概要
天保6年5月5日(1835年5月31日) 武蔵国多摩郡石田村生まれ(誕生日は縁者の子孫に言い伝えとして語り継がれているのみで、確かな史料に基づくものではない)。
「御大尽」と呼ばれる豪農の家に生まれ、10人兄弟の末っ子であった。
父隼人は歳三の生まれる3ヶ月前に結核で亡くなり、母恵津も結核で歳三が6歳の時に亡くなる。その後は次兄夫婦に育てられた(長兄は失明していたため家を継げなかった)。
11歳で商家に奉公に出るがすぐにトラブルを起こし追い返された、とされることが多いが、人別帳によると奉公に出たのは14歳から24歳の時。追い返されたのは17歳の時とする説もあるが実際のところは不明。
その後土方は実家に伝わる「石田散薬」の行商を手伝いながら、義兄佐藤彦五郎の道場で天然理心流剣術を学ぶ。やがて天然理心流宗家の近藤勇と出会い、試衛館に出入りするようになった。
近藤らとともに浪士組に参加し上洛。芹沢鴨の一党らとともに京に残り、会津藩の御預りとして壬生浪士組(後の新撰組)を結成。土方は副長に就き、局長の近藤を支えた。
筆頭局長芹沢鴨とその一党の排除、副長山南敬助の切腹により、新撰組は近藤・土方をトップとして組織を盤石にしていく。
しかし維新の流れは幕府に味方せず、鳥羽伏見の戦いに敗れて以降は江戸に落ちのびる。新撰組は勝海舟の指示で甲陽鎮撫隊と名を変え甲府を抑えに向かうが、一足早く甲府城は新政府軍に占拠されており、土方が援軍要請のために江戸に戻る最中に甲陽鎮撫隊は敗走した。
その後近藤、土方らは流山に結集し再起を図るが、新政府軍に包囲される。近藤は偽名で投降し事態の打開を図るも怪しまれ投獄される。土方は勝海舟らに近藤釈放を嘆願するが聞き届けられず、近藤は処刑された。
土方はその後も新撰組や幕府軍残党部隊を率いて江戸から宇都宮、会津を転戦し、榎本武揚率いる脱走艦隊に合流。蝦夷地に渡り新政府軍や松前藩軍から箱館五稜郭を奪い、箱館政庁の陸軍奉行並に就任する。
明治2年3月、劣勢となっていた制海権を取り戻すため、新政府軍の甲鉄艦にアボルダージュ(接弦攻撃)を仕掛けるが失敗(宮古湾海戦)。
4月には蝦夷に上陸した新政府軍を二股口で迎え撃ち、二週間に渡り進撃を阻止する。しかし松前口が突破されると、孤立を恐れ已む無く五稜郭に引き上げた。
5月11日、箱館総攻撃が開始されると、孤立した島田魁ら新選組が守備する弁天台場を救うため出撃。一本木関門で壮絶な戦死を遂げた。享年35(数え)。
箱館戦争の頃は、ほとんど新撰組を直接に指揮しておらず(前述のように陸軍奉行並の幹部だったので)、新撰組における最終階級も副長のままだったが、彼の戦死をもって新撰組は事実上終了したと認識されている(その後も僅かに敗戦処理に近い形で残っていた)。
人物
現在においては「鬼の副長」のイメージが根強い土方だが、故郷多摩には甥っ子たちの面倒をよく見る気さくな人物と伝わっている。
写真に残る姿は現在の基準から言ってもかなりの美男であり、生前もかなり女性にもてており、故郷に送った手紙でそれを自慢する一面も見せている。
しかし特定の女性との関係性を示す話は少なく、生涯妻を娶ることはなく、他の多くの新撰組幹部のように妾を囲うこともなかった。
また「豊玉」の号で俳句を嗜む一面を見せているが、こちらはそれほどの才能は見せなかったようだ。
たくあんが大好物で、親戚の家で食べたたくあんを気に入り、樽ごと貰って担いで帰ったという逸話が残っている。
愛刀
和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)、堀川国広(ほりかわくにひろ)
大和守源秀国(やまとのかみみなもとのひでくに)、葵御紋康継(あおいごもんやすつぐ)
兼定【茶石地】(かねさだ【ちゃいしじ】)
歴史的評価、人気
新撰組が京都の治安を守る警備組織であったにも関わらず、薩摩・長州などの有望な志士たちを多く殺害・捕縛したために明治維新の後は幕府の過激派と見られるようになり、新撰組は長らく悪役であった。
その後新選組が評価され始めた頃も、局長の近藤を立てるため、粛清や拷問といった暗部を土方個人に押し付ける形になり、所謂「鬼の副長」のイメージが定着するようになる。
だが、司馬遼太郎の「燃えよ剣」ではそのイメージを逆手に取り、厳しくも美学を貫き剣に生きるかっこいい土方像が描かれ、現代では幕末明治の人物中でも一、二を争う人気者となった。
この人気の上昇により、生家も土方歳三資料館を開館。愛刀や鎖帷子、家伝の石田散薬など、ゆかりの品々の展示を行っているが、俳句の発句帳まで展示した挙句、それをブックカバーとして販売するなど、黒歴史ノートの開帳にも等しい仕打ちを行っている。
NHK大河ドラマ「新選組!」は最終回、主人公である近藤の処刑によって幕を閉じるが、土方の最期も描いてほしいという視聴者の要望が殺到した為、本編終了の約1年後、スペシャル版として「新選組!! 土方歳三 最期の一日」が放映されている。更に大河及びスペシャル版で土方を演じた山本耕史が連続テレビ小説『あさが来た』第3週目(10月12日~)は新撰組参上!」にて再び土方役として出演した。
「新政府軍=新しい正義、旧徳川幕府=古臭い悪」という図式で、刀を振り回す古臭い武士が新政府軍に敗れたイメージから、新撰組は古臭い代名詞ともされかねないが、実際土方は鳥羽・伏見の戦いなどの流れで、刀や火縄銃でなく、これからは洋式鉄砲の時代であることを正確に認識しており、勝てるのであれば例え敵の技術であっても積極的に取り入れる徹底した合理主義者であった。
宇都宮の戦い以降などの指揮では新撰組のダンダラ羽織でなく、洋式軍服をまとい(現在でも写真に残っているそれである)、近代的軍事指揮官として箱館戦争において、二股口を守り、新政府軍相手に戦術的には負けなかったことからも、前線での戦闘指揮に関しては何をやらせても天賦の才を発揮したと言える。
この時の様子を司馬遼太郎の「燃えよ剣」では「薩長は天下を取ったが二股は取れぬ」と言わしめたもので、実際そう言ったという記録はないが、それに近い戦果を挙げていたのは事実である。
しかし彼一人では戦局全体を変えることは出来ず、他戦域の味方が後退したことから、二股口を不敗のまま明け渡すことになった。
最後は敵中に孤立した味方を救うべく無謀とも言える出撃をし、銃弾を浴びて死亡。
土方はかねてから「新政府に投降したら、死んだ近藤に申し訳が立たない」と度々発言しており、いわゆる「死に場所」を求めていたのは周知の事実であった。
創作作品での土方歳三
和装で登場する場合は総髪、洋装で登場する場合は断髪し、唯一残っている写真で確認できる旧幕府軍のフロックコート型軍服や15個ボタンのベストを模した衣装を着ているものが多い。実際どうだったかは不明だが、下戸設定になっているものが多い。
新選組!
薄桜鬼
左は新選組の羽織を着た姿、右は洋装時の姿
メイン攻略キャラクター。新選組鬼の副長。
ドリフターズ
異世界に召喚された廃棄物(エンズ)の一人。箱館戦争での洋装姿で登場。過去の経緯で薩長を憎んでおり、薩摩出身の漂流物(ドリフターズ)の島津豊久と敵対する。
ゴールデンカムイ
明治後期の北海道が舞台。箱館戦争を生き延びており、政治犯として網走監獄に収監後、脱獄した白髪の老人。北海道の独立──蝦夷共和国建国を目論む。
Fate/GrandOrder
期間限定イベント「ぐだぐだ明治維新」に登場。
幕末Rock
ラヴヘブン
乙女ゲームパズルの攻略キャラクター。初期レアリティはSR。