概要
『仮面ライダー龍騎』のテレビスペシャル「13RIDERS」における高見沢逸郎の台詞。
これまで改造人間や力に覚醒したもの、スーツの装着資格を得たもの…理由はなんであれ"選ばれた者"が仮面ライダーになれるという設定が様式美化していたが、デッキを持てば誰でもライダーになれてしまう(※)本作がそれを打ち崩す事となった。
おまけに自分の願いを叶える為には他人を蹴落とすのは当たり前という殺伐とした世界観を現実社会に準え、一言で纏めたセリフこそ「人間はみんなライダーなんだよ」なのである。
本編での使用例
ライダー同士の戦いを止めたいとして高見沢グループにやって来た城戸真司をガキ呼ばわりした挙句、「この世はな、所詮力のあるやつが勝つんだよ。力を求めて何が悪い?」と主張、「今の社会はな、ライダー同士の戦いと同じなんだよ。生きるって事は他人を蹴落とす事なんだ。いいか?人間はみんなライダーなんだよ」と自身の思想を正当化するように言い放つと真司をたたき出した。
さらには地下駐車場に逃走した真司と蓮に対しても
「一度ライダーになった者は、ライダーとしての宿命を負う。逃げることは出来ない!大体なあ、ライダーの戦いは終わんねえんだよ!今の社会はな、ライダー同士の戦いと同じなんだよ。生きるって事は、他人を蹴落とす事なんだ。いいか!!人間はみんなライダーなんだよ!」
と投げかけた。
後年の作品では
この言葉は多人数ライダー制を採用したのちの作品でも度々実現しており、ファンの間でしばしば話題に挙がる。
『劇場版 仮面ライダーウィザード inマジックランド』
『仮面ライダーウィザード』本来の世界観が仮面ライダーソーサラーの「クリエイト」の魔法によって一時的に上書きされた「誰もが魔法使いである世界」がそれ。
本来の世界観においては魔法使いになるには「ゲート」が絶望を乗り越えるという過酷な条件を乗り越える必要があるが、こちらの世界観においては一般市民から近衛兵に到るまで本当に誰でも仮面ライダーメイジになれるのである(仁藤は変わらず仮面ライダービーストに変身)。
しかし、約1名だけ魔法使いの役割を振られなかったマヤ大王のコンプレックスがのちにトンデモナイ事態を招くことに…。
『仮面ライダーエグゼイド』
誰でもヒーローになれるゲームを標榜して販売された『仮面ライダークロニクルガシャット』。
これを用いれば誰でもライドプレイヤー(※2)という戦士になれるのだが、このゲームはバグスターが人間狩りの手段として利用しており、バグスター陣営の理不尽なまでの強さやガシャットの副作用によるゲーム病の発症などの無数のデメリットが発生する(※3)。
これを救う側である正規の仮面ライダーはレアアイテムを持っている敵として扱われる為に自体が泥沼化していく…。
『仮面ライダーギーツ』
お待たせしました。
本項目のセリフを一番体現しているであろうシリーズ。
『龍騎』同様に人々が願いを賭けて生き残りゲーム「デザイアグランプリ」に参加するというものだが、その規模は龍騎の比ではなく、若者は勿論、果てはそこらの主婦やお爺ちゃんまでありとあらゆる人(流石に幼すぎる子供は無理だろうが…)が運営に選ばれては参加資格を得る。
しかし、脱落条件は細かく設定されており、ジャマトによる永久退場こそあれど、これまでのシリーズと比べると遥かに優しいものが多く、敗者復活システムも存在する。
…とここまでは良かったが、運営スタッフや一部のスポンサーの思惑によってゲームは殺伐としたものに変わっていき…。
補足
(※1)神崎士郎に直接選ばれなくとも、カードデッキが無事であれば、それを用いて別の誰かがライダーバトルの参加者になれてしまうのでまさしく"誰でも"ライダーになれてしまうのである。
(※2)現在の公式見解的(出典:『仮面ライダー図鑑』)には「仮面ライダーではない」扱い。
(※3)なお、このゲームの本来の意図はバグスターを倒し続けたライドプレイヤーが伝説の戦士仮面ライダークロノスへの変身資格を得てラスボスを倒すというものである。
関連タグ
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