概要
1986年に生まれ、1989年にクラシックシーズンを迎えた競走馬の世代。
平成時代にクラシックを迎えた最初の世代である。
しかし、1歳上には『芦毛の怪物』オグリキャップをはじめとする88世代、1歳下には『名優』メジロマックイーンをはじめとする90世代と、層の厚い2つの世代に挟まれたため、古馬混合GⅠは1990年の宝塚記念を勝ったオサイチジョージだけという、「谷間の世代」という評価になってしまった。
擁護するなら、牡馬クラシック戦線は弥生賞・皐月賞・NHK杯と日本ダービーに向けての主要レースがすべて不良馬場で争われるという他の年には無い事態になっていた、という事情もある。
最優秀3歳牡馬を受賞したサクラホクトオーはクラシック戦線の不良馬場に悩まされ不調となり、過酷な不良馬場の皐月賞を制したドクタースパートは長い低迷期に入った。
ダービー馬ウィナーズサークルも菊花賞馬バンブービギンも骨折後の療養から復帰出来ず、古馬とは未対戦のまま現役生活を終える事になった。
牝馬部門についてはトピックを複数作っている。若き武豊に初めての牝馬クラシックの栄冠をもたらしたシャダイカグラ、そしてそのシャダイカグラに起きた不運から生まれた日本競馬史における大波乱の代名詞、1989年エリザベス女王杯で20頭中20番人気の430倍から1着になった単勝万馬券馬サンドピアリスが有名になった。
公営・川崎からは牝馬ながらに南関東三冠を制覇し、南関東最強の名をほしいままにした名牝ロジータが生まれ、文字通り川崎の代名詞として今なおその伝説が語り継がれている。
オープン馬では中央競馬の最高齢出走記録となる15歳まで現役を続け99戦走ったミスタートウジンがおり、
全体で見ると強烈な個性派揃いの世代でもある。
一方アメリカでは、後に日本で種牡馬として勇名を馳せるサンデーサイレンスとその好敵手イージーゴアが生まれた世代である。アメリカ産馬に限らずこの2頭以外にも引退後に日本に輸入され種牡馬として馴染み深いのがこの世代である。
2024年現在、ゲーム『ウマ娘プリティーダービー』では、この世代の競走馬は1頭もウマ娘化されていないが、漫画作品『ウマ娘シンデレラグレイ』では第9回ジャパンカップ編に出る海外ウマ娘のシーフクロー(モデルはアメリカの競走馬ホークスター号と思われる)以降オリジナルウマ娘が次々と登場している。
主な競走馬
GⅠ勝利馬
- ドクタースパート…皐月賞馬。過酷な不良馬場の皐月賞を制した後は8戦8敗全て着外となるが、ステイヤーズステークス(当時GⅢ)で久しぶりの勝利をレコード勝ちする。
- ウィナーズサークル…日本ダービー馬。芦毛初、茨城県産初のダービー馬となる。
- バンブービギン…菊花賞馬。父は第49代日本ダービー馬バンブーアトラス。バンブーアトラス産駒唯一のGⅠ勝ち馬でもある。後に種牡馬入りしたがJRA重賞勝ち馬は最後まで出せなかった。ただし、産駒のトウカンイーグルはJRA時代に公営東海で開催された名古屋優駿において2着に入っている。
- シャダイカグラ…桜花賞馬。武豊に初の牝馬クラシック優勝をもたらし、「ユタカの恋人」とも呼ばれた。
- ライトカラー…平成最初の優駿牝馬勝ち馬。唯一の重賞勝ちであるとともに、鞍上の「必殺仕事人」田島良保騎手にとっても騎手生活最後のGⅠ勝利だった。引退後は繁殖入りしたが2番仔の出産間近に右大腿骨を骨折し予後不良となった。
- サンドピアリス…1989年エリザベス女王杯で、GⅠ史上初、最低人気から勝利を収めた馬。この時の単勝配当金43,060円は2022年6月現在でもGⅠでの最高額。
- サクラホクトオー…1988年朝日杯3歳ステークス勝利。最優秀3歳牡馬を受賞したが、春のクラシック戦線では不良馬場に悩まされ不調に陥る。
- オサイチジョージ…1990年宝塚記念勝利(唯一の古馬混合GⅠ勝利)。その勝利は主戦だった丸山勝秀騎手にとって唯一のJRAGⅠ勝利だった。
重賞勝利馬
- トウショウファルコ…グリーングラス産駒。アメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)、日刊スポーツ賞金杯(GⅢ)を勝利。引退後は東京競馬場の誘導馬として活躍。誘導馬引退後は根岸競馬記念公園に異動し彼の地で生涯を閉じた。尾花栗毛に金髪というルックスで「走るベルばら」と呼ばれた。
- レインボーアンバー…「田んぼ」と揶揄された超不良馬場の弥生賞(GⅡ)を勝利した。その後左前の裂蹄のために皐月賞を直前で回避、東京優駿も出走を断念したが秋になって復帰し京都新聞杯5着、菊花賞2着となる。
- トーワトリプル…不良馬場のNHK杯(GⅡ)と翌年の日経新春杯(GⅡ)に勝利した。気分よく逃がすと驚異の粘り腰を発揮したがそれ以上に馬っ気が強い事でも有名だった。引退後に種牡馬になったが地方競馬で数頭が勝ち上がるに留まった。
- ムービースター…現役時に重賞4勝中レコードタイムを3度樹立した生粋のレコードブレイカー。1992年の天皇賞(秋)ではレッツゴーターキンの2着に入り馬連万馬券を演出した。後に種牡馬入りしたものの自身を彷彿させるような活躍馬には最後まで恵まれず30歳で死去。代表産駒は新馬勝ちを収めたマイネルハリウッド。
- カリブソング…芝・ダートの二刀流で活躍。1990年のフェブラリーハンデ、1991年の目黒記念と金杯(東)を制している。1994年のブリーダーズゴールドカップに勝ち約3年半ぶりの勝利を手にしたがその10日後、調教中に急性心不全を発症し死去。
- メジロモントレー…気分さえ乗れば名のある牡馬ですら撫で斬りにしていた「気まぐれお嬢様」。後に繁殖入りし仔のメジロフランシスを介して種牡馬モーリスの祖母となる。
- オースミシャダイ…牡馬クラシック競走こそ全て着外に終わったが本格化は古馬になってから。阪神大賞典、日経賞と連勝し、GⅠこそ勝てなかったが中長距離重賞の常連として活躍した。「ナリタ」「オースミ」の冠号でお馴染みの山路秀則オーナーにとって初めての重賞勝ち馬でもある。オーナーの希望で種牡馬になり、同期の内国産種牡馬たちが軒並み苦戦を強いられていた中、ダービーグランプリとオグリキャップ記念を制したナリタホマレを送り出して気を吐いた。
- センリョウヤクシャ…馬主は(有)社台RH。デビュー戦で市場取引最高価格馬(当時)のモガミショーウンを下し、後に阪急杯を制している。種牡馬入り後5年で引退したが3年目以降は産駒が誕生していないので実質2年のみの供用に終わった。代表産駒は船橋所属で77戦9勝を挙げたアサカゼオーとHBUで募集した珍名馬ヤミタロウ。
オープン馬
- ミスタートウジン…中央競馬の最高齢出走記録となる15歳まで現役を続けた「中年の星」「99戦錬磨」。通算100戦目を目前に脚部不安で引退を余儀なくされた。当時のダート路線活躍馬はこの馬の背中を見て育っていったと言っても過言ではない。皐月賞ではサクラホクトオーに先着し、後に出走した銀嶺ステークスではホクトオーの仔であるサクラスピードオーにも先着するという珍記録を残している。
- ロングシンホニー…平成最初の日本ダービーで単勝1番人気だったのがこの馬。(6.0倍)名種牡馬パーソロンのラストクロップでもある。未勝利戦から若草ステークスまで3連勝し「関西の秘密兵器」としてダービーに出走も5着。以降も重賞には手が届かず、後に公営名古屋→中津と移籍した。
- アンシストリー…弥生賞3着の勢いそのままに皐月賞でも2番人気で3着に突っ込んだがその後はバレンタインステークスを制したのみに終わった。種牡馬入りを果たしたものの自身に匹敵する産駒には恵まれることはなかった。代表産駒は日本海ステークスを制したセザンファイター。後にマイヨジョンヌ、イルバチオ、トーラスジェミニの馬主になる柴原榮氏の初期の持ち馬である。
- ドースクダイオー…サクラホクトオーのデビュー戦にも出走していたが9着と大惨敗。そこから着実に勝ち上がり、スプリングステークスではナルシスノワールの2着に入り皐月賞に出走。10番人気の7着に入ったがこれが最後のレースとなった。主戦は「鯉太郎」こと菅原隆一騎手の父・隆明騎手。
未勝利馬
- モガミショーウン…カツラギエースの半弟(父・トウショウボーイ)で落札価格2億6,500万円は市場取引馬として当時最高金額だった。しかし結果は6戦未勝利で獲得賞金も僅か442万円に終わり、図らずも「競走馬は金額で走るものではない」という事を証明してしまった。引退後は種牡馬になったが活躍馬に恵まれず用途変更となっている。代表産駒は笠松で7勝をあげたオークブレインとJRAで2勝をあげたパリツアー。
地方重賞馬
- ロジータ…南関東の三冠競走を制した名牝馬。
地方無敗馬
- アクチブハトリ…船橋競馬場に所属。脚部不安という重い障害を抱えながらも、10戦10勝という未曽有の記録を出した。
海外馬
米国産
- サンデーサイレンス…言わずとしれた名種牡馬。あらゆる分野に一流の競走馬を輩出し、JRA史上最高の種牡馬と名高い。
- イージーゴア…サンデーサイレンスの競走馬時代のライバル。種牡馬としても期待されていたが、8歳という若さでこの世を去り4年で136頭の産駒を残すだけに終わった。
- キンググローリアス
- ゴールデンフェザント
- ブラックタイアフェアー
- ホークスター…『ウマ娘シンデレラグレイ』シーフクローのモデルと思われる。