曖昧さ回避
・アメリカ合衆国のシェルビー・エレクトリックが発売していた電球及び真空管の商標。ともにスペルはゾロアスター教の最高神にして光の神であるアフラ・マズダーから取っている。買収に伴い商標権は同じくアメリカのGEに移行し、日本では長らく東芝が製造権を持っていた。
・1984年までは東洋工業という車名であった自動車メーカー、「マツダ株式会社」および同社のブランド「MAZDA」。本記事では主にこちらについて解説する。
マツダ株式会社
府中町は広島市に周囲を囲まれており、広島市街地と一体化しているため、広島市が本拠と言われることもある。それぞれ広島を本拠とする、プロ野球・広島東洋カープとJリーグ・サンフレッチェ広島の親会社。ただし、カープに関してはその経緯から大口スポンサーとしての立ち位置が強く、経営介入はほとんどしていない(創業家で、現在は広島県内のマツダディーラーや広島エフエムの経営を行う松田家が受け持っている)。
現在のキャッチコピーは"Be a driver."(2013年より)。一時期は"ZOOM-ZOOM"(2002年より。日本における「ブーブー(=自動車の幼児語)」の意味)でも知られていたが、高級路線に進んでからは用いられなくなった。
1920年に「東洋コルク工業株式会社」として創業されるが、松田重次郎が二代目社長として就任後の1927年、「東洋工業株式会社」へ改称しオート三輪トラック製造へ進出。この分野でダイハツと共に名を馳せ、1974年まで生産を行っていた。かつては自動車製造用の工作機械を自社開発していたことが大きな特徴だったが、1989年に工作機械部門は子会社のトーヨーエイテックとして独立した。1984年には現行社名「マツダ株式会社」に改称。現路線の実質的な創業者である松田の姓に基づくブランド名『MAZDA』に合わせると共に、先述の電球同様アフラ・マズダーを文明のシンボルとして捉え、自動車産業の光明となるという意味が込められているという。
バブル期には年間販売台数100万台を目指しマツダ、ユーノス、アンフィニ、オートザム、オートラマからなる「5チャンネル体制」のディーラーを展開、あまりにも積極的な販売戦略に先行きを危惧されたが、果たして経営資源の限られるマツダでは「車名の違う似たような車をチャンネル毎に乱立させる」という結果となり(「クロノスの悲劇」)、キャロルだけが売れていたオートザム、ロードスターのみが気を吐いたユーノスを筆頭に軒並み不振に陥り、バブル崩壊後、オートラマはフォード店に移行、残りは元のマツダ店に統一統合された。
1970年代末にはオイルショックなどの影響もあり、アメリカのフォード・モーターに発行済み分の25%の株式を買収され傘下入り。バブル崩壊後の経営悪化時には33%にまで引き上げられ、経営権を掌握される。プラットフォームの共同開発・共有化を推進していたが、今度はリーマンショックの影響でフォード側の経営が悪化、徐々に資本比率を減らし2015年には完全に独立した。資本関係は消滅したものの、引き続き中国やタイにおいては生産合弁事業を展開するパートナーではある。
他方近年はトヨタと株を持ち合って提携しており、ハイブリッドシステムの供与、EV開発の合弁会社やアメリカ工場の共同設立、相互に車種のOEMをするなど、グループ傘下にこそ入ってないものの関係を大きく強化している。
ブランドとしての特徴
エンジン開発において高い技術力を持ち、特にロータリーエンジンで有名。近年はディーゼルエンジンを含むレシプロエンジンの改良に重点を置いており、スポーティな車作りでヨーロッパ市場での評価が高い。
かつては中古車の値崩れが激しく、一度新車を買うと他社のディーラーでは下取りが激安なため、次もマツダ車を買うしかないという「マツダ地獄」で有名だった。またトヨタ車などと比較して内装の安っぽさなども指摘されていた。しかし2010年代以降はそうした弱点の改善に力を入れ、現在の内外装は高級車ブランドにも引けをとらないレベルにまで達しているとすこぶる評判が良い。そのため値崩れも大幅に改善され、「マツダ地獄」は完全に過去のものとなっている。一方で値引きが吝くなったことに不満を言う消費者もいる。
現在は登録車の乗用車専業。かつてはトラック(タイタン)・マイクロバス(パークウェイ)などのラインアップを擁し商用車市場にも積極的に打って出ていたが、順次トヨタOEMに切り替えるなどし、ボンゴバンを最後に自社生産を取りやめた。軽自動車もかつては自社生産していたものの、バブル期を前後してスズキからのOEM、あるいは同社の既存車種をベースとしたものとなっている。
ロータリーエンジン
マツダと言えばロータリーエンジン(以下RE)の存在なくて語れないだろう。ピストンの代わりとしてローターを用いるエンジンで、ドイツの技術者フェリクス・ヴァンケルが発明したエンジンである。このエンジンの特徴としては小型でありながら高出力を誇り、燃料を選ばないものの、低速時燃費が芳しくない、オイルが混じったり不完全燃焼したりで排気がクリーンではないなどの欠点も多い。
このエンジンがマツダが権利取得したのちの初期設計は山本健一氏(のちの社長)をはじめとする47人で行われた(そのため、ロータリー四十七士と呼ばれたといわれている)。REの基礎設計はドイツ・NSU社(その後、フォルクスワーゲン傘下、アウディと合併)などから導入したものであるが、実際に渡されたエンジンは実際には自動車の部品として使えるようなものではなかった。開発されたREは初代コスモ・スポーツに搭載された10Aから2012年6月まで販売されたRX-8の13B-MSPにいたるまで、ルーチェ・ロータリークーペに搭載された13Aを唯一の例外として基礎設計はほとんど変わっておらず、多少の改造は必要なものの、積み木状に連結することができるのもREの特徴である。(ワンローターの6.5B、12Aのハウジングを使用した24Aなどが存在する) 幾度もの排ガス規制を生き残ってきたが、2012年のRX-8の生産終了を持ってついにマツダのラインナップからは消滅した。そのため普通のガソリンエンジン車としては生き残るのは難しいと考えられており、マツダでも電動と組み合わせての復活が模索されている。具体的にはレシプロエンジンと比較して水素との相性も良いことから、水素REの研究開発も進められている(13B-RENESIS水素ロータリー)。また、新世代REとして発表された16Xや、コンセプトモデルである風籟(ふうらい)に搭載されたバイオエタノール(化石燃料以外の生物由来のエタノール)を燃料とするR20Bなどもある。最近メディアで騒がれているのは、シリーズ式ハイブリッド(エンジンを発電機としてのみ用いるハイブリッドカー、日産のe-powerが例)のレンジエクステンダーとしての開発研究だが、いずれも市販化には至っていない。
SKYACTIV
2010年に発表された、マツダの技術群の総称。現代の自動車業界では一般的になったプラットフォームのモジュール化により、大幅なコスト削減と品質向上を可能とした。一般的には以下のパワートレイン技術で知られる。
SKYACTIV-D
日本国内で唯一ディーゼルエンジンのコンパクトカーを販売するメーカーである(欧州だとトヨタのヤリスにディーゼルがあった)。低圧縮比を実現することにより、北米の厳しい排ガス基準を通過した数少ない会社となった。通常のディーゼルと違い触媒や尿素SCRを用いず、DPF再生により煤を焼くのも特徴である。
SKYACTIV-X
ディーゼルの自然発火の発想をガソリンも応用し、スパークプラグを使用しないのがSKYACTIV-Xである。4代目MAZDA3で実用化・量産化に成功し、世界を驚かせた。ただしスーパーチャージャーとマイルドハイブリッドを組み合わせてやっと売り出せたということ、ガソリン車に対して大幅に値段が高い(日本では+80万円)こと、大して燃費が良くない割にハイオク推奨であることなど課題はまだ多い。
SKYACTIV-G
ディーゼルの影に隠れがちだが、ガソリンエンジンも低圧縮比とミラーサイクルの組み合わせで低燃費と気持ちの良い加速の両立を実現しており、評価が高い。
SKYACTIV-HYBRID
トヨタ・プリウスのハイブリッドシステム『THS-Ⅱ』のライセンス供給を受け、独自にチューニングを施したもので、3代目アクセラ(国内仕様)のみ販売。評判自体は悪くなかったものの、ストロングハイブリッド自体がマツダユーザーの嗜好に合わなかったらしく、ほとんど売れず消滅。
デザイン
2000年代以降、欧州テイストのグラマラスなデザインに傾倒(バブル期のユーノスブランドからその傾向があったが)。特にSKYACTIV発表以降、『魂動』と呼ばれるロングノーズの統一デザインを採用し、全ての車種のデザインを意図的に揃えている。近年は他の日本車メーカー(スズキ除く)も共通グリルを採用するなどしてデザインの統一感を持たせる傾向があるが、ここまで徹底的にデザインを統一するメーカーは他にない。
デザインの完成度自体は高く、細部の質感も高い。2020年にはMAZDA3がワールドカーデザインオブザイヤーを受賞する快挙を達成するなど評価は高いが、あまりにも統一感のあるデザインなので、車種ごとの個性が薄れたとして嫌う向きもある。また外見を重視するあまり、見切り・取り回しが犠牲になっている面もある。
内装にも力を入れており、カラーヘッドアップディスプレイやディスプレイオーディオといった新奇なインターフェイスを積極的に採用している。外装以上に質感向上が著しく、スイッチやパネルの触感にもこだわっている。日本車においてこの分野は長年トヨタのお家芸であったが、MAZDA3やCX-30の内装はレクサスにも引けを取らないとして絶賛されている。
『人馬一体』
1989年以来生産しているロードスターにおける「人馬一体」のキーワードは初代から引き継がれ、デザインや走りにおいては欧州でオープンカーブームの火付け役となった。4代目NDは、その歴史と更に磨かれた美しさにより、世界カーオブザイヤーと世界カーデザインオブザイヤーの2冠に輝くという快挙を果たした。
「人馬一体」は他のマツダ車でも掲げられており、RX-8のようなスポーツカーを作れなくなった今でもマツダにスポーティーなイメージを根付かせている。
その思想から、アクセル・ブレーキはオルガン式ペダルを採用している。ブレーキの効きは欧州車のようにしっとりと効く、いわゆる「カックンブレーキ」ではないタイプだが、一般的な日本車と効き方が違うので「ブレーキが全然効かない!」と不安になる人もいる。
モータースポーツ
トヨタや日産同様、ラリーと耐久レースを中心に参戦する。
WRCでは1987年にファミリアで、グループA規定下での日本車初の総合優勝を記録し、その後も合わせて3勝をマークした。
ル・マン24時間ではグループC規定下で、1991年に787Bが日本車として初、ロータリーエンジン車としては空前絶後の総合優勝により、伝説となっている。
しかし1993年をもってバブル崩壊による業績悪化からどちらからも撤退し、それ以降はワークス参戦と呼べる活動は行っていない。
2020年現在は北米法人がIMSA(アメリカのスポーツカーレース)に参戦する程度である。
主な車種
軽自動車
(現在はスズキのOEM)
キャロル(過去に同名で自社設計の車を製造していた)
〜1500cc
サバンナ(通称および海外での名称はRX-3。また、RX-7の前身でもある)
RX-7(一見少ないと見えるが実際は654ccを2機搭載されている)
RX-8(RX-7と同様)
1500〜2000cc
CX-4(中国市場専用モデルでCX-5の4ドアクーペに相当するモデル)
2000cc以上
CX-8(CX-9を日本市場にコンパクト化されたモデルで後に中国市場にも投入された)