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史記は司馬遷により編纂された中国の歴史書。

概要

この中国歴史書古代、著者は司馬遷

概ね伝説の時代とされる三皇五帝が1人黄帝から前漢武帝時代までを取り上げており、正史二十四史の第1に数えられる。また文章も優れているとされる。

特筆するべきは、その歴史の記述の仕方。

紀伝体と呼ばれる一つの個人や国の情報をまとめて紹介する手法を取っている。

これは何年に何々があったと言う形で歴史をまとめる編年体と呼ばれる手法とは違い、歴史の全体を把握するのは難しい代わりに、一つの国や個人を理解するのに適している形である。


具体的な内容

この書籍には( )末初の動乱、東周戦国七雄始皇帝による統一と秦帝国の崩壊動乱、呉楚七国の乱、武帝の匈奴遠征などの古代中国史初期における代表的イベントの殆どを網羅している。また特徴として儒教が隆盛する以前のものであるため、傀儡とされた皇帝に本紀を立てず、実際の支配者に本紀を立てる、また皇帝のみならず民間の人物や、もろもろのスキャンダルに関しても記述されている。

記述法

記述法としては紀伝体を特徴として代表的な個人や国家に焦点を当て、皇帝や王などの支配者の記述である本紀、諸侯に関する記述である世家、特に国に仕えた官僚の一生や周辺の異民族の風習などを記述した列伝、分野別の歴史である等に分かれ年表等の補足が附くスタイルをとっている。

そのほか

  • 本来この書籍には『太史公書』という名前が付けられていた
  • 紀伝体に関しては以降に編纂された中国大陸の中原国家の正史のみならず、東アジアの諸国家の歴史書に多大なる影響を与えたとされる
    • 正史二十四史はすべて紀伝体で記述され、日本国大日本史朝鮮三国史記高麗史台湾台湾通史などがあげられる
    • 個人国家に焦点が当てられるため個人や国家の行動などを追うことができ、事柄によっては多面的に考察することが容易であると言う利点がある
    • 内容事件などが関係した人数分複数回登場するため、歴史の一つの流れとして捉えるには面倒となることや、故事・伝承が記述されないなどの問題もある
  • 紀伝体とは逆に事柄を時系列的な一つの流れとした記述法を編年体といい、春秋資治通鑑などに用いられている
  • 文章の質に関してであるが、本人に文才があったのかそれとも元とした資料が名文であったのかは現代では不明となっている
  • 正史二十四史の次は後漢に班固、班昭らにより編纂された漢書( 前漢書 )、その次が南北朝時代范曄により編纂された後漢書である

関連イラスト

関連タグ

春秋 戦国 戦国時代

項羽 劉邦 張良 荊軻

参照

wikipedia:同項目紀伝体司馬遷

概要

この中国歴史書古代、著者は司馬遷

概ね伝説の時代とされる三皇五帝が1人黄帝から前漢武帝時代までを取り上げており、正史二十四史の第1に数えられる。また文章も優れているとされる。

特筆するべきは、その歴史の記述の仕方。

紀伝体と呼ばれる一つの個人や国の情報をまとめて紹介する手法を取っている。

これは何年に何々があったと言う形で歴史をまとめる編年体と呼ばれる手法とは違い、歴史の全体を把握するのは難しい代わりに、一つの国や個人を理解するのに適している形である。


具体的な内容

この書籍には( )末初の動乱、東周戦国七雄始皇帝による統一と秦帝国の崩壊動乱、呉楚七国の乱、武帝の匈奴遠征などの古代中国史初期における代表的イベントの殆どを網羅している。また特徴として儒教が隆盛する以前のものであるため、傀儡とされた皇帝に本紀を立てず、実際の支配者に本紀を立てる、また皇帝のみならず民間の人物や、もろもろのスキャンダルに関しても記述されている。

記述法

記述法としては紀伝体を特徴として代表的な個人や国家に焦点を当て、皇帝や王などの支配者の記述である本紀、諸侯に関する記述である世家、特に国に仕えた官僚の一生や周辺の異民族の風習などを記述した列伝、分野別の歴史である等に分かれ年表等の補足が附くスタイルをとっている。

そのほか

  • 本来この書籍には『太史公書』という名前が付けられていた
  • 紀伝体に関しては以降に編纂された中国大陸の中原国家の正史のみならず、東アジアの諸国家の歴史書に多大なる影響を与えたとされる
    • 正史二十四史はすべて紀伝体で記述され、日本国大日本史朝鮮三国史記高麗史台湾台湾通史などがあげられる
    • 個人国家に焦点が当てられるため個人や国家の行動などを追うことができ、事柄によっては多面的に考察することが容易であると言う利点がある
    • 内容事件などが関係した人数分複数回登場するため、歴史の一つの流れとして捉えるには面倒となることや、故事・伝承が記述されないなどの問題もある
  • 紀伝体とは逆に事柄を時系列的な一つの流れとした記述法を編年体といい、春秋資治通鑑などに用いられている
  • 文章の質に関してであるが、本人に文才があったのかそれとも元とした資料が名文であったのかは現代では不明となっている
  • 正史二十四史の次は後漢に班固、班昭らにより編纂された漢書( 前漢書 )、その次が南北朝時代范曄により編纂された後漢書である

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  •  昔,藺相如という男がいた…―――。
  • 二人の王子

    掌中之珠

    祝☆大型アップデート!なのに鬱話のヤンデレものを 書いているわたくし。いや、当初はヤンデレのつもり やったんですが…別に「病んでる」とか「壊れてる」とか 違う気がしてきました。まさに昨夜まで7周目をケヴィン 主人公で遊んでたんですが…あの子、「世界をめちゃめちゃ にした」から敵に切れてるんですよ。別に「人間の為」とか でなく。余りにタイムリーだったんで、アップしました。 でも、素直で良い子のケヴィンを好む方にはオススメ しません。キャラもゲーム中とは違ってますし。 ホークアイが酷い目に合いがちなのは、浅葱が彼の賢さを 大いに頼っているからです。俯瞰視してくれる頼れる兄貴や!   冒頭の童話っぽいのは『史記』の褒姒(ほうじ)と幽王の エピソードから。所謂「傾城の美女」ですね。勿論、道化師は 死を喰らうアイツで。「掌中の珠」は大切なものを喩える言葉です。 ほな、ノーフューチャってきますわwε≡≡ヘ( ´Д`)ノ       
  • 項羽の最期(妄想)

    こういった最期にはならなかったんだろうか…という妄想。手下したの韓信でごめん(え 将来を考えるとこういう終わり方は屈辱的なんだろうけど、個人的にはおいしいと思う。
  • 飛将軍李広の感嘆

    題名の読み:ひしょうぐんりこうのかんたん。『史記列伝』で語られている中国前漢時代の名将たる李広の驚異的な脱出行を基《もと》にした小説です。内容についてはほぼ資料そのままですが、独自の解説やこんな事が有ったとしてもおかしく無いのではみたいな話も入っております。とは云え、李広の行った戦いについてはだいたい史実そのままです。
  • 独白

     相変わらず大好きです。
  • カンペキ・フレンズ

    完璧という言葉の語源となった、「完璧而帰(璧をまっとうして帰る)」という故事を現代風にアレンジしました。...アレンジしすぎたかもしれません。
  • 暗い階 A

    くらいきざはし 「項羽と劉邦」で有名な、漢の高祖・劉邦の息子のお話。長く暗い階段……というお題を見たときに、「これだ!」と思いました。農民として一生を終えることが出来ていた方が幸せだったのだろうな、という気のするひとです。 ※イメージイラスト https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=69151567 の2枚目のイラストのイメージです。
  • 柳絮之邑

     周の古公亶父の子、太伯と虞仲の話。彼らは文王姫昌の伯父で、中原を出て荊蛮の地に呉を建国しました。昨年、江蘇省で古代の剣が発見されたというニュースを見て書いた小説。
  • 秦時明月同人

    [秦時明月同人]冬藏

    心得:      話說意興風流的青壯時期文很多,所以就來想想後世文吧(想當年看射鵰三部曲時對郭黃的結局有些遺憾,但如今再回看,確實人生如此才合歷史軌跡吧!      旁觀者能看到的不多,但有些片段,可以稍稍地用(≧∇≦)      至於「旁觀者」的對照年紀:      文帝13年(167B.C.):8歲-初見縱橫(〈秋收〉)      景帝前元二年155B.C.河間王受封。      約145B.C.得機緣開始抄書工作。      武帝開始拓建的上林苑:138B.C.      武帝建元四年,甲辰年年末(137B.C.=〈秋收〉後30年,再見,得書+看推算)      136B.C.年初年初母喪,      ~133      回歸後又隔年(=132)才再上山,已草木深埋無法入徑。後二年均有再試而未得深入山徑。      130B.C.河間王因武帝忌而自沉酒鄉病亡,追封獻王。門客四散,回老家。      之後見聞:      元光六年(前129年)到元狩四年(119B.C.)衛青等將數次出擊匈奴。      武帝重啟算緡制度(119B.C.);遇故人解讀所抄譜所謂的事件,開始推廣知識於家鄉。      元鼎二年(115B.C.)關東災荒      武帝封泰山、行均輸法(110B.C.)      元封五年,乙亥歲(106B.C.)將七十,可得授杖年紀。開始說書(?)
    14,255文字pixiv小説作品
  • 易水残歌(抄)

    七―宋子

    オリジナル小説『易水残歌』より抜粋。 おなじく先年発行した個人誌『夕陽紅』(https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=58634547)の元の部分です。 本来咸陽宮の幽霊譚とこの部分だけ漫画に起こしたくてプロット書き始めたら、9年かけて300p超のなにかが魔錬成された…のが本誌であったり。 『夕陽紅』のみお持ちの方は、そちら版と併せてお楽しみいただければ幸いです。
    12,892文字pixiv小説作品
  • 秦時明月同人

    [秦時明月同人]夏耘

    來點歷史 夏耘-時間:189 (190)。B.C. 曹參去世、陳平任左丞相=186B.C. 張良薨以「留侯」論=張良去世前三年。 荊天明約為35歲=20歲成婚,已有兩小孩-春耕時為22歲=201B.C. 後13年。)
 p.s.180B.C.呂后薨(195B.C.於高祖崩前問過丞相職:蕭何193B.C.、曹參189B.C.之後者為: 、王陵+陳平,周勃太尉; 196B.C.殺彭越而醢;章邯:205B.C. 漢軍俘自刎)
    21,249文字pixiv小説作品
  • 北天曲(抄)

    【史記】北天曲 1【刺客】

    『易水残歌』と別バージョン。高さんが年下版・荊軻刺秦の物語。 絵を描いたついでに、出会いの場面だけカッとなって打った。後悔はしないが、続くかは判らないorz ※追記:続きました→http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=45428249 年齢設定としては、出会い時点で荊軻30代後半~40代。 高さん20代前半。孤児で小さい頃は塞外の遊牧民に育てられた過去持ち。 両者で干支がひとまわりくらい違うイメージ。 そして高漸離がとにかくツンです。気位高い子です。(ついでに喧嘩っ早い) そんな子が、言うまでもなく流れ者おっさんの天然人たらしオーラに当てられて、デレるんだぜ。お約束なんだぜ(笑)。 どれくらいデレるかっていうと、秦王暗殺命令打ち明けられて、 「おれもう生きて還って来られないから」 といわれて、 「じゃあおれも一緒に行って、死んでやる」 と躊躇なく宣言しちゃうくらいにはデレるわけだ。そりゃあもう徹底的に。 (いやそれ「デレる」っていうのかというツッコミはさておき) むしろ親友の血気はやりっぷりに、荊軻の方がオタオタする展開。だって燕趙悲歌慷慨の風土。 鬱ホラーだった前作とは全く別の設定で、こういう感じの易水故事、いつかまとめて書きたいとです。ライフワークです。ウス。
  • 傍若無人

     ご存じ四字熟語『傍若無人』を自己解釈でまとめます。基底にカオスな設定がありますが楽しんでもらえると幸いです。
  • 鳥取帝国

    山陰の帝国

    かつて今の鳥取県にあった国についての史記です。 フィクションですので本当にはありません、ちなみにdisりではありません、決して。
  • 易水残歌(抄)

    六―易水送別

    某ソシャゲで陛下出たよ記念(かもしれない)。 北天曲の続きでも書けばいいところだけど、色々余裕ないため過去に書いたオリジナル小説『易水残歌』の抜粋でお茶を濁すこころみ( ゚﹃゚) 改行など増やしましたが、WEB向け文章でないためかなり読みにくいかもしれません。いや読みにくいです… ▼オリジナル登場人物: (関係性知らなくてもまぁ本文理解には問題ありません) ・閭嵬(仲嵆):田光門下の剣士。荊軻にとっては兄弟子。故あって一方的に犬猿の仲。楚から亡命、本姓は韓。 ・魏不暮(景徳):荊軻の舅。燕の下級役人。 ・索求:魏不暮の甥。墨家の書生。ぶっちゃけ未来の死の商人。 ・李成:荊軻たちの飲み仲間。屠狗(肉屋)
    12,411文字pixiv小説作品

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史記は司馬遷により編纂された中国の歴史書。

概要

この中国歴史書古代、著者は司馬遷

概ね伝説の時代とされる三皇五帝が1人黄帝から前漢武帝時代までを取り上げており、正史二十四史の第1に数えられる。また文章も優れているとされる。

特筆するべきは、その歴史の記述の仕方。

紀伝体と呼ばれる一つの個人や国の情報をまとめて紹介する手法を取っている。

これは何年に何々があったと言う形で歴史をまとめる編年体と呼ばれる手法とは違い、歴史の全体を把握するのは難しい代わりに、一つの国や個人を理解するのに適している形である。


具体的な内容

この書籍には( )末初の動乱、東周戦国七雄始皇帝による統一と秦帝国の崩壊動乱、呉楚七国の乱、武帝の匈奴遠征などの古代中国史初期における代表的イベントの殆どを網羅している。また特徴として儒教が隆盛する以前のものであるため、傀儡とされた皇帝に本紀を立てず、実際の支配者に本紀を立てる、また皇帝のみならず民間の人物や、もろもろのスキャンダルに関しても記述されている。

記述法

記述法としては紀伝体を特徴として代表的な個人や国家に焦点を当て、皇帝や王などの支配者の記述である本紀、諸侯に関する記述である世家、特に国に仕えた官僚の一生や周辺の異民族の風習などを記述した列伝、分野別の歴史である等に分かれ年表等の補足が附くスタイルをとっている。

そのほか

  • 本来この書籍には『太史公書』という名前が付けられていた
  • 紀伝体に関しては以降に編纂された中国大陸の中原国家の正史のみならず、東アジアの諸国家の歴史書に多大なる影響を与えたとされる
    • 正史二十四史はすべて紀伝体で記述され、日本国大日本史朝鮮三国史記高麗史台湾台湾通史などがあげられる
    • 個人国家に焦点が当てられるため個人や国家の行動などを追うことができ、事柄によっては多面的に考察することが容易であると言う利点がある
    • 内容事件などが関係した人数分複数回登場するため、歴史の一つの流れとして捉えるには面倒となることや、故事・伝承が記述されないなどの問題もある
  • 紀伝体とは逆に事柄を時系列的な一つの流れとした記述法を編年体といい、春秋資治通鑑などに用いられている
  • 文章の質に関してであるが、本人に文才があったのかそれとも元とした資料が名文であったのかは現代では不明となっている
  • 正史二十四史の次は後漢に班固、班昭らにより編纂された漢書( 前漢書 )、その次が南北朝時代范曄により編纂された後漢書である

関連イラスト

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春秋 戦国 戦国時代

項羽 劉邦 張良 荊軻

参照

wikipedia:同項目紀伝体司馬遷

概要

この中国歴史書古代、著者は司馬遷

概ね伝説の時代とされる三皇五帝が1人黄帝から前漢武帝時代までを取り上げており、正史二十四史の第1に数えられる。また文章も優れているとされる。

特筆するべきは、その歴史の記述の仕方。

紀伝体と呼ばれる一つの個人や国の情報をまとめて紹介する手法を取っている。

これは何年に何々があったと言う形で歴史をまとめる編年体と呼ばれる手法とは違い、歴史の全体を把握するのは難しい代わりに、一つの国や個人を理解するのに適している形である。


具体的な内容

この書籍には( )末初の動乱、東周戦国七雄始皇帝による統一と秦帝国の崩壊動乱、呉楚七国の乱、武帝の匈奴遠征などの古代中国史初期における代表的イベントの殆どを網羅している。また特徴として儒教が隆盛する以前のものであるため、傀儡とされた皇帝に本紀を立てず、実際の支配者に本紀を立てる、また皇帝のみならず民間の人物や、もろもろのスキャンダルに関しても記述されている。

記述法

記述法としては紀伝体を特徴として代表的な個人や国家に焦点を当て、皇帝や王などの支配者の記述である本紀、諸侯に関する記述である世家、特に国に仕えた官僚の一生や周辺の異民族の風習などを記述した列伝、分野別の歴史である等に分かれ年表等の補足が附くスタイルをとっている。

そのほか

  • 本来この書籍には『太史公書』という名前が付けられていた
  • 紀伝体に関しては以降に編纂された中国大陸の中原国家の正史のみならず、東アジアの諸国家の歴史書に多大なる影響を与えたとされる
    • 正史二十四史はすべて紀伝体で記述され、日本国大日本史朝鮮三国史記高麗史台湾台湾通史などがあげられる
    • 個人国家に焦点が当てられるため個人や国家の行動などを追うことができ、事柄によっては多面的に考察することが容易であると言う利点がある
    • 内容事件などが関係した人数分複数回登場するため、歴史の一つの流れとして捉えるには面倒となることや、故事・伝承が記述されないなどの問題もある
  • 紀伝体とは逆に事柄を時系列的な一つの流れとした記述法を編年体といい、春秋資治通鑑などに用いられている
  • 文章の質に関してであるが、本人に文才があったのかそれとも元とした資料が名文であったのかは現代では不明となっている
  • 正史二十四史の次は後漢に班固、班昭らにより編纂された漢書( 前漢書 )、その次が南北朝時代范曄により編纂された後漢書である

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  •  昔,藺相如という男がいた…―――。
  • 二人の王子

    掌中之珠

    祝☆大型アップデート!なのに鬱話のヤンデレものを 書いているわたくし。いや、当初はヤンデレのつもり やったんですが…別に「病んでる」とか「壊れてる」とか 違う気がしてきました。まさに昨夜まで7周目をケヴィン 主人公で遊んでたんですが…あの子、「世界をめちゃめちゃ にした」から敵に切れてるんですよ。別に「人間の為」とか でなく。余りにタイムリーだったんで、アップしました。 でも、素直で良い子のケヴィンを好む方にはオススメ しません。キャラもゲーム中とは違ってますし。 ホークアイが酷い目に合いがちなのは、浅葱が彼の賢さを 大いに頼っているからです。俯瞰視してくれる頼れる兄貴や!   冒頭の童話っぽいのは『史記』の褒姒(ほうじ)と幽王の エピソードから。所謂「傾城の美女」ですね。勿論、道化師は 死を喰らうアイツで。「掌中の珠」は大切なものを喩える言葉です。 ほな、ノーフューチャってきますわwε≡≡ヘ( ´Д`)ノ       
  • 項羽の最期(妄想)

    こういった最期にはならなかったんだろうか…という妄想。手下したの韓信でごめん(え 将来を考えるとこういう終わり方は屈辱的なんだろうけど、個人的にはおいしいと思う。
  • 飛将軍李広の感嘆

    題名の読み:ひしょうぐんりこうのかんたん。『史記列伝』で語られている中国前漢時代の名将たる李広の驚異的な脱出行を基《もと》にした小説です。内容についてはほぼ資料そのままですが、独自の解説やこんな事が有ったとしてもおかしく無いのではみたいな話も入っております。とは云え、李広の行った戦いについてはだいたい史実そのままです。
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     相変わらず大好きです。
  • カンペキ・フレンズ

    完璧という言葉の語源となった、「完璧而帰(璧をまっとうして帰る)」という故事を現代風にアレンジしました。...アレンジしすぎたかもしれません。
  • 暗い階 A

    くらいきざはし 「項羽と劉邦」で有名な、漢の高祖・劉邦の息子のお話。長く暗い階段……というお題を見たときに、「これだ!」と思いました。農民として一生を終えることが出来ていた方が幸せだったのだろうな、という気のするひとです。 ※イメージイラスト https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=69151567 の2枚目のイラストのイメージです。
  • 柳絮之邑

     周の古公亶父の子、太伯と虞仲の話。彼らは文王姫昌の伯父で、中原を出て荊蛮の地に呉を建国しました。昨年、江蘇省で古代の剣が発見されたというニュースを見て書いた小説。
  • 秦時明月同人

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    心得:      話說意興風流的青壯時期文很多,所以就來想想後世文吧(想當年看射鵰三部曲時對郭黃的結局有些遺憾,但如今再回看,確實人生如此才合歷史軌跡吧!      旁觀者能看到的不多,但有些片段,可以稍稍地用(≧∇≦)      至於「旁觀者」的對照年紀:      文帝13年(167B.C.):8歲-初見縱橫(〈秋收〉)      景帝前元二年155B.C.河間王受封。      約145B.C.得機緣開始抄書工作。      武帝開始拓建的上林苑:138B.C.      武帝建元四年,甲辰年年末(137B.C.=〈秋收〉後30年,再見,得書+看推算)      136B.C.年初年初母喪,      ~133      回歸後又隔年(=132)才再上山,已草木深埋無法入徑。後二年均有再試而未得深入山徑。      130B.C.河間王因武帝忌而自沉酒鄉病亡,追封獻王。門客四散,回老家。      之後見聞:      元光六年(前129年)到元狩四年(119B.C.)衛青等將數次出擊匈奴。      武帝重啟算緡制度(119B.C.);遇故人解讀所抄譜所謂的事件,開始推廣知識於家鄉。      元鼎二年(115B.C.)關東災荒      武帝封泰山、行均輸法(110B.C.)      元封五年,乙亥歲(106B.C.)將七十,可得授杖年紀。開始說書(?)
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  • 易水残歌(抄)

    七―宋子

    オリジナル小説『易水残歌』より抜粋。 おなじく先年発行した個人誌『夕陽紅』(https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=58634547)の元の部分です。 本来咸陽宮の幽霊譚とこの部分だけ漫画に起こしたくてプロット書き始めたら、9年かけて300p超のなにかが魔錬成された…のが本誌であったり。 『夕陽紅』のみお持ちの方は、そちら版と併せてお楽しみいただければ幸いです。
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  • 秦時明月同人

    [秦時明月同人]夏耘

    來點歷史 夏耘-時間:189 (190)。B.C. 曹參去世、陳平任左丞相=186B.C. 張良薨以「留侯」論=張良去世前三年。 荊天明約為35歲=20歲成婚,已有兩小孩-春耕時為22歲=201B.C. 後13年。)
 p.s.180B.C.呂后薨(195B.C.於高祖崩前問過丞相職:蕭何193B.C.、曹參189B.C.之後者為: 、王陵+陳平,周勃太尉; 196B.C.殺彭越而醢;章邯:205B.C. 漢軍俘自刎)
    21,249文字pixiv小説作品
  • 北天曲(抄)

    【史記】北天曲 1【刺客】

    『易水残歌』と別バージョン。高さんが年下版・荊軻刺秦の物語。 絵を描いたついでに、出会いの場面だけカッとなって打った。後悔はしないが、続くかは判らないorz ※追記:続きました→http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=45428249 年齢設定としては、出会い時点で荊軻30代後半~40代。 高さん20代前半。孤児で小さい頃は塞外の遊牧民に育てられた過去持ち。 両者で干支がひとまわりくらい違うイメージ。 そして高漸離がとにかくツンです。気位高い子です。(ついでに喧嘩っ早い) そんな子が、言うまでもなく流れ者おっさんの天然人たらしオーラに当てられて、デレるんだぜ。お約束なんだぜ(笑)。 どれくらいデレるかっていうと、秦王暗殺命令打ち明けられて、 「おれもう生きて還って来られないから」 といわれて、 「じゃあおれも一緒に行って、死んでやる」 と躊躇なく宣言しちゃうくらいにはデレるわけだ。そりゃあもう徹底的に。 (いやそれ「デレる」っていうのかというツッコミはさておき) むしろ親友の血気はやりっぷりに、荊軻の方がオタオタする展開。だって燕趙悲歌慷慨の風土。 鬱ホラーだった前作とは全く別の設定で、こういう感じの易水故事、いつかまとめて書きたいとです。ライフワークです。ウス。
  • 傍若無人

     ご存じ四字熟語『傍若無人』を自己解釈でまとめます。基底にカオスな設定がありますが楽しんでもらえると幸いです。
  • 鳥取帝国

    山陰の帝国

    かつて今の鳥取県にあった国についての史記です。 フィクションですので本当にはありません、ちなみにdisりではありません、決して。
  • 易水残歌(抄)

    六―易水送別

    某ソシャゲで陛下出たよ記念(かもしれない)。 北天曲の続きでも書けばいいところだけど、色々余裕ないため過去に書いたオリジナル小説『易水残歌』の抜粋でお茶を濁すこころみ( ゚﹃゚) 改行など増やしましたが、WEB向け文章でないためかなり読みにくいかもしれません。いや読みにくいです… ▼オリジナル登場人物: (関係性知らなくてもまぁ本文理解には問題ありません) ・閭嵬(仲嵆):田光門下の剣士。荊軻にとっては兄弟子。故あって一方的に犬猿の仲。楚から亡命、本姓は韓。 ・魏不暮(景徳):荊軻の舅。燕の下級役人。 ・索求:魏不暮の甥。墨家の書生。ぶっちゃけ未来の死の商人。 ・李成:荊軻たちの飲み仲間。屠狗(肉屋)
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