際には何の含みもない「これはきれいだ」という意味である)