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概要編集

豊島師範学校時代に野球に打ち込み、高校野球のコーチを務めたこともある井出雅人新東宝時代に火野葦平原作の映画『新遊侠伝』の「ヤクザが野球の試合に目の色を変える」というプロットが心に種を残し、1975年ごろに岡本喜八監督作品の構想を練っていた際に思い出し映画のイメージを膨らませた。原案として火野と『新遊侠伝』がクレジットされているのはこのためである。

製作は大映だが主演の菅原文太東映所属だったため東映が配給している。

タイトルは主人公たちの結成した野球チーム岡源組ダイナマイツの掛け声「ダイナマイト!」「どんどん!」。


ストーリー編集

終戦直後の1950年(昭和25年)、北九州・小倉ではヤクザたちの抗争が激化していた。特に二大勢力である岡源組橋伝組(作中では橋傳組と表記される)は市街地で銃撃戦を繰り広げるなどして警察を悩ませていた。

警察はGHQの協力を得て平和的に抗争を解決しようと北九州のヤクザたちを集めて野球大会を開催する。

岡源組の加助は気乗りしない中、組の仲間たちは練習中に出会った元東京セネタースのエース五味徳右衛門をコーチ兼監督に迎えて野球の練習に励む。

岡源組はチーム名をダイナマイツと命名、花札をモチーフにしたユニフォームに着替えて球場に立つ。やがて大会の1回戦が始まるが、橋伝組は岡源組を潰すために他の組に野球のできる組員を派遣していた。

ダイナマイツの1回戦の対戦相手立花港運ジョーカーズには芦刈の作蔵が派遣された。凄腕のピッチャーでダイナマイツは手も足も出ない。

その頃加助はナワバリの割烹で銀次という男と出会う。割烹の店主であるお仙と過去に何かあったらしい銀次に焚きつけられ加助は球場に走る。

ダイナマイツに合流した加助は攻守交代の最中に作蔵が一升瓶をあおっているのを目撃し一計を案じる。

作蔵は非常に酒癖が悪かった。加助の策略で鬼殺しの焼酎を飲み泥酔した作蔵は大乱調。ダイナマイツは逆転勝利を収める。

そこに岩国からダイナマイツに助っ人がやってきたと伝えられる。助っ人はなんと銀次だった。

銀次とお仙は恋仲だったが、実はお仙はとある組の親分の愛人だったため銀次は指を詰められてしまい、組の鉄砲玉として使われた過去があった。

しかしカタギの頃からやっていた野球の腕はなまっておらず、むしろ詰められた指から魔球を繰り出すことができるようになっていた。

2回戦の飯塚同志會キングコングスとの試合では銀次がピッチャー、加助がキャッチャーとしてバッテリーを組む。

試合はダイナマイツの圧勝だったがお仙を巡り三角関係であることを知った加助と銀次は雨の中で大乱闘を繰り広げる。

しかし翌日銀次は岡源組から姿を消していた。なんと橋伝組の工作で岡源組を裏切る羽目になってしまった。

事態を知った加助は橋伝組の事務所に殴り込みをかけ銀次と決闘するが、橋伝組の親分に拳銃で撃たれ負傷してしまう。

一方岡源組の親分も橋伝組にそそのかされて決勝戦で互いのナワバリを賭けることになってしまった。

いよいよ橋伝組カンニバルズとの決勝戦。病院を抜け出して球場に立った加助は銀次と対峙する。

警察も柔道五段・剣道六段・空手三段の猛者中谷巡査部長を審判に、さらに進駐軍に警備を頼み厳戒態勢。

それでも試合はバットやミットで相手チームの選手を殴打する妨害が横行。銀次に剛速球を投げつけられてのびてしまった中谷が退場してからはもはや無法地帯となってしまった。

9回裏、6対3でカンニバルズがリード。ダイナマイツが負ければナワバリを失い組は壊滅する。

ダイナマイツの攻撃。ツーアウト満塁。ピッチャーは銀次、バッターは加助。勝利をつかむのはどちらか。


キャスト編集

遠賀川の加助(4番キャッチャー):菅原文太

橘銀次:北大路欣也

お仙:宮下順子(日活)

芦刈の作蔵(立花港運ジョーカーズ):田中邦衛

留吉(3番ファースト):小島秀哉

香取祐一(岡源組若頭):中谷一郎

千代竜:桜町弘子

きん子:伊佐山ひろ子

吹原(9番ピッチャー):石橋正次

和田山の繁蔵(戸畑商事モッコスズ):ケーシー高峰

南里(6番セカンド):志賀勝

花巻修(橋伝組代貸):岸田森

犬飼:二瓶正也

小林部長:長谷川弘

藤崎:草野大悟

九州海運ブラックス選手(選手宣誓):誠直也

猿渡:大木正司

実況:岡田実(実況放送)

中谷巡査部長:大前均

露崎元彌

鬼熊(5番ライト):丹古母鬼馬二

一六(1番ショート):福崎和宏

辻(7番レフト):吉中正一

百武(2番サード):下馬二五七

牧瀬(8番センター):鳥巣哲生

陣内(補欠ファースト):兼松隆

前田敦

合田:赤穂善計

津上:尼子狂児

血桜:妹尾琢磨

相馬:鴨てんし

真崎:伊吹新太郎

奈辺悟

幸英二

津野途夫

桐島好夫

菊池太

司裕介


特飲街の女郎:岡本麗

君春:小林真美

のり子:立枝歩

米軍司令官:ジャック・デービス

森下京子

福井友信

川平京子

馬淵正子

福田さゆり

折口亜矢

劇団ひまわり

劇団空間演技


橋本伝次郎:金子信雄

岩崎警察署長:藤岡琢也


岡谷源蔵:嵐寛寿郎

五味徳右衛門(岡源ダイナマイツ監督):フランキー堺


(以下ノンクレジット)

決勝戦の賭博屋:岡部耕太

ケンカに巻き込まれる労務者:岡本喜八俊藤浩滋


スタッフ編集

製作総指揮:徳間康快

監督:岡本喜八

製作:俊藤浩滋武田敦

原案:火野葦平『新遊侠伝』

脚本:井手雅人古田求

音楽:佐藤勝

助監督:白山一城


余談編集

井手雅人は『新遊侠伝』にヒントを得て構想を練っている間に、菅原文太に出演を交渉。「指を詰めたヤクザが金田正一でも投げられないような魔球を投げる」というアイデアを聞いた菅原は「面白いからぜひやらせてもらいたい」と快諾。東映に企画を持ち込んだが岡田茂社長の知らない間に企画は流されてしまった。

その中でも井手は同郷で映画監督志望である古田求とともに脚本を執筆。『新遊侠伝』での「ヤクザが野球の試合で決着をつける」という部分のみを拝借し、長谷川伸の戯曲集を参考にオリジナルで書き上げた。古田は佐賀県の割烹料理屋で育ったが祖父は侠客気質で、子供の頃にヤクザの刀傷沙汰を見たこともあった。

古田と同じ飲み屋の常連だった大映の佐藤正大が大映の徳間康快社長に報告し大映で製作することに決まったが、主演に内定していた菅原は東映の専属俳優。そこでフリーのプロデューサーで東映のゼネラルマネージャーでもあった俊藤浩滋にプロデューサーを頼み、大映製作・東映配給という形でまとまった。

監督は井手の当初の構想通り岡本喜八。菅原も「かねがね一度機会があれば組んでみたいと思っていた」と賛成した。

徳間社長は本作を「再スタートする大映の第一弾」として製作発表し、製作発表の前には制作陣および出演者と東京映画記者会が後楽園球場で親善試合を行った。

知らない間に企画を流されてしまった東映の岡田社長は製作発表会見でも煮え切らない態度だった一方、菅原は同時期に『野性の証明』が公開されることから「健さんと勝負や」と意気込んでいた。

もっとも東映は本作を主力劇場、『野性の証明』を東映洋画系で公開するということもあってどちらが勝っても損はしない形になっていた。


菅原は野球の経験もあり、試合のシーンは一切の吹替なしで撮影を行った。

岡源組の組長岡谷源蔵役の嵐寛寿郎は岡本監督に「1行(の台詞)もあきまへん(覚えられない)」と申告、ろれつが回っておらずほとんどなにを言っているのか分からないという役柄になった。


『野性の証明』の角川映画が宣伝を重視していたことから、あくまで映画俳優を志向しテレビへの出演は一切断っていた菅原も背に腹は代えられないと本作とのタイアップとしてチオビタドリンクのCMに出演した。

同時期には『野性の証明』のほか『皇帝のいない八月』、『鬼畜』、『聖職の碑』と大作邦画が激突したものの、いずれも興行的にはあまり成功したとは言えない結果となってしまった。

徳間は角川春樹を「チンピラ」呼ばわりして物議を醸したとされる。徳間の死後大映の事業は角川書店に売却され、本作のDVDもKADOKAWAから発売されている。


1970年代にすがやみつるによるコミカライズ版が徳間書店劇画ザ・タウン」で連載された。1978年に単行本全1巻が発売された。


関連タグ編集

東映 大映

岡本喜八

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