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白面の者とは

CV:林原めぐみ

うしおととら』に登場する大妖怪で、物語のラスボス

本作最強の妖怪でありその圧倒的な強さはある種絶望感すら感じさせる程である(衾に至っては、「(直接会う前に死ねただけ)よかったかもなあ」と表現するほど)。


世界の成り立ちから存在する大妖であり、その強さは作中に登場する人間・妖怪・神などの全てが束でかかっていっても互角以上に戦いうる。全長は優に数kmを越える(尾の変化を含めれば、最大時にはおそらく数十km近くに迫る)。


モチーフは九尾の狐。特に殺生石のエピソードから白面金毛九尾の狐であると推測される。その成り立ちについても江戸時代の『絵本三国妖婦伝』において相似した描写が存在する。ただし原作では一度も「狐」と呼ばれておらず、あくまで白面金毛九尾の狐を元ネタとしているだけで白面の者は妖狐の類ではない。

  • モデルは本来は大陸での霊獣が後年の伝承になって悪魔と化したものなので、白面も本来なら陰行の神になれた余地があるし、またはこれからなれるのかもしれない

おぞましさと迫力、激情を含んだシャープな造形とどす黒い感情が滲み出た毒々しい目と口角が非常に特徴的であり、その顔をアヘ顔と例えた漫画家がいる。こんなおぞましいアヘ顔とかねーよ。


耳房はなく、キツネというよりは、下から見上げた顔はサメのそれに似ている。最初期のコマではリスやジネズミのような面影もあった。

  • ちなみに、本来のカラーリングは白い顔に金色の全身(「金毛白面の者」)なのであるが、アニメふくめてありとあらゆる媒体で無視されてきた設定である。白金色と強弁できなくもないが
  • 『うしおととら』の全ての原点として「殺生石伝説ありき/大宇宙の悪の権化」←→「神剣ありき/剣のような形をしたもの」という作者のメモが公開されている。

概要

原初の混沌からが分離して世界が形成されたとき、わだかまった陰の気より生まれた「邪悪」の化身。


陽の気から生まれたあらゆるものを憎悪し、それらを破壊し、苦しめ、殺すことを無上の喜びとする。

最初は実体を持たない気の塊であったが、古代印度偶々見つけた1人の人間の赤ん坊に寄生し、長年にわたってその人間の怨念や憎悪のエネルギーを吸収する事で九つの尾を持つ異形の白い姿となった。


天地のあらゆる事象を操り、口からは有人の島をも吹飛ばす程の強力な火炎を吐き(アニメ版では「蒼」くなっていた)、その尾を軽く振るだけで妖怪の大軍を容易く粉砕する。ほとんどありとあらゆるエレメントが使用できるので、火焔を好むのは、単なる好みのほか、「ある何か」に対するメタファーとも捉えられる(そしてこの「炎」が、良くも悪くも関係なく「縁のある者々」と共通している)。


また、モデルとなった妖狐が石になってまで毒を撒いたのを踏まえてか、全身を毒の煙に変換が可能(使用時には体のサイズを縮小させてしまうが、スピードは上がる)。また、毒化する際に「石」のごとく体表がひび割れる。


尾一本一本に違った能力を持ち、それらに自我を与えて己の「分身」として活動させることが可能である。分身を尾に纏わせた時の光景は、まさに地獄絵図。恐怖と絶望の化身という実態を嫌というほど実感させられる。

本編に登場した分身は以下の通りだが、尾の能力は時代と共に、というか白面の気分しだいでいくらでも変わる。実際、獣の槍と直面する以前と後では、いくつかの尾の能力はまったく別のものになっている(以前はや溶けた鉄など)。


一本目  シュムナ

二本目  くらぎ

三本目  斗和子

四本目  あやかし

五本目  大量の婢妖の塊

六本目  大量の黒炎の塊

七本目  雷と嵐の尾 奥の手その一(ある者に対するメタファー①)

八本目  槍の尾   奥の手その二(ある者に対するメタファー②)

最後の尾 最終話にて判明


卑妖など分身からは、(個別に自我を与えているからか)自身の分身なのに「白面の御方(様)」と呼ばれている。


妖怪や人間が自身に対して抱く恐怖を吸収することで無尽蔵に強くなり続ける。また負の化身であるため怒りや憎しみ、恐れを伴った攻撃は通用しない。その力は妖怪とは別次元を誇るが、それよりも相手の憎悪や猜疑心を利用して自滅に追い込む策謀を好む。

また、渇望する心の闇を突くことに長けており、本来自分に敵対する存在だった紅煉秋葉流を自陣営に引き込んだ。しかし、白面自身も叶わぬ渇望を抱いていた事から、何よりもその想いを歪んでいながら理解出来たのであろうことは皮肉であろう。


印度で実体化すると同時に大破壊をもたらし、さらに中国を荒らしまわったあげく日本に上陸する。だが、ここから200年間にも渡る戦闘が発生、陰陽師と妖怪の大連合に迎撃される。最終的には逃亡、国を支える要の岩に逃げ込み、その後800年の長きに渡り沖縄トラフでお役目様である女性達の結界に封じられることとなった。この際、海底にてうずくまるポーズがまるで眠る赤子か胎児のようだとファンから言われることもある。


物語中封印された状態ながら何度も登場して、その強大な力や生み出した眷属によってたちを苦しめた。物語終盤、人間や妖怪たちから打倒白面の旗印となっていた潮ととらの記憶を奪って孤立させ、戦力の集結を阻止、そしてついに封印を破って復活を遂げる。

一度は潮を制して獣の槍を砕き、とらを倒し、人間や妖怪達を悉く粉砕し、日本列島を蹂躙したが、砕けた獣の槍の力で潮ととらの記憶を取り戻した人間や妖怪達が力を合わせて結界を張り、ついに白面は動きを封じられてしまう。

決戦の地にて今まで物語に登場した者たちが次々と参戦し、法力僧、自衛隊、全国より集結した妖怪や土地神たちによる大連合が結成される。

そして国の存亡を賭けた最後の戦いが始まった。


追い詰められて尚も身体を毒気に変化させて結界内に満たすことで潮ととらとの二対一へ持ち込み、切り札である七本目と八本目の尾を解放し圧倒し続けるが、戦いの中で「常にかつて自分を追い詰めた獣の槍から視線を逸らさず見続けている事」、切り札の能力や見た目がかつて自分を追い詰めたとら(字伏)の能力や獣の槍そっくりな事、その絶対的な力量に反した見上げる眼(強者は「弱者を見下し、顔を上げ視線を下げる」見下す眼をしているはずだが、白面は何故か「首をすくめ下を向きながら視線を上げている」のだ、まるで弱者がどうしようもない強者を見上るように)をとらに指摘され、潮が引き連れる陽の存在が羨ましくて恐ろしいと見抜かれる。(戦闘態勢に入っているように見える「飛びかかる寸前の獣のような姿勢」すら、実の所「敵にビビって引け腰になっている」様なもので、そのまま圧倒的実力で敵を屠れてしまっているから戦闘態勢に見えるだけである)

凄絶な笑みでそれを肯定しながらも、「なぜ我は陰に、闇に生まれ落ちた」と負の化身である自己を全否定するかの如き発言を見せ、この世に生まれ落ちた際、陽の存在をキレイだと羨むと同時に陰である自身は何故濁っていると感じた自身の始まりを思い返した。


巻き返される最中、自身の事を悟らせたのが自分の眼である事を察すると、自分の身体すらも自分を裏切った事に激憤、自ら両目を潰し自身は獣の槍の気配を追う事で潮ととらを再度追い詰めるも、自分の肉体に槍を突き刺して槍の気配を隠すとらの捨て身の策によって遂に討たれ、崩れ去りながらも本当の願いを語り、最後である九本目の尾と共に消え去った。


ちなみに・・・

白面の者が肉体を得たのには、ある経緯がある。

それは、魂の状態での国破壊に飽きを覚えた為、


「自らの感情・感覚でより鮮明に殺戮の快感を得たい」


つまりは 自分自身の手で直接的に、よりスリルを求めた暇つぶしの為だけに、

通りすがりにたまたま居合わせて生まれただけの赤子に憑依して血肉を得たというとんでもないものである。


白面の根底にあるのは陽の存在全てへの羨望と嫉妬、そして決して陽にはなれない陰である自身への憎悪と絶望であり、幾ら陽の存在を苦しめようともそれは一時の慰めでしかなく、憎しみを乗り越えた潮ととらからは可哀想と言われ、憐れみすらかけられた。


ここで実に皮肉なのは、陰の気のどん底で生まれた存在である白面の立場からでなければ、陽の存在(人間)の持つ素晴らしさがわからないという点。

人間に対する嫉妬から湧き上がる底なしの憎悪と殺意は、裏を返せば白面は誰よりも人間の素晴らしさと眩しさを理解していたことの証左であり、それを完璧に否定しようとしたのは、「アレ(陽の存在)なんてそんな大層なものじゃなかったんだ」と納得したかっただけだったとも言える。


白面は何よりも穢れた生まれだったにもかかわらず、そういう生まれのキャラクターが抱きがちな「陰こそが至高」や「陰こそが本質」といった自身の在り方に誇りを持つような考え方をすることができず、むしろ対極の存在であり、自分だけは絶対になることが出来ない陽の在り方を美しいと感じ、陰の塊である自分自身が何よりも穢らわしく醜いと感じてしまう様な極々普通のマトモな価値観を持って生まれてしまったのが白面の不幸だったのだろう。


上記に書いた通り結局のところ何よりも嫌いなものは、醜く穢れた陰の気、すなわち自分自身であり、誰からも隠し通し、悟られもしなかったこの陽への嫉妬や慟哭を悟らせてしまった要因がよりにもよって自分自身であった=自分自身にすら裏切られた事が目を潰した際の躊躇の無さに繋がっていると思われる。


自分の事が世界で一番嫌いで、自分以外の全てが羨ましくて仕方がない、だから羨ましく感じるものを壊して「あんなものは大したものじゃない、だって自分如きに壊されたじゃないか」と気を紛らわせ、それでもなお渇くばかり、それが白面なのだ。


白面がよく「我は白面」と口にするが、作中一度も「我が名は白面」と名乗ったことはなく、最期の言葉が示す通り白面自身『白面の者』という呼び名を本当は嫌っている。それは人間や妖怪から恐怖と絶望の象徴の表現として勝手に付けられた「形容詞」でしかなく、世界に自分が何者かであるかを真に定義する「名前」ではないからである。

にもかかわらず白面が『白面の者』という名前に拘るのは、あらゆる者たちに畏怖される『白面の者』という邪悪な存在を皆の「望み通り」演じることで諦めにも似た慰めを得られたからかもしれない。「我は白面。だから、仕方ないのだ・・・。」と自身に言い聞かせるかの如く。


台詞集

我は影さえ持たぬ暗黒の光…


我が憎いか?

憎めよ。我を憎め。永遠の時の淵でまた会おうぞ。


くっくっく 勝てると思ったか?人間の女が張った結界を破ったから… おのれらの結界で我を封じたから… 多くの仲間がいるから… 勝てるとでも思ったのかよ!! この白面の者に!!


我は白面!!その名のもとに、全て滅ぶ可し!!


快楽!快楽よ!悲・哀・憎・悔の泥濘にのたうつ人間の心を感ずるのは!


美しい…海の底にいた我には全てが美しく見えるぞ。妖どものあがきも…人間どもの滅ぶ様も…。

くっ・・・


けっ・・・


かっ・・・


彼処には、誰がいる…?


心地良し!


くだらぬ!弱し!!弱くてくだらぬ!! お前たちは我に勝てると思うているのか!? 思うてはいぬであろう。弱いからな! ならば既におまえ達の戦いは正義などという大義のもとの戦いではない。自己満足だ!! 弱い自分を認めたくないという自意識が生んだ、哀れな自己陶酔者。それがおまえ達の姿だ。 槍の使い手よ、おまえはわかっていたのであろう。どんなに口で人間を救いたいといっても… 絶望の闇夜に向かうしかないことがあるということを!! 夜だ。この国に、おまえ達に!我が夜をもたらしてやるのだ!!


キレイダナア… ナンデ ワレハ アアジャナイ… ナンデ ワレハ ニゴッテイル…!?


ばかな… 我は不死の筈… 我は無敵の筈… 我を憎めよ… 不死となったお前が我を憎む限り、我が滅びることはない…


誰か…名付けよ、我が名を… 断末魔の叫びからでも、哀惜の慟哭からでもなく、静かなる言葉で… 誰か、我が名を呼んでくれ… 我が名は白面にあらじ 我が 呼ばれたき名は…


おぎゃあああああああああ



余談

  • モデルとなったのは、ガンバの冒険のラスボスの白イタチこと「ノロイ」だとされる。
  • アニメ版で白面の者のCVを務めた林原めぐみ氏は、後にからくりサーカスのアニメ版で、ヒロインのしろがねのCVを務める事となり、この事から白面の者がしろがねとして光堕ち転生をしたとの説があるとか無いとか。
  • 林原めぐみ氏は当初「正しさを否定する悪」として白面を演じようとしたが、それでは”悪っぽい”で止まってしまうと思い至り断念。発想を180°変えて、「正義をひっくり返した存在」として白面を定義して演じることにしたとのこと。

・のちにゲゲゲの鬼太郎に登場した名無しと時折比較される。人の負の感情を糧とし、さらに策謀に利用する狡猾さはよく似ている。またあちらの「名無し」という「名」は人間が呼ぶものにすぎない無名の存在である点と、白面の者の人や妖怪から「白面の者」と呼ばれ続けた名も無きナニカであるという点も符合するのは面白い。 ただし生い立ちはあまり似ていない。


関連イラスト

白面の者我ははくめん

白面のものうしおととら01はくようの御方様

― 心 地 良 し ! ―白面の者たわけめ!

大妖浮上妖怪絵巻・白面の者白面の者


関連タグ

うしおととら 蒼月潮 とら 獣の槍 白い悪魔

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