ダドリーちゃん!!
注意
邦訳の影響で多くの日本のファンが混同しているが、エバンズ姉妹は、
が公式である。
概要
『ウィザーディング・ワールド(魔法ワールド)』の人物。ハリー・ポッターの母方のおば。通称ペチュニアおばさん。
夫のバーノン・ダーズリーと息子のダドリー・ダーズリーと共にハリーを冷遇していた。
マグル(非魔法族)。
エバンズ家の出身で、「ペチュニア」は妹の「リリー」同様、花の名前。
プロフィール
Name | Petunia Evans→Petunia Dursley
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血統 | マグル |
家族 |
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職業 |
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映画版演者 |
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映画版吹替 |
容姿
原作の描写では髪は金髪(ブロンド)で瞳は灰色。
痩せ型で馬のような風貌と長い首が特徴。
赤髪に緑の瞳の美女であった妹のリリーとは全く似ていない。
ちなみに映画版の演者フィオナ・ショウはダドリーを演じるハリー・メリング同様黒っぽい髪色である。
人物
ハリーの育ての親。ハリーを冷遇する一方、実子のダドリーを甘やかしている。
いわゆる親バカであり、ダドリーに対しては「客観的な欠点すらも長所と解釈する」ほどの溺愛ぶりを見せる。
その様子をアルバス・ダンブルドアから「ダドリーに言語道断の被害を与えた」と評され、(多分怒りで)顔を赤らめていた。
原作者曰く、わかりにくい虐待とのこと。
(実際、過度に甘やかされていたダドリーは『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』ではブクブクの肥満体となりスメルティングズ校の養護の先生に注意されなければ病気になっていただろう。しかし今度は巻き添えでハリーまでダーズリー一家全員でのダドリーのダイエットに突き合わされる羽目になった。)
噂話とゴシップが好きな俗物であり、常に世間体や体裁を気にしている。長い首でご近所さんの動向を覗き見ることが趣味。
異常な潔癖症であり、寝る前にキッチンを磨き上げている。そのためシミ一つ無く、5巻ではニンファドーラ・トンクスに「清潔すぎて不自然」と評された。
魔法の存在はペチュニアにとってのタブー(いわゆる地雷)であり、バーノンは極力ペチュニアの妹やその家族について触れないようにしている。
しかし、第5巻でダドリーが吸魂鬼に襲われた後、バーノンがダドリーが襲われた理由と吸魂鬼とは何かと問い詰めた先に、状況が状況だったとはいえペチュニア自らハリーより先に答えてしまい、魔法の存在を完全に否定し切れなかった。
元々、第5巻は多くの秘密が明かされており、ペチュニアの存在も大きな意味を持つことが明かされている。
来歴
生い立ち
1950代後半、イングランドのミッドランズ州コークワースにてマグル(非魔法族)のエバンズ家に生まれる。
工業都市であることを暗示し、重労働と煤の汚れを連想させる都市で育った。
姉ペチュニアと妹リリーの姉妹仲は非常に良好で、リリーからは「チュニー」(Tuney)というあだ名で呼ばれていた。
しかし、姉妹のうちリリーのみが魔力を発現させたこと、リリーが近所のスピナーズ・エンドのセブルス・スネイプと親友になったことが重なり、徐々に悪化していった。
リリーのホグワーツ入学
ペチュニアは魔法の世界に憧れており、1971年の夏にリリーの元にホグワーツ魔法魔術学校の入学案内が届いた際には、校長アルバス・ダンブルドアに「自分も入学させてくれないか」とふくろう便を送った。
しかし、当然のことながら魔力を生まれつき持たない子供が魔法学校に入学することはできず、ダンブルドアから丁重な断りの返事を受けることとなった。
同年9月、娘が魔女となったことを歓迎し喜ぶする両親とともに、リリーの見送りにキングスクロス駅に行く。
この時、ダンブルドアとやり取りした手紙をリリーとスネイプに裏で読まれていたことが判明。
衝撃を受けたペチュニアはリリーに対し、
"- you think I want to be a - a freak?"
(私がアンタと同じ化け物になりたいとでも思ってるの?)
"I'm not a freak,"
(私は化け物なんかじゃないわ)
と罵った。
freakは邦訳版では「生まれそこない」「奇人」と訳されたが、原語的には「奇形」「怪物」といった含みもある。「freak show」と言えばいわゆる「見世物小屋」。
ペチュニアは「自分の生まれは決して間違っていない」と、吐き捨てたのである。
バーノンとの出会い
外見も良く明るい性格であり、更に魔力を持つリリーの方が、ペチュニアより両親から愛されていたようだ。(少なくともペチュニアはそう感じていた。)
それが理由だったのか、ペチュニアは親元を離れてロンドンに出ると、タイピングの資格を取り自立を目指すようになる。
そんな中で出会ったのがバーノン・ダーズリーであり、地位と財力を持つ絵に描いたような「まともな男」な彼にペチュニアは恋をした。
ペチュニアは妹のリリーがホグワーツ魔法魔術学校の最終学年であることを涙ながらに打ち明けるが、バーノンはペチュニアを責めることは全くなかった。魔法を肯定する者からは「マグル」と罵られ、魔法を否定する者からは「魔女の家族」と罵られてきたペチュニアにとって、バーノンは救いであり、絶対の存在になった。
当時もリリーとの交流は途絶えてはいなかったが、姉妹仲は微妙なものだった。
ペチュニアとバーノンはリリーとその恋人であるジェームズ・ポッターの四者での会食をするも、バーノンとジェームズが煽り合いになる。結果ペチュニアとバーノンは途中退席し、リリーを泣かせた。
ペチュニアとバーノンとの結婚式ではリリーが花嫁付添い人になることを拒否し、リリーとジェームズの結婚式ではペチュニアが参加を拒否した。
息子ダドリーの出産
1980年6月23日、長男にして唯一の息子ダドリー・ダーズリーが誕生。
サリー州(サレー州)リトル・ウィンジング、プリベット通り4番地で生活。
その一ヵ月後に妹夫妻から7月31日にハリーが生まれたとの知らせをもらうが、返信せずに捨ててしまう。以降、リリーから手紙はもらっていないが、クリスマスにはリリーに対して花瓶をプレゼントに贈っている。
その後、この花瓶は1歳になったハリーがシリウス・ブラックにもらった子供用箒に乗って割った。しかしリリーは「趣味が悪い花瓶なので厄介払いができた」と内心喜んでいた。
甥ハリーの養育
1981年のハロウィンの夜、突然赤ん坊の甥御ハリーが玄関先に置かれていた。
ダンブルドアからの手紙が添えられており、リリーはジェームズと共に魔法界の闇の帝王ヴォルデモートに殺されたこと、ハリーはリリーの血の守りによりヴォルデモートから守られていること、そしてリリーの血縁であるペチュニアのもとにいれば守りは持続することが書かれていた。
ペチュニアはハリーには常に冷淡な態度で接していたが、ヴォルデモートから狙われるハリーの事情を知った上で引き取った。
よくよく考えれば、ハリーに虐待に近い仕打ちをしながらも、何故か家から追い出そうとしなかったのは初めから不自然なことであった。決して愛情を持って育てたわけではないが、ペチュニアは確かにハリーの保護者だったのである。
ペチュニアの本心
リリーの死には本心では彼女なりに思うところはあったらしく、リリーを殺したヴォルデモートの復活を聞いた時には複雑な表情をしていた。
また7巻ではダーズリー家を旅立つハリーに対して言葉を飲み込むシーンがある。
後に作者により、「励ましの言葉を贈ろうとしていたが、これまで自分のしてきたことを思い、言い出せなかった」ことが明かされた。
19年後を描いた『ハリー・ポッターと呪いの子』時点では既に他界しているが、彼女の遺品の中に埋もれていた、赤ん坊のハリーが包まれていた毛布(リリーの最後の遺品)をダドリーが発見する。これについてハリーは、本当はいずれ自分に渡したかったのではないかと考えており、このエピソードは、ペチュニアが心の奥底にしまい込んでいた、リリーとハリーに対する情、善性を象徴するものになっている。
余談
完結以前にJ・K・ローリングは「ペチュニアはスクイブでは無いわ」と、考察するファンに明かしていた。