懺悔室(岸辺露伴は動かない)
ざんげしつ
漫画『岸辺露伴は動かない』にあるエピソードの1つ。
『週刊少年ジャンプ』1997年30号に、当時連載中のジャンプ作家10名がそれぞれ読切を描く「ジャンプリーダーズカップ」の1つとして掲載された49ページの短編作品。表題は『岸辺露伴は動かない 〜エピソード16:懺悔室〜』と命名された1話。
原作:岸辺露伴、作画:荒木飛呂彦という構成。ジャンプ巻末目次コメントは露伴先生が書いた。
この話を描いた機会が後に、外伝作「岸辺露伴は動かない」のシリーズ化・単行本化をしていく事となる。つまり作品制作上、後になって振り返れば『始まりの物語』である。
怪我により連載を中断していた人気漫画家・岸辺露伴が、漫画の取材旅行先で遭遇した不思議な話であり、彼が『実際に この耳で聞いた』恐怖の出来事。また康一がイタリアに行くために露伴にイタリア語を話せるようにしてほしいと頼み事しているため今作は「黄金の風」の前日譚でもある。
本編で東方仗助にボコボコにされしばらく漫画を休載していた岸辺露伴は、漫画取材の為にイタリア・ヴェネツィアを旅行していた。
とある教会の「懺悔室」に興味をそそられた露伴は、ひとつ犯した『過ち』を告白してみようと懺悔室に入る。しかし、露伴は間違えて神父の方の部屋(聞く者側)に入ってしまう。慌てて外に出ようとした直後、懺悔する者側の部屋に男性(以下、「語り手」などと表記)が罪の告白をしにやって来てしまう。
作品にリアリティを追求する露伴は、これは貴重な実体験を得るチャンスだと考える。今ここでその男性に「自分は神父ではない」とバラすのも酷だと開き直った露伴は、神父になりすまして男(語り手)の懺悔を聞き始めた。
語り手の男は昔、食品市場で下働きとして働いていた。当時、24歳。
残業していたある日、東洋人と思われる浮浪者が現れる。浮浪者は5日間何も食べてないらしく、テーブルの上にある語り手の男の弁当をチラチラ見ながら、食べ物を恵んで欲しいと男(語り手)に懇願してきた。
「どうか………食べる物をください」
これに対して語り手(下働きの男)は「どうせ今まで怠惰な日々を過ごしてきたんだろう。自分(語り手)は必死こいて仕事しているのに」と浮浪者に怒りを覚え、自分が残業として運んでいた「重いトウモロコシの袋(商品)を全て運び終えること」を条件に出す。
「働きます で…ですが、先に何か食べ物を…」
「5日も……食べてないのです本当です…少しだけでいいんです」
「食べたら必ず働き…ます 約束します」
下働きの男は「食べた後で働く」という浮浪者の言い分を認めず、鬱憤を晴らすように酷い扱い(重い袋を強制的に運ばせ、1時間以内に終わらせろと命じ、更に早く終わらさなければもう一個持たせると脅迫)で浮浪者を容赦なく働かせた。
しかし、空腹でやつれていた浮浪者はまともに仕事が進まず、トウモロコシの袋の重さに耐えられず、
「うっつ……」
一袋も運びきることなく袋の下敷きになり、動かなくなってしまった。作業開始からわずか10分経たずの出来事であった。
下働きの男はそれを見て、わざと倒れて誤魔化しているんだろう、怠け癖がついてるようだから性根を叩き直してやると罵った。だが突然、倒れていたはずの浮浪者が、何故か自分の足元から怒り狂った恐ろしい形相をしながら現れた。
「ナマけてるように…このオレがナマけているように見えるって言うのかッ!」
「オレは今ッ!」
「暗い海よりも『深い』絶望の中にいる!」
「おまえから与えられてな!え?」
「オレは忘れねえッ!*」
「てめーの顔は決してッ!」
浮浪者は下働きの男が言う「怠け癖がついてる」の決めつけに憤り、彼の足首を掴みながら
「 この報いはッ!償わせてやるッ!必ずッ!オレは戻って来るッ!おまえが『幸せの絶頂の時』必ずッ!おまえを迎えに戻って来るぜッ!いいなッ! 」
と吐き捨ててると、驚きのけ反った下働きの男の前から姿を消した。
直後、彼の同僚達が袋の下敷きになったまま動かず倒れている浮浪者の元へ駆け寄っていた。浮浪者が死亡したことを聞いた下働きの男は、先程姿を現した浮浪者はもしかしたら幽霊だったのではないかと察し、青ざめる。
そしてこの時初めて、浮浪者は決して怠けていたわけではなく、本当に5日間食べていない瀕死の状態だったことを理解した。
その日を境に、下働きの男へ幸運が舞い込んで来た。遠い親戚から遺産が入り、サッカーのくじに当選。職場で自分が企画したトウモロコシの菓子やコーンフレークが大ヒット。ついにはスーパーモデルの女性と結婚して娘を授かった。
そんな幸運の連続から裕福な生活を送る男(語り手)だったが、亡き浮浪者のことをずっと引きずっており、「幸せな絶頂の時に迎えに来る」という言葉へ危機感を募らせいた。
ある日、下働きから富豪になった男は執事の男を引き連れて娘と街を散歩していた際、ポップコーンを投げて口でキャッチしようとする娘の姿に男(語り手)は『幸せの絶頂』を感じてしまう……。
以下ネタバレ注意
原作・OVAを見た後で閲覧することを推奨します。
男(語り手)が『幸せの絶頂』を感じた次の瞬間、突如娘が豹変し、自分(富豪の男)の首を絞めつけてきた。
何が起きたのか困惑する男(語り手)だったが、娘の開いた口からのぞく舌にある人物の顔が現れる。それはあの浮浪者の顔(目と口のみ)だった。
男(語り手)はすぐに状況を理解した。幽霊となっていた浮浪者が娘に取り憑いたのだ。
娘の豹変に心配して「お嬢様、どうかなされましたかッ!」と冷や汗をかきながら声をかけた執事の男に対して、娘に取り憑いたモノは振り向くこともなく「うるせェーーーーッ!!」とアッパーカットで殴って気絶させる。
そして、ターゲットは男(語り手)一人だけで他の者には危害を加えないとした上で、浮浪者は富豪の男に以下の真相と目的を語った。
- これまで男(語り手)に舞い込んだ幸運の数々は、実は全て浮浪者のお膳立てによるものだった。
- そして今、男(語り手)が「幸せな絶頂」になったことで、宣言通り迎え(復讐)に来た。
富豪の男が「違うんだッ!」「逆恨みはやめてくれ」と抗議したため、浮浪者は、逆恨みと思われたまま殺すのは後味が悪いと考え、本当に逆恨みなのかどうか天に決めてもらうため、あるゲームを提案する。それは……
- 浮浪者が合図を出し、それに合わせてポップコーンを目の前にある外灯のランプより高く投げ、口でキャッチする。
- 富豪の男が3回連続でキャッチすること。一度でも失敗したらアウト。
- 勿論、合図に遅れたり、投げたポップコーンがランプより低かったらアウト。
- 富豪の男が3回キャッチに成功すれば、浮浪者は逆恨みだったとして復讐を諦める。
…という運要素が強く、極めて難易度の高いゲームだった。
しかしクリアしなければ助からない状況であり、たまらず「何で俺がこんな目に」と思いながら富豪の男はゲームに挑戦せざるを得なかった。
- 1回目…陽光の眩しさにポップコーンを見失い、危うく落としかけたが、顔面でポップコーンの動きをコントロールし、何とかキャッチ。
直後に富豪の男は眩しいから場所を変えたいと頼むも、浮浪者は「運命の一部」として扱われ、あえなく拒否される。
- 2回目…太陽が雲に隠れて安心するも、代わりに鳩が現れる。投げたポップコーンを取られそうになるも、富豪の男は咄嗟にポップコーンの袋そのものを破り、その勢いでばら蒔くという機転で、鳩の標的がばら撒かれた大量のポップコーンへ変わったため、無事キャッチ。
しかし富豪の男がポップコーンをばら蒔いたことが裏目に出て、彼の足元へ無数の鳩が集まり群がってしまう。もう同じ手は使えない。
- 3回目(ラスト)…富豪の男はポップコーンを火で燃やし、鳩を寄せ付ないようにし、火傷覚悟でキャッチしようとするが……雲に隠れていた太陽が顔を出す。眩しい上、ポップコーンが燃えているため光と同化して見えなくなったが、それでも明らかに勝利フラグは立っており、爆発力で何とかクリアするかと思いきや………
富豪の男の肩に落ちて失敗する。
………現実は非情である。
「審判はッ!『逆恨みではない』と下ったッ!」
約束通り「男」は浮浪者に手刀で首を切断され死亡。
こうして浮浪者は復讐を達成し、取り憑いていた娘から離れ、高笑いしながら成仏していった。
…以上、男(語り手)の話を全て聞いた露伴。だがおかしい。懺悔を聞き終えたと同時に疑問を抱いた。
男(語り手)は浮浪者に殺されたはずなのに、今ここで懺悔しているのは一体どういうことなのか?
これに対し、男(語り手)はそのことで懺悔しに参った(つまり、今までの語りは全て前置きで、ここからが本題)のだと言う………。
以下更なるネタバレ
原作・OVAを見た後で閲覧することを推奨します。
懺悔室の外から何やら声が聞こえ、露伴がこっそり覗くと、そこには(物語の読者・視聴者にとって)語り手の姿である自分の首を持ちながら這いずる首なし男がいた。男(語り手)と、この首無し男……富豪の姿をした男からある事実が明かされる。
富豪(語り手)の姿をした男の正体は、主人である富豪の元で働いていた執事の男。
浮浪者が娘に取り憑く以前。浮浪者に復讐されると不安になっていた男(語り手)は、対策として、執事に金を積み、自分そっくりの顔に整形させた。そして自分自身は執事の顔に整形することで、語り手(元下働きの男)と執事は入れ替わっていた。
勘のいい方はもうお分かりであろう。
つまり前述した娘へ取り憑いた浮浪者に約束通り襲われ、強制的なゲームに付き合わされ殺されるという凄絶な体験をしていたのは語り手の男ではなく執事の男だったということ。
そして前述の浮浪者に「うるせェーーーーッ!!」とアッパーカットで殴られて気絶していた執事の男こそが語り手本人であり、執事の男(姿は元下働き)を身代わりにして助かっていたのだ。
読者も視聴者も浮浪者も騙されていたのだ
男(語り手)が助かるために無関係な執事の男を犠牲にした罪の意識から、こうして懺悔に来た語り手(姿は執事)であったが……
被害者である胴体と首が分かれた男こと「執事の幽霊」は神父に懺悔したところで当然許すはずがなかった。
「このあっしめを金でつって『整形手術』させて!だまして!あんな怖い目に遭わせてくれた『恨み』は……だんな様…」
「絶対許しはしねェェ~~死んでも死にきれねェー」
さらに、一度成仏した浮浪者も語り手の魂に違和感を感じ別人だと見抜いたのか、執事(姿は元下働き)から直接聞いたのかは不明だが、本物がお迎え前に予め整形で入れ替わり生き伸びていたこと、自分が襲ったのは偽者であったことを知って戻ってきており、浮浪者と執事(姿は元下働き)は結託して、共に復讐することを決意していた。
こうして、語り手(姿は執事)は浮浪者から解放されるどころか、逆に敵が二人に増え、引き続き怯えて過ごすこととなった。
執事(姿は元下働き)は「この『恨み』は、だんな様の娘が『幸せの絶頂』の時、必ずあんたを迎えに来ます」と汗をかきながら予告したが、その予告に対し浮浪者は冷や汗をかきながら「迎えるのはだめだ」と訂正、そして整形による身代わりなどのセコい作戦にもう騙されることがないよう、語り手(姿は執事)を四六時中監視することを宣言した。
この際、浮浪者は執事を平気で盾に出来る男(語り手)の冷酷な性根に憤ったのか、クソ野郎と前以上にキツい言葉で男(語り手)を罵っている。語り手(姿は執事)はその二人の怒りの籠った脅迫を冷や汗をかきながら聞いていた。
物語はここで終わったため、その後、男(語り手)がどうなったのかは不明。
整形による身代わり作戦は一度使ったのでもう使えず、常に監視されているためそもそもお迎えから逃げる作戦を立てることも難しくなった上、対策してるのがバレた瞬間に殺される可能性もある。当然何も対策をしなければ普通にお迎えされるという、ほぼ詰んでいる状況のため、以前よりも大分人生がハードモードになったのは間違いない。
この様子を見て露伴は、男(語り手)が悪人であると思いつつも、怨霊に取り憑かれながらも諦めず、孤独に前向きに生きようとする彼の姿勢だけは尊敬していた。機会があれば取材に行ってみたいとのこと。
補足
前述した「お嬢様、どうかなされましたかッ!」の場面は、文字通り男(語り手)が自分の娘を心配しているというよりは別の思惑が推察される。浮浪者が宣言通り本当に襲って来たのを目の当たりにして、もし執事の男と入れ替わっていなければ私(元下働きの男)は今頃襲われていたという恐怖と焦りから、自分だけでも助かるため、浮浪者のターゲット外へしてもらうため、咄嗟に執事の役を演じ成り済ました可能性が高い。
語り手(元下働きの男)は浮浪者のターゲット外にされていたため、そもそもゲームには参加していなかった。
恐らく意識を取り戻した後、ゲームに参加し首チョンパされた「執事の遺体=元下働きの男へ整形された姿=もしもの自身の亡骸」を見て怯えていたであろう。
なお、この衝撃の真相・伏線は作中に貼られており、読み返すと面白い。
参考例
- 娘が繋いでる相手の袖をよく見ると、富豪(姿は元下働き)の袖ではなく執事(語り手)の袖である。
- 娘は一見、富豪(姿は元下働き)を見ているようだが、よく見ると執事(語り手)を見ているようにも見える。
- 吹き出しの口がよく見ると執事(姿は元下働き)ではなく語り手(姿は執事)側に向いている。その際の娘に対する呼び方が、よく見ると「お嬢様」であり、自分の娘なのに執事のような接し方をしている。
- 男(語り手)の顔ドアップのコマの中に一コマだけ、鏡のように光ってるコマがある(精神世界?)。
- 富豪(姿は元下働きの執事)が復讐しに現れた浮浪者へ対して、一貫して違うんだッ!と謎の否定をしたり、何で俺がこんな目にと嘆いたりしている。
語り手と執事が入れ替わっていることを踏まえて読み返すと、いずれも得心がいくシーンである。
今作「ep16.懺悔室」は、人に偏見を持ったり、いじめたり、裏切ったり、嫌な思いをさせると恨まれ人生が狂うという童話(寓話)として受け取ることもできる。
昨今で社会問題となっているパワハラをテーマにし、パワハラダメ絶対というメッセージを伝えた作品として見ることも出来る。
一度でも悪いことをすると、悪事がバレることや仕返しを避けるために別の悪行を行い、罪を重ねていくことで更に人から恨まれ、生きづらくなるという社会風刺を描いた作品として見ることも出来る。
人を裏切ってでも生き伸びる、罪を償うことや向き合うことから逃げるという人間の醜い一面を描いているとも言える。
本当に怖いのは幽霊(浮浪者)ではなく人間(語り手)なのかもしれない。