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山口放送の編集履歴

2019-04-30 04:02:02 バージョン

山口放送

やまぐちほうそう

山口県を放送対象地域とするテレビ・ラジオ局

概要

本社を山口県周南市に置きAMラジオ放送と地上デジタルテレビジョン放送(2011年7月24日までアナログ放送も実施)を行っている放送局。ラジオはNRNとJRNのクロスネット、テレビは日本テレビ系列局。略称KRY。略称はかつての社名の株式会社ラジオ山口(KK.RADIO YAMAGUCHI)の英名に由来する。

放送局概略

ラジオ放送

系列NRN・JRN
愛称KRYラジオ
コールサインJOPF(周南)JOPL(萩)JOPM(下関)JOPN(岩国)
呼出名称やまぐちほうそう
親局周南765KHz/5kw

コールサインのない中継局は山口、須佐田万川の2箇所。山口局にもかつてコールサインがあった。

周南親局・下関中継局・岩国中継局・須佐田万川中継局の4箇所は置局場所が海沿いまたは県境近くと条件がよく、隣県でも広く聴取されている。

テレビ放送

ニュース系列NNN
番組供給系列NNS
愛称KRYテレビ
コールサインJOPF-DTV
呼出名称やまぐちほうそうデジタルテレビジョン
リモコンキーID4
親局周南20ch(大平山)

テレビ山口山口朝日放送が大平山親局を山口局と呼称しているがここのみ周南局と呼称している。むろん本社所在地から取っている。


ラジオ放送

先述の通りNRNとJRNのクロスネット局だが、NRN寄りであり、どちらかというと文化放送寄りである。また、TBSラジオとはあまり仲がいいとは言えないが、なぜか火曜から土曜日の早朝3・4時台に関しては、文化放送の「走れ!歌謡曲」ではなくTBSラジオの番組を放送している。


初代社長の野村幸祐が山口県教育長を兼ねていたことがあり山口県教育委員会との関係が深かったことから深夜放送に対する反対論が根強かった。しかし放送終了時間がオールナイトニッポンのネット開始により遅くなり、1990年より終夜放送を行っている。


アニラジの放送に消極的で北陸放送製作の「ちあきのあにまにあ」を垂れ流している程度。それ以前には文化放送製作の「A&G 超RADIO SHOW〜アニスパ!〜」をネットしていたが、ナイター中継がないときに限られていた。ナイター中継がないときでも放送されていたアニラジとなると、こちらもまた文化放送製作の「久川綾のSHINY NIGHT」くらいのもの。なお、放送実績がある國府田マリ子の「Come on FUNKY Lips!」月曜版や、「スフィアオールナイトニッポンゴールド」は、言っておくがアニラジではない


土曜の昼間に放送されている「ラジKING GOLD」は、番組の中で中古車を値切り倒して、スポンサーの自動車ディーラーの関係者を困らせることで悪名高い番組だが、これ、前身番組から数えて約40年も放送している。しかもその前身番組のタイトル、「Swing Saturday ねぎって行こう!」


テレビ放送

日本テレビ系列だが県内にフジテレビ系列局とテレビ東京系列局がないためこれら2局の番組も購入して放送しているが、かつてフジテレビ系列だったテレビ山口(tys)がフジテレビの番組を多くネットしており、KRYはtysの編成から外れた一部の番組をネットしているに過ぎない。またテレビ東京の番組ネットに積極的な姿勢を見せているが、アニメに関しては全く当てはまらない


在山口民放各局内で最も自社制作番組の比率が高く、読売テレビ札幌テレビ福岡放送とともに「ZIP!」第1部を朝の自社制作バラエティ番組を放送したり、山口朝日放送(yab)の「5時からワイド」に対抗すべく夕方アニメ枠を自社制作番組枠に変え、しかも最終的にはyabをノックアウトさせたこともあるほど。 そのうえ日本テレビから「深夜のバラエティ番組作ってみたら?」と言われ、三宅裕司司会の「ワークパラダイス」→「ドシロウト」を制作、さらにすべての日本テレビ系列局(および「NNNきょうの出来事」をネットしていた他系列局約3局)で放送されたと言うからたいしたものである。ほかにも1991年には開局35周年記念番組として、吉田松陰をテーマにした2時間時代劇を作ったほど。

もっとも、平日の自社制作番組の充実ぶりに対し、週末に関してはせいぜいニュースぐらいにとどまっている。


その週末に関しては、読売テレビの番組の「そこまで言って委員会NP」だけでなく、「(藤井隆の)土曜はダメよ!」や「(なるみ&メッセンジャー黒田+ホラン千秋の)もんくもん」を放送したり、テレビ東京の「開運!なんでも鑑定団」(本放送・再放送両方とも放送)のほか「土曜スペシャル」もたまに放送している。特に土曜スペシャルは海峡の向こうの本来のテレビ東京系列局が実質放送を拒否しているだけに、一種のねじれ現象が発生している。


アニメ事情

かつては平日夕方5時台にアニメの放送枠を設定していたが、先述の通り自社制作枠に置き換わる形で1994年3月いっぱいで廃止された。ただその夕方のアニメ枠、TBSで放送された作品以外を選んで放送していたものだから、結果、テレビ東京作品のごく一部や、日本テレビ・読売テレビ作品の一部の番販購入(テレビ朝日系列時代)、フジテレビ作品の番販購入(フジテレビ系列局があったはずの1987年9月以前から行っていた)、テレビ朝日作品の一部の遅れネット(これもテレビ朝日系列時代。おかしいと思うだろうが歴史の方も参照)が入り交じるという、状態だった。


また、それとは別に、日曜の朝に「丸久サンデー劇場」という、やはりテレビ朝日アニメ(や30分ドラマ)の遅れネット、フジテレビ作品やテレビ東京作品の番販購入を放送する枠を設けていたが、「ONE PIECE」の放送期間中だった2011年3月に廃止され、「ONE PIECE」は深夜アニメに移行した。

なお、丸久とは、防府市に本社を置き、山口県内をもれなくネットするスーパーマーケットを運営する会社であった。現在は「リテールパートナーズ」という会社の本部となっており、「丸久」の名前はそこのブランドのひとつとして存続している。詳細はこここちらをどうぞ。


ところでその深夜アニメ、日テレ系列全27局(+他系列局約3局)ネット3作品(「HUNTER×HUNTER(H×H)」含む)と、その「ONE PIECE」以外では、やはり日テレ制作の「花田少年史」と、独立局作品の「銀河機攻隊マジェスティックプリンス(MJP)」くらいである。これは在山口テレビ局中最少である。だが、実は、「MJP」放送期間だった2013年4月から9月にかけては、「ONE PIECE」や「H×H」も放送されており、結果、深夜アニメ枠が3つにも及んだのだ。これは、読売テレビ以外の日本テレビ系列では極めて異例であった(「ONE PIECE」や「H×H」は本来深夜アニメではない)。そして「ONE PIECE」は2019年春改編時点で月曜深夜25:54-26:24に放送されているが、これがながらく在山口テレビ局唯一の深夜アニメ放送であったが、2019年7月から、tysでも深夜アニメ枠を「再開」することになった。さらに、中国・四国地方の日本テレビ系列局としては、ここしかやっていない、となることが多かったりする。


なお、独立局作品としては、他にもミニアニメ「クプー!まめゴマ」、「全力ウサギ」、「まめうしくん」を放送した実績がある。また、2003年から2004年の年末年始特別企画という形で、「まっすぐにいこう。」(第1シリーズ)を放送したことがある。こちらは読売テレビ作品である。


歴史

1956年3月、徳山市に設立、4月1日に開局した。そして1959年10月1日に徳山地区でテレビ放送を開始したが、かなり複雑なネットワークの変遷を経験した。


開局前

元々山口県の民間放送構想は、徳山市が、下松市と光市とともに考え出したものだった。だが、お手本にするはずだった、兵庫県姫路市の構想が、免許取得まで行きながら結局挫折したことで、下松市と光市が「実現不可能である」と離脱してしまう。そこで残された徳山市は単独で計画を練り、免許申請しようとしたが、何とよりによってラジオ九州が山口県もエリアに設定したことで混乱が発生してしまい、なかなか開局にこぎ着けることが出来なかった。それからなのか、ラジオ九州と仲のよかったラジオ東京とは距離を置くようになったのだった。また、後に関門地区のテレビ放送を巡ってラジオ九州と対立し、いったん西部毎日テレビを両局折半で設立したのはよかったが、結局それをラジオ九州が合併した。ゆえに、ほんの一時期ではあったが、山口放送はそこの経営にかかわったことがある。


テレビ放送開始(あるいは関門局にまつわるあれやこれや)

先述のように1959年10月1日にはテレビ放送を開始したが、KRYの地盤である山口県の地理的状況からネットワーク変遷は複雑なものとなった。

開局時は日本テレビ系を中心としたオープンネット体制で、ニュース番組も日本テレビ、ラジオ東京テレビから供給され、ローカルニュースはフジテレビ発の共同テレニュースを一部差し替えていた。

KRYテレビの開局時山口県を通過していた電電公社の中継回線は2回線しかなく、東側の広島県を地盤とする中国放送(RCC)、西側の福岡県を地盤とするRKB毎日放送(RKB)がそれぞれ本線を使用しており、どちらもラジオ東京テレビ系列だったため、順番に行けばここもラジオ東京系列になるはずだった。(なおもう1本の回線はNHKが使用していた。)

しかし山口県東部ではRCCが、西部ではRKBが広く視聴されており、もしラジオ東京系に入ると営業政策上不利になることが予想された。

そこで考えだされたウルトラCが、四国周り九州経由の電電公社回線を確保して日本テレビ系列に入ることだった。なお四国を経由したのは四国の民放第1局全てが日本テレビ系列だったためである。


KRYにとって待望の下関をサービスエリアとする関門テレビ中継局の免許が1961年7月14日に火の山VHF4chで下りたが、その際に以下の様な規制がかけられた。

  • 下関は皿倉山の電波が入りやすいから九州朝日放送、RKB、テレビ西日本でも放送されている番組は1日の放送時間に対して3分の1以下とする
  • 少ない電波を使うわけだからRKBやRCCなどを視聴する視聴者に配慮して西と南に強く電波を出してはいけない
  • 大平山親局からのフィルムネット番組、自社制作番組を50%以上放送する

こうした規制がかけられた結果、関門テレビ中継所は実質独立した親局として機能するようになり、当時の新聞のテレビ欄には「山口テレビ(徳山・萩・岩国)」「山口放送関門」のように並んで表記されるという全国的に見ても前例のない事態となった。

最初は4割ほどの番組がマイクロウェーブ回線で送られてきた関門局の番組だが開局から2,3年ほどで全番組がフィルムネットになり、山口放送の経営を圧迫した。


しかし事態は1964年に一変する。

1964年9月23日、読売新聞西部本社が立ち上げられ、山口県や九州地方での読売新聞の発行を開始した。

地元紙の西日本新聞はこのことに対して態度を硬化させ、読売との協力関係を解消した。

更に日本テレビは関門中継所や福岡県内に予定されていたテレビ新局開設運動の背後に関わっており、西日本新聞系のテレビ西日本は日本テレビ系列を脱退した。

このことにより関門中継所での番組競合のおそれがほぼ無くなったことから番組規制が外され、大平山送信所と関門中継局の番組が同時ネットされるようになった。

なおこの名残でアナログ放送が終了する2011年7月24日までKRYはJOPF-TV山口放送テレビジョンJOPM-TV山口放送関門テレビジョンと2つのコールサイン、呼出名称を保有していた。


ちなみに大平山局と関門局が同時ネットになって5年後、1969年に福岡放送が開局しているが、電波が山口県まで届く北九州中継局のエリア調整に手間取り、北九州中継局の開局が福岡親局、久留米中継局より5ヶ月遅れた。


日本テレビとの関係悪化…

1970年にテレビ山口(TYS)が開局、フジテレビ、NET(現在のテレビ朝日)、TBSと番販協定を結んだ。フジテレビとTBSの番組の多くが移行したものの、TBSの番組では「ナショナル劇場」など、フジテレビの番組でも、「ズバリ!当てましょう」、(大川橋蔵の)「銭形平次」、「サザエさん」などはTYSに移行しなかった。


1974年に佐藤栄作元総理大臣が死去した際、山口放送は日本テレビにNNN報道特別番組の制作を求めたが、日テレに特番制作の予定はなかった。その間にフジテレビがFNN報道特番の放送を決定したが、TYSではJNN協定により放送できなくなってしまった。山口放送は日テレにこの事を説明し、「FNN報道特番の放送を了承してほしい」旨を申し入れた。これを受けて日テレはNNN報道特番を制作し、当然のことながら山口放送はNNN報道特番を放送した。


その後、日テレで放送されていた「11PM」「ウィークエンダー」「お昼のワイドショー」「ミセス&ミセス」といった番組内容が、下品なものや残酷なものが多く、低俗化していると訴えたが改善されず、日テレとの関係が悪化した。それと同時期にテレ朝がTYSを系列局から外し、1978年10月をめどに山口放送にネットチェンジをしようとしたが、後楽園球場からの読売ジャイアンツ戦の放映権の問題があったうえ、フジテレビと低レベルの三位争いをしていたテレ朝の番組に全て切り替わった際の県民からの反発も考えられ、日テレからも待ったがかかった。

山口放送、日テレ、テレ朝の三社会談の結果、ANNニュースの放送と「11PM」と「ミセス&ミセス」の打ち切りは認めてもらう一方、19時台と20時台はテレ朝の番組は放送しないことになった。テレ朝アニメの放送が出来なかったり、出来ても放送日時差し替えに追い込まれたのはこのためである。また「11PM」の代替として「プロ野球ニュース」の放送を開始。これはTYSが「JNNニュースデスク」を編成しており、時間の繰り下がりで「プロ野球ニュース」を放送できなくなる恐れがあり、山口放送がフジテレビと資本関係があったためと思われる。ただし山口放送は系列外であるため、周囲の系列局から難色を示されたり、「NNNきょうの出来事」の後に別番組を放送せず、5分遅れネットを行うために遅れ放送時間コントロールのための機械を開発せざるを得なくなるなど、ネットワークで難航した。

この中途半端なネットチェンジの余波はTYSもおよび、TYSはテレ朝からの番販購入が認められた。


1979年4月には、TBS系列のスポンサードネット番組(「ナショナル劇場」など)すべて、「サザエさん」などフジテレビ系列の一部のスポンサードネット番組がTYSに移行した。ただ「サザエさん」のTYSへの移行に対しスポンサーだった東芝が「『日曜劇場』がある」と反発したらしく、しばらくの間TYSでの「サザエさん」のスポンサーを拒否した。


1987年9月にTYSがFNSを脱退する前後、フジテレビが山口放送に対しFNN/FNS加盟を打診したが、山口放送は断った。


山口朝日放送開局後

1988年に社長が赤尾嘉文に交代、その社長と親交の深い氏家薺一郎が日本テレビの社長に就任したのを機に、日テレとの関係改善を模索するようになる。テレビ朝日はこれに反発、朝日新聞西部本社・みずほ銀行・九州朝日放送・みなと山口合同新聞社とともに出資し、1993年10月1日に山口朝日放送(yab)を開局させた。

山口放送が放送していたテレ朝の(人気)番組の放送を引き継ぎ、アニメの再放送のイメージが強かった平日夕方5時台にローカルバラエティをぶち込んだyabにしばらくは苦しめられたものの、1990年代の日テレの大躍進の恩恵を受け、さらに前述の通り1987年10月以降山口県にフジテレビ系列がないこともあり、1996年度以降、県内視聴率トップの座を守っている。


防府読売マラソン

山口放送がかかわっているロードレース(マラソン)大会。毎年12月に開催。大会自体は1970年から行われてはいる。


山口放送がこの大会にかかわるようになったのは1972年に開催された第3回大会からであり、このときはラジオ中継のみであった。なお、ラジオ中継自体は現在でも行われている。


1990年に開催された第21回大会からはテレビ中継も行われている。当初は生放送ではあった一方で山口県ローカルだったが、後に京都府滋賀県奈良県和歌山県以西の日本テレビ系列全局でも生放送されるようになった。しかし現在は生放送は鳥取県岡山県および香川県徳島県より西の日本テレビ系列局(ただし福岡放送除く)およびTBS系列局約2局に変更されている(読売テレビと福岡放送は「そこまで言って委員会NP」を放送するため、同日深夜に放送)。なお、石川県岐阜県三重県以東(および福井県)では、ダイジェスト版ではあるものの、読売新聞系のBSテレビ局のBS日テレを通じて観戦は可能。


テレビ放送開始当初こそスタート・ゴール地点は読売テレビの局アナが担当していたが、現在は全ての実況を山口放送の局アナが担当、さらにスタッフのほとんどは山口放送(とその関連会社)の人間でまかなわれている。同じ地方開催の大規模かつ民放テレビで放送されるマラソン大会でも、(全国ネットという条件があるとは言え)RKB毎日放送が主催する別府大分毎日マラソンとは大きく異なる。


なお、最近では、本来ほとんど縁の無い(どころか先述の通り不倶戴天の敵・山口朝日放送設立に一枚かんでいる)みなと山口合同新聞社が主催する市民マラソン大会である下関海響マラソンや、山口県に因縁のある陸上選手・田島直人をたたえた陸上競技大会のテレビ中継も(録画ながら)行っており、前者に関しては福岡放送と広島テレビでも放送される。

また、毎年1月最終日曜日に宇部→山口→防府→周南(徳山)を結んで行われる駅伝大会である中国山口駅伝のラジオ中継も行われており、こちらは(後半のみではあるが)中国放送でも放送されている。ちなみにこの駅伝の主催者である中国新聞とは、ラジオの山口県内ニュースを融通してもらうほど割と仲が良い。


外部リンク

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