概要
「美濃部孝蔵」とは、
戦後の東京落語を代表する落語家と謳われた「古今亭志ん生」の本名である。
そして大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」では、
「金栗四三編」と「田畑政治編」と並行し、「美濃部孝蔵編」として「若き日から終戦直後までの古今亭志ん生の半生」の姿が描かれた。
そして「いだてん」の制作経緯から「大河ドラマ『いだてん』の裏の主人公」ともされている。
またキャストの「森山未來」は本作品のナレーションを務め、「東京オリムピック噺」のナビゲーション的役割も担った。
ちなみに作品内でほぼ史実であるがころころと高座名が変わるため、本記事では「美濃部孝蔵」で呼び名を統一する。
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」
:いだてん
演:森山未來
幼少期:荒井雄斗
尋常小学校を中退し、十の歳から「飲む、打つ、買う」をやらかしていたとんでもない悪童で、
更に父親の煙管を質に入れていたことがバレて、槍を振るわれながら勘当されてしまう。
そして明治終わり頃の浅草で「飲む打つ買う」のその日暮らしのやさぐれた生活を送っていた。
この頃からの友人に俥屋の「清さん」と遊女の「小梅」がおり、孝蔵のクズっぷりに呆れ果てながらも時には叱咤激励をし、孝蔵の人生を後々まで見守っていく事になる。
そんなある日のこと。
吉原の付き馬から逃げていたら、たまたま寄席に迷い込み、橘家圓喬の高座に心酔してしまう。
そこから落語に興味を持ち寄席に通い始めるが、
羽田の五輪予選会に出場した清さんの代わりに俥屋をやっていたところ、そこに圓喬が客としてやってきた。
弟子入りを願い出て叶い、「橘家圓喬の弟子」となる。
圓喬から「五厘」のお金と「朝太」の高座名を与えられ、初高座に挑むも、
清さんから貰った晴れの着物を質屋に「曲げて」しまいその金で呑んだくれ、泥酔状態で高座に立ち、散々な初高座となってしまう。
しかし圓喬からは
君には『フラ』がある
とその「落語家としての素質」を見込まれており、他の師匠に託され修行がてらの旅興行へと送られた。
そしてこれが「師匠との別れ」となった。
旅興行中の浜松で、「まーちゃん」こと後の「田畑政治」と出会い、自身の落語を酷評されてしまう。
そして師匠から破門され放逐され、泊まった宿で無銭飲食をし、牢屋に入れられ、その中で「橘家圓喬の逝去」を知る。
悲しみにくれながらも牢名主に「文七元結」を披露しながら断髪し、「師匠の死」と向き合う。
再起を誓って東京へ戻るも、小梅の色恋沙汰に巻き込まれてしまい再び浜松に戻る羽目になったり、
「まーちゃん」からお金をくすねて東京に戻るも、落語家仲間の万朝から貰った落語道具一式を「曲げて」しまいボロボロの着物で真打ち披露をするなど、そのクズっぷりは変わらず、
それを見かねた小梅(この頃は清さんと夫婦となった)から見合いを進められて「清水りん」と結婚する。
こうして始まった「東京『おりん』噺」であったが、新婚初夜早々吉原へ行ってしまい、そのクズっぷりは変わらなかった。
大正12年9月1日、「関東大震災」発生。
とっさに「おりん」を守るも、
酒が地面に呑まれちまう!!
ってんで「おりん」をほおって酒屋に駆けつけ、お酒を散々呆れるほど呑み泥酔してしまう。
(なお「はいからさんが通る」に載るレベルの史実である)
そして家に帰ってきたら「おりん」から「お腹に子どもがいる」ことを告げられ罵倒され絶句してしまう
震災で廃墟と化した東京と浅草に絶望してしまうが、
倒壊した寄席に来ていた「笑いを求める客」や、懐妊して腹が据わった「おりん」、そしてたくましく生き延びようとする清さんや小梅たち「東京に住まう人びと」を「泣かせて笑わせる」ために神宮競技場や復興運動会で落語を披露していく。
昭和に入り、落語として精進する、かと思いきやまたまた破門され、「おりん」と沢山産まれた子どもたちとともに、後に「なめくじ艦隊」と揶揄する程の極貧生活を送る。
そのうち落語家として成長した万朝の高座を観、そして「おりんの覚悟」を知り一大決心をし、「落語家の道」に生きる事を決める。
そして落語家としての生業も軌道に乗り、ようやく生活が安定したかと思いきや、引っ越し当日が「二・二六事件」であったなど、次第に「戦争の影」が忍び寄ってくる。
第39話「思い出の満州」
大河ドラマ「いだてん」の番外編的物語。
本来の主人公である金栗四三や田畑政治の出番はほんのわずか。
「古今亭志ん生」を襲名した美濃部孝蔵と、「三遊亭圓生」、そして金栗四三の弟子である「小松勝」の「満州での邂逅」、そして「『富久』と志ん生と五りんの繋がり」が描かれた。
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実は「いだてん」を企画が始まった最初に、
「あまり重くならずに笑える第二次世界大戦の逸話は何か」と問われた宮藤官九郎が「描きたい」と答えたのが、この「古今亭志ん生の満州噺」であり、
これが「若き日の古今亭志ん生こと美濃部孝蔵が『いだてん』の裏の主人公」と言われる所以である。
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孝蔵は、「太平洋戦争」の開戦とほぼ同時期に「襲名したら近いうちに死ぬ」と言われ、縁起が悪いとされていた「古今亭志ん生」の名を襲名する。
そして太平洋戦争末期、「酒がたらふく呑める」という理由で慰問団の一員として満州へ行くことになる。
「三遊亭圓生」と共に満州に向かい、最初の頃は酒に歌にと楽しんでいたが、いきなり終戦になってしまい、満州に取り残されてしまう。
ソ連軍侵攻に混乱する満州で孝蔵は、以前、自分の「富久」に文句を付けに来て、逃亡兵となっていた「小松勝」と再会する。
命を助けてくれた流れで孝蔵、圓生、小松と満州を逃げ回り、その最中の交流で、
浅草から芝まで走り抜ける、古今亭志ん生独自の「富久」
が生み出される事になる。
しかし小松は「新しく生まれた『富久』」をサゲまで観ることなく、「落語の出来の素晴らしさ」に興奮したまま駆け出してしまい、
志ん生の富久は絶品
の絵葉書を遺し、激走の中、ソ連兵に殺されてしまう。
「小松の死」を知った後、
圓生に叱咤激励されつつ「どん底の中」生き延びた孝蔵は命からがら日本に帰国。
「おりん」たち家族と再会し、再び高座に上がり、
「昭和の名人・古今亭志ん生」の道を歩み始めた。
そして昭和35年。
「志ん生の富久は絶品」と書かれた絵葉書を持った一人の青年が志ん生の元を訪ねた。
こうして「東京オリムピック噺」の「もう一つの噺」が始まる事になる。