鈴鹿御前とは
ここでは1.について述べる。
概要
日本の奈良時代末期から平安時代前期に活躍した征夷大将軍・坂上田村麻呂と比翼連理の夫婦となって娘・小りんを授かり、夫婦で高丸や大嶽丸など数多の怪異を討伐したとされる伝説上の天人、天女。
来歴
古くは鈴鹿山の女盗賊・立烏帽子が崇敬した女神・鈴鹿姫とされていたが、いつしか両者が習合され、同じく鈴鹿山での鬼退治譚が残る坂上田村麻呂とも深く結び付き『すずか』『鈴鹿の草子(田村の草子)』といった鈴鹿御前が登場する物語が創出された。
鈴鹿峠に祀られた田村大明神と鈴鹿大明神が東海道を行き交う人々を守る夫婦神であるとされ、鈴鹿峠を往来する旅人から厚く崇敬された。
地元では、立烏帽子討伐の命を受けた田村麻呂と夫婦となって、2人が亡くなると鈴鹿峠の人々が立烏帽子を鈴鹿御前として祀ったという。
このときに田村麻呂を祀った田村堂が田村大明神であり、現在は鈴鹿トンネル上にある片山神社に合祀されているため、坂上田村麻呂と鈴鹿御前夫婦は今も国道1号を往来する人々を守護している。
鈴鹿峠には鈴鹿の関があったように、皇祖神アマテラスを祀る伊勢神宮がある伊勢国と、平安京との境界であった。そのため鈴鹿御前と立烏帽子という天女と鬼女の両義的な性格を有する。
鈴鹿峠から遠く宮城県にある田村神社でも、鈴鹿神女として坂上田村麿と夫婦で祀られており、田村麻呂が自分を守護する姫神の立烏帽子神女を祀ったのが岩手県の姫神山の始まりとされている。
なおFateシリーズの鈴鹿御前は、田村麻呂と悲恋であったとの独自の解釈がなされているが、上記のとおり鈴鹿峠周辺では鈴鹿御前は田村麻呂と共に夫婦神として今も信仰されている神であり、聖地へ参拝の際には鈴鹿明神と田村明神への敬意を持たれたし。
物語
鈴鹿御前の物語は室町時代後期に成立したお伽草子『鈴鹿の草子』や室町時代物語『田村の草子』、江戸時代に成立した奥浄瑠璃『田村三代記』によるものが一般的に知られている。
代表的な『田村の草子』では、田村将軍親子三代に渡る話のうち、三代目となる田村丸俊宗の話に登場する。
俊重将軍の御子・俊祐は益田ヶ池の大蛇の化身である美女と契りを交わして日龍丸が誕生するも、日龍丸が3歳の時に俊祐は亡くなってしまう。7歳になった日龍丸に近江国見馴川の倉光・喰介という2つの大蛇退治の宣旨が下だり、先祖からの弓矢(角突弓と神通の鏑矢)で討伐したため、帝から将軍の宣旨を受けて俊仁将軍を名乗った。
俊仁は堀川中納言の娘・照日御前と恋仲となるも帝の嫉妬心から伊豆へと流罪される。しかしこれを許されて都へと戻り、晴れて夫婦となった照日御前との間に2人の姫が産まれた。
ところがある日、照日御前が辻風に吹き上げられて行方不明となり、伯父である大蛇から照日御前が陸奥国高山の悪路王という鬼に誘拐された事を教わる。俊仁は鞍馬寺の毘沙門天に助力を得て陸奥国に着くと、陸奧国初瀨郡田村郷の賤女・悪玉姫に一夜の情けをかけ、子供が生まれた時のために形見の鏑矢を渡した。俊仁は毘沙門天の加護で悪路王の本拠に侵入し、待ち伏せの上で悪路王を討ち、無事に照日御前を京へと連れ戻した。
この時に一夜の情をかけた悪玉姫は1人の男子を産んで臥殿と名付けられ、成長して田村丸と名を改めると形見の鏑矢をもって上洛し、父・俊仁に対面して元服すると稲瀨五郎坂上俊宗と名を改めた。
俊仁はその後、唐土に攻めるものの恵果和尚に不動明王、矜迦羅、制吒迦が味方して、不動明王の降魔利剣によって殺されてしまう。
残された俊宗は17歳の時に帝の宣旨を受け、奈良坂山の金つぶてを打つ化生・霊山坊を祖先から相伝の弓矢で退治して俊宗将軍となった。
2年後、伊勢国鈴鹿山に大嶽丸という鬼神が現れ、俊宗将軍に帝から討伐の宣旨が下る。しかし大嶽丸は強力な神通力を使うため攻めあぐねていると俊宗に天女・鈴鹿御前が味方した。鈴鹿御前に言い寄る大嶽丸から三明の剣のうち大通連と小通連を取り上げた隙に、俊宗はそはやの剣で大嶽丸を討ち果たす。この功により帝から伊賀国を賜った俊宗は、鈴鹿御前と夫婦となって娘の小りんという姫も授かった。
夫婦仲良く暮らしていると、今度は近江の高丸追討の宣旨が下った。鈴鹿御前から火界の印を伝授された俊宗が攻めると高丸は信濃国布施屋ヶ嶽に逃げ、さらに追うと駿河国富士嶽へと逃げ、ついに陸奥国外ヶ浜まで追い詰めた。最後は筑羅が沖の岩屋に逃げ込んで閉じ籠る高丸に苦戦していると、鈴鹿御前が天の舞で助力してそはやの剣で高丸を討つことができた。
1年後、大嶽丸が天竹に置いていた顕明連に魂魄を移して復活し、陸奥国霧山ヶ岳に立て籠って再び日本を荒らしはじめた。俊宗は苦戦するが鈴鹿御前の助力もあって大嶽丸の首を再び斬り、その首は宇治の宝蔵に納められた。
俊宗と鈴鹿御前は幸せに暮らすものの、鈴鹿御前は天命により25歳で死ぬこととなる。しかし俊宗は地獄まで乗り込んで鈴鹿御前より託された大通連を振るい獄卒を倒してしまう。それに困り果てた閻魔大王から鈴鹿御前を救い出し、二人の契りは二世の縁となった。この田村丸俊宗将軍は観音の化身であり、鈴鹿御前は竹生島の弁財天である。
なお、諸本によって鈴鹿御前の立ち位置や話の流れに違いが見られる。
『鈴鹿の草子』
室町時代後期の鈴鹿系(古写本系)では、鈴鹿山にある金銀で飾られた御殿に住む齢16~18の美貌の天人とされる。
十二単に袴を踏みしだく優美な女房姿だが、田村将軍がそはやの剣を投げるや少しも慌てず、立烏帽子を目深に被り、鎧を着けた姿に変化し、厳物造りの太刀を抜いて投げ合わせる武勇の持ち主。
さらに田村将軍を相手に剣を合わせても一歩も引かず、御所を守る十万余騎の官兵に何もさせずに通り抜ける神通力、さらには三明の剣(大通連、小通連、顕明連)を操り悪事の高丸や大嶽丸の討伐で田村将軍を導くなど、作中で田村将軍をも凌ぐ存在感を示す。
『田村の草子』
一方で田村系(流布本系)とされる『田村の草子』の寛永頃の古活字本では、鈴鹿山の鬼神・大嶽丸を討伐する田村将軍を助けるために天下った天女として登場。武装のイメージは薄れ、烏帽子は着けず、髪には玉の簪(かんざし)を挿し、水干に緋袴という巫女のような出で立ちである。
鈴鹿御前は田村将軍と契りを交わし、鈴鹿御前に言い寄る大嶽丸に一計を案じて大通連と小通連を奪うなど、武勇ではなく主に内助のような形で悪事の高丸や大嶽丸の討伐に力を貸す。
紀伊熊野の伝説
『紀州熊野大泊観音堂略縁起』では鈴鹿山の鬼神魔王討伐を命じられた田村麻呂が討ち漏らした鬼が熊野へと逃げて山に身を隠した。田村麻呂が立烏帽子を心に念じて一心に祈ると、雲の中で天女が鬼ヶ城に悪鬼(金平鹿)が隠れていると告げるなど助力をしている。
現代創作
マイナーどころゆえに、あまり目立った活躍こそないが、和風ファンタジーでは比較的にヒロインに抜擢されやすい、恵まれた立ち位置にいる。
原典では齢16~18歳で容姿端麗の天女とされるためか、三刀流の帯刀女子高生としてイメージされ、セーラー服などの制服を着ていたり、JK語を使いこなすセーラー服と日本刀キャラクターで描かれることもある。
彼女の持つ三明の剣(大通連、小通連、顕明連)も一部の和風ファンタジーなどで登場することがある。