概要
権力のある高い地位の女性をそのように例えたり、国王の地位である「女王」であっても権勢が強ければ、そのように称したりもする。
タロットカードの「女帝」は「エンプレス(empress)」と呼ばれる。
史実
世界
- 武則天/即天武后(中国の唐→武周朝:皇后として権勢を振るいつつ、最終的に中国史唯一の正式な女帝に即位)
- 西太后(中国の清:清朝末期に権勢を振るった皇太后。正式な皇帝である甥の光緒帝さえ支配下に置いた)
- テオドラ皇后(東ローマ帝国ユスティニアヌス朝:実際に帝位に即位していないが、ニカの反乱で亡命しようとした夫ユスティニアヌス1世らを止めたり、権勢をふるったりしたことで後世「女帝」と呼ばれ、実際に即位して女帝となった東ローマ帝国の女帝達よりも有名)
- マリア・テレジア(オーストリア=ハプスブルク家:神聖ローマ帝国皇后。彼女も正式には帝位に就いていない。オーストリア大公など、皇帝以外の君主号は多数有していた)
- エカチェリーナ2世(ロマノフ朝ロシア帝国:夫を廃位して帝位に就く。ちなみに、ロシア史上最初の女帝としてエカチェリーナ1世がいるが、2世の方が有名)
- ヴィクトリア女王(イギリス:在位中にインド帝国が成立、英国王がその皇帝を兼務した。そもそも、イギリスが広大な植民地帝国を築いていたことも影響しているかも)
日本
皇位につくべき皇太子が幼少のため、つなぎとして天皇・皇族の未亡人か未婚の内親王が皇位に就いたという見方もあるが、そのような立場の男帝も存在しており(天皇の孫が老成するまでの間皇位についた安閑・宣化天皇や東山天皇の成人を待った後西天皇など)、江戸時代の二人の女帝はともかく奈良時代の天皇は中継ぎであろうと年齢や政治的な実力を求められていたし、孝謙天皇に至っては皇太子として直々に指名している。
特に天皇だった者が皇位に就く重祚は日本では女帝二人しか例がなく、記紀のトリも女帝であるなど決して軽んじられる立場にあったとはいえない。
しかし、未婚で皇位に就いた内親王は、退位後も生涯を未婚のままで終わることとなった。
代 | 天皇名 | 読み | 在位期間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
第33代 | 推古天皇 | すいこ | 592年~628年 | 第30代・敏達天皇の皇后 |
第35代 | 皇極天皇 | こうぎょく | 642年~645年 | 敏達天皇の曽孫 |
第37代 | 斉明天皇 | さいめい | 655年~661年 | 皇極帝の重祚 |
第41代 | 持統天皇 | じとう | 686年~697年 | 第38代・天智天皇の第二皇女、叔父にあたる第40代・天武天皇の皇后 |
第43代 | 元明天皇 | げんめい | 707年~715年 | 天智天皇の第四皇女、天武天皇の第二皇子であり、異母姉・持統天皇の長子でもある草壁皇子の妃 |
第44代 | 元正天皇 | げんしょう | 715年~724年 | 草壁皇子と元明天皇の第一皇女 |
第46代 | 孝謙天皇 | こうけん | 749年~758年 | 第45代・聖武天皇と皇后・藤原光明子の第一皇女 |
第48代 | 称徳天皇 | しょうとく | 764年~770年 | 孝謙帝の重祚 |
第109代 | 明正天皇 | めいしょう | 1629年~1643年 | 第108代・後水尾天皇と江戸幕府・2代将軍・徳川秀忠の五女・和子の間に生まれた皇女 |
第117代 | 後桜町天皇 | ごさくらまち | 1762年~1770年 | 第115代・桜町天皇の第二皇女 |
日本神話に登場する神功皇后も女帝に称えられたりする(「日本書紀」にも一ヶ所「天皇」と表記されている)。
※ 「重祚」とは同じ人物が2回以上皇位につくこと。日本では過去2例でどちらも女帝。